とっぷてきすとぺーじ短編 本文へジャンプ


きみだけにできること



 ルートが突然フランに電話をかけてきたのは、10月に入ったばかりのある日のことだった。
「よお、珍しいね。お前から私用電話なんてさ」
 フランが言うと、ルートはああ、とかうむとか口ごもる。電話に限らず連絡してくる時はほぼ公用。常に要件がはっきりしている彼が、こんな風に言い淀むのは本当に珍しい。
(……明日は、槍でも降るのかな?)とか考えていたら、ルートが一気に言葉を発した。
「実は相談したいことがある。お前の家に行っていいか?」
「わお。それは天下の一大事」
 電話越しに、ルートがムッとしたのが伝わって来る。だが彼は文句も言わず、フランの返事を待っているようだ。
 軽い口調で茶化してみたが、フランも内心あわてている。
(ルートが、俺に、相談? しかもやつのほうから出向くって?)
 何が起こったんだ? 地底人が攻めてきたとか、魔界のふたが開いたとか。そんなファンタジーなことを考えてしまうくらい『あり得ない』話だった。
「いいよ、今夜なら空いてるけど来られるかい?」
「わかった。ありがとう、フラン」
 硬い声が答えて、ぷつんと電話が切れる。受話器を握ったまま、茫然とするフラン。
(何なの彼。あんなに煮詰まって持ち込む相談なんて、ろくなもんじゃないよ)
 ヤバそうだよねぇ。引き受けるんじゃなかったなぁ。などと思っても、何があったのか気になって今更断れない。
 それに正直、ルートから相談を持ちかけられること自体は悪くない。向こうから頭を下げてくるんだから、いいんじゃない? という気持ちがわきあがり、フランは我知らず心が浮き立ってきていた。


「やあ」
 その日の夕刻、ルートはフランの自宅にたどり着いた。
「思ったより早かったね。まだ掃除の途中だよ」
 フランが笑いながら迎え、「泊っていくだろ?」と告げる。ルートは戸惑ったように瞬きをして、答えた。
「それは助かるが……いいのか?」
「いーよいーよ。今夜はたまたまデートの予定もなかったことだし。まあ、つっ立ってないで入れよ」
 機嫌のよさそうなフランに、妙なものを見たという表情を向けるルート。
 彼が上機嫌になる理由が分からないのだから、無理もない。(不機嫌よりはいいだろう)と結論付けると、ルートはフランに紙袋を押しつけた。
「みやげまであるの? って、おい。フランス人にドイツワインとは、怖いもの知らずな野郎だね!」
 袋から出てきたのは、自家製っぽいそっけないラベルが貼られた緑色の瓶。だが、それらを一目見ただけで、フランの目が輝いた。
「黒の森地方で、醸造家が自分用に作っている赤ワインを譲ってもらった」
「ああ、わかるよこれ。珍しいねぇ。流通には乗らないから、めったに手に入らないんだよ」
 嬉しそうに瓶を抱くフランを見て、ルートの表情も少し緩む。そして、袋から次々に食材を取り出し始めた。
「キッチン、借りるぞ」
 言いながらすでに食器棚を開け、皿を取り出すとそこに切ったハムやサラミ、チーズなどを並べ始めた。
「お前、なにをしてるのかな?」
「相談に乗ってもらうんだから、これくらいはさせろ」
 ドイツ風夕食、カルトエッセンだ。密閉容器に入れて持ち込んだサラダも数種類ある。
 いやぁ、甲斐甲斐しいよね。こういう律義で真面目な弟がいるといいかもしれない。そう思いつつ、心の片隅に重いものがたまってくるのを実感する。
(外食を避けたいほど、内密な相談なわけね。俺ちょっと、奴の信頼が重いよ)
 その重さがいやじゃない自分に気づき、苦笑するフランをルートが不思議そうに見ていた。


