とっぷてきすとぺーじ短編 本文へジャンプ


夢は現と知ればこそ


 その話題に触れたのは、どちらが先だったろう。
「俺、忍び足結構得意だよ」と言ったのはフェリだったが。
 それに対して「ああ、ルッツの寝室侵入のためですか」と下手な冗談を言ったのは菊だった。
 フェリはちょっと驚いたように菊を見て、それから真顔で「うん。そうなんだ」と答える。
「見つかると追い出されるでしょう。厳しいミッションですね」
 そう聞かれて、フェリは言下に「そんなことはないんだけど、ね」と笑う。見つかったら叱られるけど、追い出されたことはないんだよ。と、彼は言う。
 もしかしたら、私は惚気を聞かされているのでしょうか。などと菊が考えていると、フェリは彼の目を覗き込んで「菊も絶対大丈夫。一度試してみる?」などという恐ろしいことを平然と告げた。
「馬鹿なことを言わないでください。それが許されるのはあなただけですよ」
 強いて言うなら、ルッツの兄ギルベルトが数少ない例外だろう。と、菊は心の中で付け加える。
「それにしても。追い出されないとわかっているなら、忍び込む必要もないと思うのですが」
 話をそらすと、フェリが珍しくきつい表情になった。何か失言したかと菊が自分の言葉を反すうしていると、フェリが目の前で大きくため息をついた。
「あのね。実は秘密の話なんだけど」
 ここは菊の家で、客は彼一人しかいない。普通に喋っても誰かに聞かれる気づかいはないのだけど、フェリはそっと彼に耳打ちした。
「ルッツってさ。寝てる時たまに呼吸が止まるんだ」
「え?」
「病気じゃないんだって。そういう、体質」
 ルートは若干いびきをかくが、寝息は普通安定している。ところが、時々す〜と息を吸ったまま呼吸が止まり、長い時だと一分近くしてから呼気になる。
「本当にごくたまに、だから。菊は気がついてないかもって思ってたんだ」
 最近はめったに出なくなったけど、一時期多かったんだ。と、フェリは続ける。嫌な予感で身体がこわばる菊を見てフェリはうつむくが、それでも話をやめようとはしない。
「……うん。俺たちが枢軸だった、あの時。ギルが彼を置いて行っちゃってから。ルッツがなんだか、ロボットみたいになっちゃってね」
 俺、説明下手でごめん。そう言いながらフェリは、必死で菊に当時の状況を伝えようとする。
 自分の傷をものともせず、ひたすら国民のために献身するルート。周囲が注意していないと、ろくに食べも眠りもせず、休むことさえしない。「この程度で死にはしない」が口癖になり、実際ビールを大量消費することで栄養源に変えて仕事に没入していた。
 最初に異変に気付いたのは、彼の部下たちだった。ソファで仮眠するルートの呼吸が止まった一瞬、事務局は大パニックに陥ったという。無理もない。
 医者の診断で無事その場はおさまったが、以後ルートは自宅で睡眠をとることが義務になった。
 その頃になってようやく、フェリの出番が来る。
「俺さ、敗戦後しばらくルッツに会ってもらえなかったんだ」
 穏やかに、ほほ笑みさえ浮かべて。だがルートは断固としてフェリの誘いを断り続けた。休むどころか、友人と語らうことさえ何かの罪悪であるかのように。
 無理やり押しかければ、会ってはもらえた。だがそれも、フェリにしたら全く物足りない短時間で打ち切られる。最初、ルートが彼に対して怒っているのかと思っていた。だが、何度聞いてもそれは否定され、挙句彼のほうから「違うんだ。判ってくれ」とまで言われる始末。
 自分のことを怒っているかもしれない相手に、真正面からぶつかるのは難しい。それができる素直さが、ルート(と、菊)にもできないフェリの才能と言って良い。
 彼のひたむきさに、ルートは救われたはずだ。戦後、社交恐怖症がぶり返しそうになった菊を引っ張ってくれたのも、フェリだったのだから。

