君がアイツでアイツが君で
フェリシアーノはルートの家の台所で、元気に朝食を作っている。
「ルッツは〜濃い目。菊は〜薄い目。俺は〜ミルクたっぷり〜〜」 テーブルはすでにセッティングされていて、あとはこのコーヒーを持っていくだけだ。 「お〜い、コーヒーですよぉ、っと」 フェリが陽気に声をかけると、向かい合わせに座っていたふたりが同時に「ありがとう」と答える。 その時。なぜか一瞬、ふたりの姿がぼやけたような気がした。フェリは驚いて瞬きしたが、友人たちは視線をTVに戻してニュースを見ている。 特に変わった様子はない、のだが。 「?」 たった今の違和感を疑問に思いつつも、フェリはふたりの前に専用マグカップを置いた。 ふたりは視線をテーブルに落とすと、カップに手を伸ばす。フェリの目の前で、彼らの腕が交差する。 両者が相手の前にあるカップを手にしたのを見て、フェリの違和感は増す一方だ。 「あれ? 俺、間違えた?」 その声で、彼らも異変に気付いた。菊はルートの、ルートは菊のマグカップを持ったまま、お互いの姿を見て叫んだ。 「なんですか、これは」 「俺? いやまさか。なんだこりゃ」 二人共に立ちあがり、あわてて自分の体を点検している。それから気持ち悪そうに相手の体に手を伸ばし……。 「うわ〜、ちょっとふたりとも何してるのさ!」 無言で、お互いのほっぺを全力で引っ張りあうルートと菊。 泣いていいのか笑っていいのか判らない気分で、どうにかして止めようとするフェリだった。
「えっと。では確認します。名前を呼ばれた人は挙手して返答してください。……菊」 はい。と答えたのは金髪碧眼の筋肉男。 「……ルッツ」 Ja. と呟いたのは黒髪の小柄な青年。 「念のため聞くけど、ふたりで俺をからかってるっていうオチじゃないよね?」 「当り前だ」 「私にそんな趣味はありません」 ふてくされた表情で答えたのは、黒髪のほう。 困った様子で丁寧に答えたのが、金髪のほう。 「ああ。本当にお前たち、入れ替わっちゃったんだ」 なんでこんな目にあうのやら。と、三人のため息がハモった。 フェリはさっき感じた違和感について、一応説明した。ふたりの記憶は一部混乱しているが、それでも思い出せる限り回想して検証する。 どうも、そのタイミングで何かがあったのは間違いなさそうだった。 「また、ブリタニアエンジェルの悪戯かな?」 「あの人、そんなことしますかね」 前髪をかき上げつつ憮然と呟く菊(の姿をしたルート)と、両拳をそろえた膝の上に並べ、首をかしげているルート(の姿をした菊)。 まるで夢でも見ているようだ。と、フェリは嘆く。夢ならさっさと覚めて欲しいと切実に思う。 「まあ、いい。悪戯ならすぐに元に戻るだろう」 そう言って、部屋を出ていったのはルートだ。身体は菊だけど。ああ、ややこしくて仕方がない。大事なのは中身だよ。と、フェリは以後彼らを本来の名前で認識する事にする。そうしないと、彼の精神のほうが持たない。 「ねえ、菊。大丈夫なの?」 「と、聞かれましても。すぐに困る事はありませんが、なんとかしたいですね」 その、落ち着いた口調に少しイラつくフェリ。彼が文句を言うより早く、廊下を走る騒音が響いた。ばたん、とドアが開くと、青ざめたルートが何か言いたげに口を開閉している。 「どうしました」 「…………いや、やっぱりいい」 なぜかうなだれて、部屋を出ていくルート。さっき彼が走ってきた方向にあるのは、レストルーム。と、いうことは。 「ああ、出し方が判らなかったのかもしれませんね」 「何の話?」 「アレは、実はしまう方にコツがいるんです」 「だから何の話っ!」 「ですから、日本式下帯の……」 真顔で説明しようとする菊の口を両手でふさぎ、フェリは絶叫してしまう。 「ルッツの顔でそんな話、しないでよ〜」 大変だぁ、下着を買いに行かなきゃ! と叫んで部屋を飛び出したフェリを見送りつつ、菊が呟いた。 「意外と頑張りますね、彼」