 フランがワインをデキャンタージュし、できた料理(と言うほど手の込んだものではないが)をルートが居間に運ぶ。
 彼の家にはやたらと物が多い。長い時間を生きているから、その間にコレクションした膨大なあれこれが、この家には詰まっている。
 だが。フランの審美眼に適った物だけが並んでいるせいか、雑然としていても統制がとれている。不思議なほど落ち着いた雰囲気さえ感じさせる。
(まるで、この男そのものだ)と、ルートは思った。
 グラスにワインを注ぐと、芳香がこぼれる。フランのワイン遣いは絶妙だ。飲みごろにひらいた赤ワインを賞味しつつ、まずは当たり障りのないネタから会話を始めた。
 どうせなら飲み比べよう。とフランが言い、自分のお気に入りを何本か出したあたりから場の雰囲気はぐっとくだけてきた。
 フランが最近の恋愛歴を披露し、「お前はどうなんだよ」と絡んでも、ルートは嫌がりもせず「一方的に交際を求められ、一方的に振られた話」を告白した。
「不器用だよね、お前。そういう時は振られる前にやることやっとかなきゃ。どーせ手も出さなかったんでしょ」
 図星をつかれて、ルートはむっつりと頷いた。
「え。どーしたの素直じゃない。もしかして相談事って、そっち方面? 好きな人ができたとか?」
 それなら得意分野だ。どんなシチュエーションでも対処してみせるよ。老若男女どんと来い。そう思ったのは、むしろフランの願望。それならルートをからかいつつ、朝まででも気楽に話ができる。
「いや。それなら兄に相談する」
 しかし。ルートは一言で、フランの希望を断ち切った。
(うわ。ギルにも相談できないって? そんな面倒な悩みっていったい何なんだ)
 自問に対する自答は、光の速さで降って来た。ギルに相談できないなら、それは……。
「ああ。そうか。お前、ギルのことを聞きに来たんだね」
 ルートが、うつむいたまま小さく頷くのが見えた。
「なるほどね。それで俺のところか」
 フランが先回りして言うと、ルートはため息をついた。重い荷を下ろすように、深く長く。
(いいよなぁ兄弟)
 こんなに真剣に身を案じてくれる存在。自分にもどこかで持てたかも知れない存在。だが彼らの手と心には傷だけが残り、親しいと言える相手もわずかだ。
 とりあえず、次に会ったらギルは殴ろう。ついでにトーニョも殴っておこう。そう決めたフランは、心を落ち着けてルートの話を聞く態勢に入った。


「兄は、俺のところに帰ってきてくれた」
 ぽつぽつと語るルート。彼の短くない人生の中でも、これよりうれしい出来事はないはずなのだが。
 ルートの表情は、暗い。
「うん。あれは感動だったよ。長生きはするもんだと思った」
 1989年11月9日。市民自らの手によって壊された壁と、抱きあう東西市民。あの瞬間、すべてのドイツ国民が兄弟だった。
 もちろん、現実というやつはそんなに甘くない。一時の興奮が冷めた今、ルートは津波のように押し寄せる難題と日々戦い続けているはずだ。
 だが、ルートの悩みはそんなことではないだろう。彼は明確な目標があれば、それに向かって努力することにむしろ喜びを見出すタイプだ。
「なあ、フラン。お前なら、滅んで消えてしまった国もたくさん知っているだろう」
 慎重に選ばれた言葉を、内心緊張しながらフランが聞く。
「まあな。ブルクンドなんて、影も形もないよ」
 かつてフランの隣人だった名前を挙げてみる。古い家系だったのに、削られるように消滅してしまった国。
「……やはり、国がなくなったらその……消えて、しまうのか?」
「いやぁ、どうだろう。お前んちの兄弟、元気に暮らしてるみたいだけど?」
 フランが明るく言うと、ルートは緩く首を振る。
「彼らは国民に望まれている。だけど……」
 マックスにしてもそのほかの兄弟にしても。彼らの国はもうないが、そこに住まう人たちは今でもその名を、その文化歴史を愛している。
 だが。
「プロイセンを望む人間は、もういない。あの時、西へ流れる奔流の中で俺はそう感じた」
 俺は、また兄を失うのか? ほとんど声にならない呟きは、それでも確実にフランに届いた。
 しかし、にわかには答えられない。人の寿命がそうであるように、彼ら自身が望んで生死を決められるわけではないのだ。
「兄と暮らしているうちに、別の疑問もわいてきた。もしかしたら……俺の執着が、消えるはずだった兄をひきとめてるんじゃないかと」
 低い声は祈りにも似ている。固く握った両拳に額を押し当てて呟くさまは、まるで懺悔だ。
「……俺は、間違ったことをしてしまったんじゃないか?」
 それもまた、正解のない問い。一度疑問の迷宮に落ち込んだら、抜け出すのは容易ではない。
(ギルが自分に執着しすぎて消えることができない。とは、考えないのかな)
 フランが知るギルの性格だと、そちらのほうがまだありそうだと思う。比較的、というレベルだが。こんなことを言うと彼を更に悩ませそうなので、口にする気は無い。
「そうだね。お前の気持ちはわかるけど、消えないという保証はできない。それは解るよね?
 たとえばさぁ。フランク王国やローマ帝国が今でも幅を利かせていたら、どうよ。困るだろ?」
 そんな話をすると、ルートの大きな体が震えた。なぜかしばらく間があったが、それでも彼はしっかりと頷く。
「よし。次に、お前がギルをひきとめてるって話だけど」
 ごくり、とルートが息をのむ気配。フランは身を乗り出し、彼の肩に手をおいてこう告げた。
「そんなわけ、ないでしょ? 馬鹿だねえ。お前いつから神様になったの」
 明るい口調で言い切ったフラン。
「……そんな方法があったのなら、俺がとっくに試している」
 ぽつんと付け加えたそのひと言で、ルートがはじかれたように視線を上げる。
 フランはにこりともせず、彼を見つめていた。肩にかかる手が力強く、重い。
「お前は欧州の長老格だから、いろいろ知ってるだろうと思ってた」
 そう考えて相談に押しかけたルートだったが。
 知っているということは経験したということだと、ルートは今更のように思いいたる。
 すまない。と、うめくように声を出すルート。いいよ。と答えるフラン。
「いっそギルに聞いてみるかい? 『根性で居座ってる』とか言われても、俺は驚かないけど」
 それを聞いたルートが、声をあげて笑った。
「そうだよな。兄は誰が何と言おうと、自分の思うままにしか動かない人だった」
「だろ? 悩むのが馬鹿馬鹿しくなった? だからお前も、お前の好きなようにすればいいんだよ」
 好きに? と首をかしげるルート。
「お兄ちゃん遊ぼう! って甘えるとかさ。仕事しろって叱ってもいいし、喧嘩したっていいんだ。つまり……」
 にんまり笑って、フランは言った。
「愛してくれ」
 そう言ったとたんにルートの身体が、フランの手から逃げる。反射的にソファの背を乗り越えるほど後退したルートを見て、フランが嘆いた。
「おいおい酷いな。俺は真面目な話をしているんだ。ドン引きは失礼でしょ」
「……俺が年長者への敬意を覚えているうちに態度を改めないと……」
「だから聞けって! 何勘違いしているんだよお前。弟として! 兄を! 愛してやれって言ったんだよ!」
 ぽかんと彼の話を聞いていたルートの顔が、赤くなる。若いよねぇ。とフランは苦笑してしまう。
「ギルはもう、国じゃないかもしれない。でも、それならもう奴には、領土も戦も勝利も、必要ない」
 再びソファに座りなおしたルートの頭を軽く撫でて、フランは続ける。
「必要なのはもう、愛だけだ」
「……よくそんな恥ずかしいセリフをつらつらと口にできるな」
 赤面し、少なからず本気で嫌がっているらしいルートを見て、フランは楽しそうに笑った。
 こいつと、こんな話をできる時代が来るとはね。
「だが、自分がいかに的外れなことで悩んでいたのかよくわかった……と思う。感謝する」
「感謝の気持ちは、態度で表わしてほしいなぁ」
 そう言いながら、フランは自分の頬を指さし「何か」をアピール。
「お前がいつもそういう態度だがら、俺が勘違いしたんだろ!」
「まて! 俺が欲しいのは拳じゃないっ」
 年長者の取るべき態度について云々。拳の代わりに眦をつり上げたルートの話はいつまでも続く。
 ギルに先駆けて、ルートから朝まで説教を食らいまくったフランだった。

