遠き地に日は落ちて
新外務大臣の初訪米に伴い、菊が新大陸に着いたのは初秋のこと。彼が応対する相手はごく少数だが、その限られた相手がことごとく重要人物なのだから気が抜けない。 その間を縫って、気分が高揚してハイになったり反動で沈んだりと忙しい上司の話相手も務めて。 菊の仕事はいわばオブザーバーで、彼自身は何かを決めたりまとめたりする権限はない。だからこそ一種の生き字引的役割を求められ、彼の仕事は尽きることがなかった。 そんな忙しい訪米期間もようやく終わり、明日には帰国となったその日。菊は一日限りの休みをもらうことができた。 「休憩なら、帰国してから取れますから」と本心から告げたのだが。周囲の人間、特に米国関係者はその発言を「遠慮」と受け取ったらしい。 「遠いところを来てくれたのだから、ぜひわが国を観光するべきだ。一日程度ではとても時間が足りないが、貴君が望むなら便宜を図る用意はある」 いつものことながら、この国の人は率直だと菊は思う。ついでに届いた一ダースに及ぶ「観光お勧めコースガイド」は、この国の自信が随所にのぞいてきらびやかなほどだ。 さあ感動しろ! と言わんばかりの尊大な解説はさておき、確かにホテルで無為に過ごすのももったいない。そう思った菊はチェックアウト後荷物を預け、スミソニアンに行ってみようかと考える。 フロントに地図をもらい、一歩ふみだした彼の前に人影が立ちふさがった。 「やあ。お待たせ!」 約束はおろか、そもそも来るとさえ思っていなかった人物が目の前にいた。 「あなた……。なぜここに」 「君、今日は休みだって? どうして連絡してこないんだよ。遠慮しなくていいんだぞ」 腰に手を当てた青年は、快活に笑う。そういう態度がナチュラルに似合う、彼の名はアルフレッド。 菊と同じ「国の化身」たる彼だが。アルほど国の印象をそのまま体現している人はいないと、菊はいつも思う。 「あなたは今、お忙しいとばかり。観光なら一人で回れますし、お手をわずらわすほどのことは……」 暗に「呼んでないから帰れ」と言ったのだが、もちろん通じない。菊も伝わらないと思うから口にできる。 そんな菊の顔を見おろして、アルはにこりと笑った。 「まあ、間に合ってよかった。じゃ、行こうか」 言うなり、菊の頭にゴーグル付きヘルメットをかぶせる。首にマフラーを巻いた上にやたら大きな革ジャンを着せると、満足そうな表情を見せた。 最後に皮手袋を渡し、「こっちだよ」と歩き出す。 (拒否権なしですか) アルはいつもこんな感じだ。拒否するなら最初の最初にやっておくべきだったと、菊はそっと溜息をついた。 いつものフライトジャケット姿について駐車場に出ると、そこには巨大なボディのバイクが停車している。 ハーレーダビッドソン。アメリカが誇り愛する大型バイク。 「…………」 なんですかこれは。という言葉を、菊は口の中で飲みこんだ。 「どうしたんだい。さあ、乗って」 長い脚でハーレーにまたがり、フルフェイスをかぶったアルが手招きする。 「こんなものに乗れと? あなたに敬老精神はないんですか」 「大丈夫だよ、安全運転するから!」 やはり話が通じない。菊はあきらめの心境でタンデムシートに座る。どこに捕まったものかと背後の手すりに手をまわしていると、「俺につかまってくれたほうが、安心なんだけど」とアルが言った。 もう、どうにでもなれ。という心境で、アルの胴体に腕を回す菊。 「しっかり指を組んで、しがみついて!」 その言葉は半ば、エンジンの轟音に飲み込まれていた。
大陸とはよく言った、と菊は改めて思う。 バイクに乗り(というよりも乗せられ)、ろくに街もないような一直線道路を走り続ける。たまにガソリンスタンドを見つけたら給油し、ついでに少し休む。 アルは目の前でハンバーガーやホットドッグを食べているが、菊はとても胃が受け付けない。スタンドの店主が苦笑しながら作ってくれたホットミルクを、舐めるように口にするのが精いっぱいだ。 「君、もう少し食べたほうがいいんじゃないか? だからいつまでたってもちっぽけなんだよ」 「所詮島国ですから。あなたのサイズになるのは無理ですよ」 口調が皮肉っぽくなるが、アルは「そりゃそうだけど。もう少し太ったら領土も増えるかもよ?」と平気で笑う。 暗に過去の自分を皮肉られたのかと勘繰ったが、彼は平然と立ち上がって「さあ、行こうか」と手を差し伸べた。 「タンデムは普通もっと疲れるんだけど、そうでもないな。君、バイクに乗れたっけ?」 「これは乗ったことがありませんが、国産車に少し。それに、乗馬なら慣れています」 背後の人間がバイクに不慣れだと、体重移動時に余計な負担がかかってドライバーが疲れる。その負荷をほとんど感じさせないということは、菊がそれなりに熟練している証明になる。 (それにしても、どこまで行く気なんでしょう) もう、何時間走り続けているのだろう。それでも彼らはまだ、東部を抜けていないという。 少しだけ、お釈迦様の掌にもてあそばれる孫悟空になった気持ちがする。そんな菊だった。