「……ルッツ、いる?」 いつも勝手に乱入している彼の寝室の扉を、遠慮がちにノックするフェリ。返事があったので入室すると、バスローブに着替えたルートがベッドに腰かけていた。 「買い物に行かない? 着替えがないと、その〜。色々困るでしょ?」 言われたルートは、「ばれたか」と苦笑する。 困ったなら素直にそう言えばいいのに、と思いつつ、フェリは提案してみた。 「菊の身体でルッツのぱんつ履くと、ぶかぶかでしょ? 俺の貸そうか?」 現在の悩みまでずばりと見抜かれ、ルートは視線をそらした。 「俺が、菊の身体で、お前の下着を履くのか? カオスの極みだな」 あはは。と、フェリが気弱に笑う。 「で。買い物には菊も来るのか」 「ん〜と。『今すぐには困らない』みたいなこと言ってたけど」 でも、いつもとに戻れるか判らないんだから、一緒にいた方がいいと思うんだ。と、フェリは心配そうに言った。 「そうか。じゃ、着替えるから奴にもそう伝えてくれ」 わかった〜。と叫びながら駈け出したフェリを見送って、ルートは呟く。 「菊の奴、まだ音を上げないか」
とりあえず出かけた三人だったが。その道行は、思ったより困難だった。 壁や柱、看板など出っ張ったところにことごとく引っ掛かる菊。 階段はもとより、ステップや段差でいちいちつまずくルート。 イイ歳した大人がこけたりぶつかったりしているのだから、とにかく人目を引く。 「いっそ三人で肩組んで歩こうか」というフェリの提案は、ふたりから却下される。 何とか目的を済ませ、家に帰って時には三人ともぐったり疲れていた。 さらに。 「俺はそんなにかさ張るのか」と、ルートがへこむと。 「私、やはり足が短いんですね」と、菊がおどろ線背負って落ち込む。 お互い何か、見たくないものを見てしまったらしい。 「あ〜〜」 慰める言葉を必死で考えつつ、フェリはそっとルートの背後に回る。 「大丈夫だよ。え〜〜〜っと、ほら。新車に乗った時って車両感覚がつかめないものじゃない」 といいながら、『彼』の肩に両手を回してハグしようとして……。 腕の中の筋肉ボディが身震いしたのを感じた。 「あ!」 抱きつかれて赤くなっているのは、菊だ。身体はルートだけど。 「ほぉ」 向かい側に座ったルートが、冷やかな目線を向ける。いつも優しい表情しか浮かべない菊の顔で、『彼』は吐き捨てるようにこう言った。 「お前、俺の身体だけが好きなんだな」 瞬時に両手を上げ、飛び退ったフェリを見て(言い過ぎた)と反省したルート。 「すまん、ちょっと気が立ってた」 謝られても顔を上げないフェリ。彼は、自身が思ったより深く傷ついていた。 うつむくフェリを見て、菊はしばらく何か考えていた。だが、思い切ったように首を振ると「あの……」と声をかける。 そのとき。 「ルッツ」 小さな声で、フェリが呼びかける。ふたりは同時に「嵐の前の静けさ」という単語を脳裏に思い浮かべた。 いつもと様子が違うフェリが、何となく怖い。 フェリは振り返ると、ルートの目の前に歩み寄る。思わず腰が引ける彼に向かって手を差し伸べ、おごそかにこう告げた。 「悪かったと思うなら、キスして」 仕方ないな。と思ったルートは、彼に手を差し伸べる。が。 いつもよりずっと細い自分の腕を見て、我に返る。この腕でハグして、菊の身体でキスしていいのか? 思わず視線を向けたルートは、自分自身と眼が合う。 『耳まで真っ赤になって硬直している自分』という、およそ見たくないモノを目撃してしまった。 困った。いつの間にか窮地に立っていたルートの全身に、冷や汗が流れる。 「いや、あの。さすがにこれはまずいというか……」 「まずい?」 「そうだ。おかしいだろう。第一……」 さらに言い訳しようとするルートの声を、フェリの大声が遮った。 「そうだよ、おかしいんだよ!」 ルートの肩を掴んで、フェリがなお叫ぶ。 「おかしいに決まってるじゃないか! どうして二人とも、元に戻る事を考えないんだよ! どうして平然としてるんだよ! 図太いにもほどがあるだろっ」 俺もう耐えられない〜。と、べそべそ泣きながら訴えるフェリ。 繊細な彼に過重な負担を強いていた事にようやく気付き、かける言葉がない二人だった。