 終



PS.
「この屋敷なんだけどね。いつ立てた様式か、わかるかい?」
 突然フランがこんなことを聞いた。
「あまりそういうことは詳しくないが……19世紀初頭くらいか? でも建物自体は新しいと思う」
「そう。お前んちの軍隊に破壊されたのを、修復した」
 ルートの片眉が跳ね上がる。
「不思議だよね。お互いの喉笛に食らいつくような戦いを続けていた俺達が、こうして酒を酌み交わしてる」
 そう言いながら、ワインの瓶口をルートに向けるフラン。ルートもグラスでそれを受ける。
 少し前なら、彼に向けられているのは瓶口ならぬ銃口だった。
「知ってるか? まもなく英仏海峡トンネルが開通する。俺とアーサーの足もとが繋がるんだぜ? 昔の俺なら、絶対信じなかったよ」
 因縁の相手にして、先の戦いでは同盟だった国。その話をしている相手は、当時の仇敵。
「これが、平和ってやつなんだね」
 最近少しだけ、実感がわいてきたよ。と、フランが笑う。期せずして二人のグラスが持ち上がり、軽くぶつかった。
「―――――平和に、乾杯」




*ローマ帝国は、神様の国で隠居してます。そのはずです。ねえ(汗
 フラン兄ちゃん、すっかり欧州のご意見番みたいになってます。
 落ち着いた大人として書きたかったのですが、いかがでしょうか。
 ルートがグネグネ悩む事を、フェリなら直接本人に聞いてしまいます。
 そんな話が先に書いた「かぼちゃのじかん」です。
 かぼちゃ〜は、この話の直後です。菊をびっくりさせた抱擁シーンは、フラン兄ちゃんが原因です。

 壁崩壊をテーマに少しひねった話を書きたかったのですが、ひねりすぎた気もします。
 私なりに、気持ちを込めてみました。平和に、乾杯。

Write:2009/11/09 (Mon)

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