「……それで、寝室に?」
「押しかけちゃった。だって、すっごく心配したんだもん」
 ルートは、その頃他人の気配があると眠れず、仮眠さえ「あれは睡眠じゃなくて気絶」といわれるほどひどい状態だった。もちろんその眠りも浅く、警備をつけることもままならなかったという。
 ところが、フェリだけは彼の眠りを邪魔せずにそばにいることができた。
「俺は、前からルッツんちに通ってからね。ちょっとはマシだったのかな」
 フェリシアーノ流忍び込み術、とやらを再現して見せつつそう笑うフェリ。深夜こっそり訪れ、彼の入眠を確認してから部屋に忍び込む。
「ルッツに気づかれずに近づけるの、俺だけだったんだぁ。それで、後はルッツの寝息を聞きながら、一緒に眠ってたんだ」
 何故そこで『一緒に眠る』になるのか。
 そこがちょっと菊の理解を超えるところなのだが。また彼が息を止めるんじゃないかと心配だったのだろう。多分。きっと。
 当時、フェリも忙しかったはずだ。菊もまた、彼らと連絡を取れる状態ではなかったから、そんなことになっているとは知る由もない。
「ルッツはね、いつも我慢しすぎなんだよ」
 やや憤然としてフェリが言う。起きている時ならまだしも、寝ていてなお息まで止めてしまうほど、ため込まなくてもいいと彼は思う。
「寝ている時くらい、うなされるとか叫ぶとか寝言でぼやくとかすればいいのに。夢の中でまで我慢してるんだよきっと! 信じられないよ、ねぇ」
「あの人は、無自覚にそういう事しそうです」
「菊もそう思うよね? だから、みんなと仲直りして元気になった時は嬉しかったよ!」
 俺も安心して眠れるようになったしね! と、フェリは嬉しそうに言う。
「ルッツの隣で、ですか?」
「もちろんっ」
 輝く笑顔で即答されてしまった。からかったつもりが見事不発に終わり、菊は苦笑するしかない。
「でも、どうして俺だと大丈夫なんだろう? 俺、ルッツにとって空気なのかなぁ?」
 だから気にならないだけだったりしてね。と、フェリは呟いた。
 なるほど、自分のことは判らないものらしい。と、菊は思う。
 ちょっとへこんだ風情のフェリの背をなでて、「大事に決まってるでしょう。空気がないと、生きていけないじゃないですか」と囁いた。
「! そうか! うわぁ、菊ありがとう大好きだよ!」
 がばっと抱きつかれ、虚を突かれた菊はフェリの腕の中に収まってしまった。
「イイこと言ってくれて嬉しいよ〜。だから今度は一緒にルッツんちに泊ろう!」
「私では無理ですって。ルッツも困りますよ」
 菊が言うと、フェリは改まった表情で答えた。
「もう。菊ってば自分のことが判ってないよ。俺が保証するんじゃ、だめなのかなぁ」
 なるほど、判ってないのは自分も同じらしい。と、菊は再び思った。
 だからと言って、添い寝する気は全く起こらないが。フェリの腕を引きはがしながら、「そういうのは、苦手なんですよ」とだけ返した。
「まあ、いいや。明日はルッツもここに来るんだしね! 楽しみだな」
「そうですね」
 口には出さないが、改めて今の幸せを実感してしまった菊だった。

 終


PS.
 翌日、仕事の都合で日程がずれたルートが菊の家に着いた。

「貴方、どうしてフェリを寝室から追い出さないんですか?」
「……いきなりだな、おい」
「前から聞きたかったんですよ。それで、どうなんです」
「どうといわれてもな。大したことじゃないんだが」
「人生、些細なことの積み重ねです。塵も積もれば山になるんですよ」
「お前……今日はテンションが変だぞ?」
「良いから答えてください。貴方、彼のことを判っているんでしょうね?」
「いや、判らんな。なにしろ寝ながら泣くんだ」
「……は?」
「何だろうと思って起こしたら、『何で助けに来てくれないんだルッツの馬鹿』とか罵られたんだ。その上、翌朝自分の言ったことも、夢を見たことも忘れてやがったんだぞ」
「…………はぁ」
「忘れるくらいなら、いっそ思い出させる様な行為は慎むべきだろう。そう思ったから、以後問いただすのはやめた」
「………………」
「何しろ夢の中だからな。助けに行くこともできんし。まあ、隣にいてやるのがせいぜいだと思うと、追い出せなくなったんだ。
 夢はしょせん夢だが、見ている本人には容易に逃げられない現実だったりするものだ」
「ば…………しい」
「うん? 何か言ったか?」
「両想いならそう言いなさい馬鹿馬鹿しいっ。貴方たちときたら、本当に何なんですか! もう、私知りませんから!」
 足音高く部屋から出ていった菊を、不思議なものを見る目で見送るルートだった。
 不幸な(あるいは幸いな)ことに、彼は本当に判ってない。人間、やはり自分自身が最も深遠な謎なのかもしれない。




*なんでこんなことに(頭かかえ
 初めはふたりの『添い寝事情』を聞かされた菊が「何故、惚気を聞かなきゃらないんでしょう」とぼやく小ネタだったのに。眠れない裏事情とか考えだしたのが運のつきでした。長くてごめんなさい。
 そのせいか、菊がキレちゃったし。
 設定を特盛りにしたがる自分の癖を、なんとかしたほうがよさそうです(汗

 ルートが眠れなかった理由。
 フェリと会いたがらなかった理由。
 菊なら大丈夫な理由。
 ファンの方ならなんとなく予想がつく内容と思いますが、これらのネタはまた別に書かせていただきます(滅 あ。一応、彼らはカップルではありませんと主張しておきます。菊は誤解してるんです、多分。おそらく(笑。

 ルートの状態、『睡眠時無呼吸症候群』をモデルにしています。あくまで参考で、同一ではありません。ご注意ください。


Write:2009/09/03 (Thu) 08:52

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