「まず、聞きたいんだけど」 フェリに言われ、ルートと菊は、そろって頷く。ふたりは今並んで座らされ、フェリは彼らの前で仁王立ちになっている。 「どうしてふたりとも、慌てなかったのさ。普通は焦って、何とか元に戻ろうとするものだろ?」 ふたりはそれぞれ視線を空に飛ばし、言いにくそうに口を閉ざしている。 「……まさかお前たち、変な趣味があるとか……」 「「それは違う」」 この返事は早かった。変な趣味とやらが何を指すのか知らないが、断じて認めるわけにはいかなかったようだ。 「じゃ、なあに?」 腰に手を当て、フェリはふたりの顔を等分に見る。 「答えて」 静かな声に圧力を感じるふたり。普段ヘタれといわれてようが軟弱と笑われようが、真剣に怒った人間には、必ず一種の迫力があるものだ。 「先に折れたくなかったんです」 答えたのは菊。それを聞いてルートも、渋々返事をした。 「菊が落ち着いているのに俺だけ騒いだら、負けた気になるじゃないか」 フェリは首をかしげて続きを待ったが、彼らの言葉はそれで終わりだった。 「……あの。まさか、それだけ? お互い、我慢してただけ?」 ふたりを凝視したフェリは、「信じられない」と呟いた。 「そんなことが、元に戻るより大事だったの? 訳わかんないよ俺!」 男の見栄や意地とかいうものに重きを置かないフェリは、ある意味とても実利的だ。彼なら真っ先に元に戻ることだけを考える。 本能に忠実な人間は、こういう時選択を間違えない。 「じゃ。その話は終わり。前向きに考えようよ」 半日の忍耐をあっさり切り捨てられ、ふたりは少しだけ情けなさそうな顔をした。フェリは気にする様子もないが。 「ええと、まずアーサーに聞いてみる?」 その言葉を聞いて、ルートが顔をしかめる。 「ちょっとルッツ。まさかまだ、変な意地張る気じゃないよね?」 まさしくそのつもりだったルートは、低く唸った。アーサーに「呪いを解いてくれ」と頼む? 冗談じゃない。 「私が連絡してみます」 菊は慣れた様子で国際電話をつなぐ。アーサーの番号を暗記しているらしいと知って、ふたりは少し驚いた。 「Hello. アーサー? 本田です、お久しぶり……」 「あの、菊? ちょっと待って」 フェリが止めるより早く、受話器の向こうからどなり声が聞こえた。 「おいこらルートっ! 菊の口真似なんかするな気持ち悪いっ! 俺は仕事中で忙しいんだ。いたずら電話につきあう暇はねえっ!」 がちゃん。つーつーつー。 菊が耳を押さえる暇さえない、電光石火の罵倒だった。 「あ〜。やっぱりね」 受話器を握ったままぼうぜんをする菊を、フェリが気の毒そうに見る。 「そう言えば私、今はルッツでしたね」 「だから言ったじゃないか! ほらぁ、元に戻らないと困るでしょ?」 やっと話が通じた。と言わんばかりにフェリが安堵のため息をついた。 「だが、一つわかった。奴は犯人じゃない」 「そうだね。あいつがやったんなら、絶対今の電話で自分から喋ってるもん」 自分の魔法が成功したと知ったら、「英国魔法の威力、思い知ったか」くらいの事は言わずにいられないはずだ。 「フェアな人ですからね」 と菊が言う。それは誉めすぎだろうとルートは思うが、口にはしない。 「でも、アーサーじゃないとすると後は……」 こういう、わけのわからない悪ふざけをしそうな人物と言えば。 「あ。いるじゃんぴったりの人! うわ〜どうして俺思いつかなかったんだろう!」 フェリの言葉で、ふたりの頭に同時にある人物が浮かぶ。 「「……イヴァン……」」 ああ、くそっ。あいつの事は思い出したくなかったんだ。と、ルートの口からルートの言葉がこぼれた。 まったくです。と同意する菊の言葉も、菊の口から発せられた。 「あれ?」 フェリがふたりの顔を交互に見る。 「ねえちょっと、もう一度喋って」 だが、彼が問うまでもなく彼らは自分で自分の状態に気付いた。