旗の下に眠れ?
アーサーが菊の家に泊ることになった。 今までにも何度か訪れていたが、宿泊するのは初めてだ。 「気ままなひとり暮らしですから、お気遣いなく」 と言いつつ、好き嫌いの有無など細々尋ねてくる菊が嬉しく、彼は「手土産がないのがつらいな」と呟いてしまった。 すると一瞬、妙な間が空いた。 「そんな心配は、ご無用に願います」という、彼らしい返事がいつもより沈んでるように聞こえた。「どうしたんだ?」とさらに問うと、菊はは恥ずかしそうに少し、ほほ笑んだ。 「いえ、つい最近いただいた土産のことを思い出しまして」 「なんだ、誰か迷惑アイテムでも押し付けてきたのか?」 迷惑と言うほどではないのですが。と、菊は小さくため息をつく。 「実は、アルフレッドさんから大きな星条旗をいただきました」 壁に飾ってくれよ! と、明るく言いながら広げられたそれは、優に畳二畳分あった。 「いや……それは多分、悪気はないと思うんだが……」 「それは私もわかっています」と、菊は力なく答えた。菊が喜ぶと信じて微塵も疑っていない笑顔を見ると、とても断れなかったのだから。 アーサーは試しに、菊の家に星条旗を飾ったところを想像する。質素と言っていいくらい色彩をワンポイントに絞った室内の、壁一面を飾る星条旗。 ひとことで言って「ぶちこわし」としか表現しようがない。 「なんつーか。すまん、空気の読めないやつで」 アーサーが謝ることじゃない。と、菊は思った。だが、彼の「弟の不徳は兄の責任」と言わんばかりの表情を見ていると、それを口にする気になれなかった。 「私には、国旗を贈るという発想はなかったですよ。まだまだ、わかってないことが多いのですね」 菊の言葉は本心だったが、同時にアーサーへの心遣いも含まれる。そのまま両国の習慣の違いなどを話題にしつつ、ふたりは並んで菊の家まで歩いて帰った。
菊の家では、ちょっとしたサプライズが待ち構えていた。 「これは一体……」 「あなたのために準備したのですが……お気に召しませんでしたか?」 客間に広げられているのは、「FUTON」と呼ばれるオリエンタル寝具だ。 それは知っているが、掛け布団の柄が彼にとって非常になじみのあるもので。 「アルフレッドさんからのいただきものに想を得まして。贈ったり飾ったりするのがアリなら、使うのもいいかと考えました」 客間に広げられた布団。鮮やかな青と赤と白の色彩が描くのは……ユニオンフラッグ。 実は欧州の宗教では、横たわって眠ること自体が「死」を連想させる場合がある。ましてその体に国旗をかけるとなると、それは「国葬」を意味する。 彼は神を信仰していないが、長年の慣習は意識にしみ込んでいる。驚くには十分なほどに。 一瞬、壮大なイヤミかと思って菊の顔を凝視してしまったが、友人は澄んだ瞳で彼を見返してくるだけだ。 「あの……なにか問題がありましたか?」 沈黙に耐えられなくなったのか、菊がうつむいてしまう。 ああ、習慣の違いというのはこういう事か。と、アーサーは再認識した。アルに悪気がなかったように、菊のこれも精いっぱい良かれと思った結果なのだろう。 「いや。専用寝具を用意してもらったのは初めてなので驚いただけだ」 そう告げると、菊は安心したように微笑んだ。オリジナル寝具なんて、右から左に入手できるものではないだろう。彼を招こうと、いったいいつから準備してくれていたのか。 いじらしい。そう思うと胸が詰まり、注意を後回しにしてしまったアーサーだった。
「そう言えば、アルの土産もFUTONになったのか?」 夕餉を囲みながら話題にすると、菊は首を横に振った。 「同じものは芸がありませんので」 そう言いながら持ち出したのは、小さな包み。中から出てきたのはストライプと星柄の、上着のようなものだった。 「これは『法被』という、祭りの装束です。大きさが丁度良かったので、仕立て直してみました」 「まあ……菊の家に飾るよりは似合いそうだな」 アーサーの評価に安心したのか、菊は笑顔を見せた。先ほど彼から「寝具に驚いた理由」を穏やかに告げられて落ち込んだところなので、なおさら安堵したのだろう。 「これからもいろいろご教授ください。私は一刻も早く、あなたたちに追いつきたい」 「俺に出来ることなら手を貸す。だが、お前のところの文化も良い物がたくさんあるんだから、焦る必要はないと思うぞ」 「正直、ついていけるか心配です」 日本酒を傾けあいながら、穏やかな会話が続く。アーサーはこの日から、菊の家の常客になったのだった。
終
PS. 「やあ、菊。この前は素晴らしい贈り物をありがとう」 「気に入っていただけましたか」 「もちろんさ! 君んちのフェスティバルコスチュームなんだって? いいよあれ。我が国の旗は、グッドデザインなんだね!」 笑顔全開のアルフレッドは、菊の両手をつかんでぶんぶん振り回す。 「この際だからあれを着て、祭りを見物したいんだけど、手配を頼める? ギオンマツリっていうのがいいな」 言われた菊は、一瞬目の前が暗くなる。 (なぜよりによって祇園祭なのでしょう) 「千年も前から続いている祭りなんだって? 楽しみだなぁ」 (その由緒正しい祭りに、あの法被を着用して乱入する気ですかこの人は) あまりに想定外の行動に、菊は言葉も出てこない。ちょっぴり困りもののプレゼントをうまく返したと思ったら、さらに斜め上のしっぺ返しが待っているとは。 「法被を着るのにふさわしい祭りは他にありますので……いくつか見繕っておきましょう」 そう言って、なんとかアルフレッドを説得した菊だった。
* 河童が立ち去るあの話です。多分あれが初お泊りだろうと思って、こんな話にしてみました。菊が欧州に追いつこうと一生懸命な時代。
寝具の話については、少し(100年くらい?)前のカソリックの習慣だと思ってください。欧州城めぐりをしたときに、王族のベッドが意外なくらい小さいのが気になって調べたら、「横になることが禁忌で、寝る時も上半身を起こした体勢のままだった」と知りました。 いまではその習慣はあまり見られないです。ベッドも私の知る普通サイズだったし。 アーサーんちはプロテスタントなのですが、何しろ長生きだから。いろんな習慣を知っているかなと思いまして。ここは「そんな習慣もあるのか」と軽く流していただけたら幸いです。 そしてアルの法被話。私は軽く仕返しくらいの気持ちで考えたのですが、「あれを着て祇園祭に行く」というセリフがわいて出た時には、ひっくり返りそうになりました。 まだ一度も主役になってないのに、なんて破壊力のある奴なんだ。恐ろしい子。
Write:
2009/08/27 (Thu) 17:06
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