半日前と同じく身体を触ったりして慌ただしく確認して。 「……何故だ」 「元に、もどってますね」 「なんだかよく判らないけど、元に戻ったんならいいんじゃないの」 フェリが笑顔を向けると、そこには険しい表情の二人がいた。 「いいわけ、ないだろう!」 「原因追究しないと、気持ち悪くて今夜眠れませんっ」 結果良ければすべてよし。のフェリがあきれて見守る中、ふたりはまずイヴァンの電話番号を探すことから開始する。 「お前たちって、似てるよね」 感情スイッチの入るポイントが、ほとんど一緒だよ。とフェリが呟いた。
「やあ、いつも無駄に元気そうだねキミは。え? 何? 呪い?」 開口一番イヴァンを責めたルートに、彼はのほほんと答えた。 「うん。僕がやったよ。どう? 面白かった?」 「面白いわけないだろうがっ!」 怒鳴るルートから受話器を取り上げ、菊が代わって文句を言う。 「あはは。物置整理してたら、呪いの書を見つけてね。だから試してみただけだよ」 珍しく激しい口調で抗議する菊の言葉を、馬耳東風と聞き流すイヴァン。 「ふたりが僕を疑ったら解けるようにしておいたから、もっと早く連絡が来ると思ってたんだけどね。 そうかぁ、半日も僕の事思い出さなかったんだ。あ、それとも意外と困らなかったのかな?」 つまらないなぁ。と笑われて、菊は返答に詰まる。これでかさねて文句を言ったら、調子に乗ってまた変な呪いを仕掛けられそうな気がする。 「心配しなくていいよ。効果は判ったから、もういいや。ご協力ありがとうね」 コルコル☆っと笑いながら、イヴァンは一方的に通話を切った。
一件落着して、三人はぐったりとソファに沈み込む。 「とりあえずコーヒーでも淹れようか?」 フェリが声をかけると、「俺はビールにしてくれ」「私もコーヒー以外のもので」とくたびれ声が返ってきた。 とりあえずビールとジュースを用意して居間に戻ると、ふたりが何事か相談していた。 「ああチクショウ。いっそミサイルブチ込んですっきりさせたいっ」 「それは無理な相談です。我が国には呪い返しという秘術がありますので、そちらを検討しましょう」 それぞれの前にコップを並べながら、フェリがこっそり呟く。 「お前たち、結構しつこいんだね」 そう言うと、ふたりが同時にフェリに答えた。 「お前(あなた)が嫌がったから、対策を検討しているんだ(です)!」 「あ〜。そうだったんだ」 喉元過ぎれば熱さ忘れるタイプのフェリには、予想外の返事だった。 素直に自己防衛って言ってもいいのに。これも「男の意地と見栄」ってやつなのかな? と、フェリは呆れる。
その後。ルート宅の壁に謎の紙片がひそかに張り付けてあるのをギルが発見し、「何の呪いだこりゃ?!」とひと騒動持ちあがったのだが。 それはまた、別の話。
終
PS. 「そうか。あの呪い、効いたんだ」 電話を切って、イヴァンは呟く。 「あれ、発動条件が面倒だから無理だと思ったんだけどな」 だからこそ面白がって、あちこちに呪いを飛ばしたのだが。成功したのが彼らだけだった事を、教えるつもりは毛頭ない。 彼の国には、聞かれもしない事を教えるというサービスはないのだ。 「呪ったふたりがその時、ごく近い思考をしてないと無理なんだよね」 どの辺までのシンクロが求められるのかが、不明だった。その辺を追求してみたい気もするが、逆にいろいろ探られると面倒なのであきらめよう。とイヴァンは思った。 「残念。本当に効くなら目の前で見たかったのに」 もっとも大きな発動条件が星辰の動きなので、次の機会はずっと先になる。 「まあ、いいや。次は何して遊んでもらおうかな」 楽しそうに一人で笑うイヴァンだった。
*下着の話の辺りで、褌の締め方を嬉々として語り……途中で我に返りました。あぶねーあぶね。 菊をセクハラ親父にしてしまうところでした。 駄目よ自分。落ち着け自分。 合言葉は自重。
Write:2009/10/13 (Tue) 18:35
|
|