アルがバイクを止めたのは、周囲に全く何もない、荒野の一角だった。赤茶けた大地と青い空。 地平線の向こうへ延びる白い道路。それ以外に目に入るのは、岩とサボテンくらい。 「到着だ」 そう言われて菊は戸惑う。時刻は間もなく日没のはず。こんな、人の気配さえない所にいったい……。 「なにも、無いように見受けられますが」 菊が疲れた声で呟くと、アルは人差し指を振って「ちょっと待って」と答えた。 バイクのサイドバッグからサーモポットを取り出し、蓋にコーヒーを注いて菊に手渡す。 彼はどうするんだろう。と菊が気にしたが、アルはポットに口をつけて直飲み。こういうところは実に大雑把だ。 「ほら見て。日没だよ」 指さす先では今まさに、夕日が大地に触れようとしていた。地平線に日が没するところを、菊は初めて目にした。 瞬きもせず見入っている菊を、楽しそうに見ているアル。 「期待通りの反応だ」そう呟いて、菊の手からコーヒーをそっと取り上げる。それさえ意識しないほど、菊は夕日に集中していた。 日が没しきるまでの長い時間、ふたりは黙ったままだった。 「君は本当に、太陽が好きなんだ」 アルに声を掛けられて、菊は我に返った。彼の隣りでここまで無防備をさらした自分に驚いてしまう。 「山の向こうに沈む夕日は見られても、地平線に太陽が飲み込まれるところは見たことがないだろうと思ってさ。 君が驚く顔なんて、めったに見られないから楽しいよ」 自分の思惑が当たったアルは、機嫌がいい。彼から再び渡されたコーヒーを無意識に受け取った菊は、ぼそりと呟いた。 「別に、太陽が好きというわけではありません」 「そう? だって前に、わざわざ日の出を見に行ったじゃないか。寒いのに早起きまでしてさ」 国旗がアレだし、君は太陽が大好きなんだと思っていたよ。と、アルは呑気そうに笑った。あの時、初日の意味を説明したはずなのだが、記憶にとどめていないらしい。 それでも、彼なりに菊の喜びそうなことを考えてくれたのだ。そう思わざるを得ない。菊は小声で「ありがとうございます」と伝えた。 「でも、それならいつも通り車で良かったのでは?」 ほぼ半日を走りとおすのは、いくら体力自慢の彼でも大変なはず。そう思った菊が問う。 「だって。君、二人っきりになったら喋ってくれないじゃないか」 「え?」 意外な返事に、戸惑う菊。アルはコーヒーを飲み干すと、珍しい小声でつぶやいた。 「車中でずっと黙っていられるくらいなら、最初から喋れない状態のほうがましだと思ったんだ」 「それは……そうですが。あなた、いつも自分ひとりで喋っているじゃないですか」 いつもの彼は、菊が口を出す必要もないほどのマシンガントークだ。よくネタが尽きないとあきれるほど、自分のことがほとんどを占める。 そしてそれは菊への気遣いというより、彼が喋りたいから喋っているにすぎない。菊はそう思っていた。 「たまにはそういう気分の時も、あるんだ」 「あなたが、喋りたくない気分?!」 何それあり得ない。という本音が、包み切れずにこぼれたと菊は思った。だが、アルは照れたように笑うだけだった。 「うん。何も言わなくても一緒に居てくれる人に、心当たりがなくってね」 「私だって、否応なく連れてこられたんですけど」 抗議のつもりのその言葉は、生ぬるい苦笑に飲み込まれてしまった。止めようにもとまらない忍び笑いが、菊の口から洩れる。 アルも最初は拗ねた表情を作ったが、すぐに一緒に笑い出した。 「ヒーローは、孤独だよね」 疲れを知らない国と言われ続け、彼自身もその気になってがむしゃらに前に進むアル。走りだしたからには、止まることは許されない。そんな決まりでもあるかのように。 ごくたまに気付いてしまう。誰も彼に「走れ」などと言わないことに。 「アルフ」 凛とした口調で、菊が呼ぶ。 「孤独で結構でしょう。あなたのそのデカい図体で甘えられると、こっちがつぶされるんですよ。いい加減、自覚してください」 ぴしりと言い切られ、さすがのアルも言葉を失う。すると菊の表情が、ふっと緩んだ。 「今のあなたを甘えさせてあげることのできる国は、どこにもありません。……大変なのも、無理はないと思います」 アルの負担を一時でも肩代わりできる相手は、居ないということだ。菊は彼を見上げて、少しだけ微笑んだ。 (誰にも「助けてくれ」と言えないアルフ) アルフは米国で人気のTVキャラクターだ。いたずら好きで食いしん坊でわがままな、宇宙人。そのドラマを見た菊が「あなたみたいですね」と言い、ごくたまにその名で彼を呼ぶようになった。 どうせならもっと恰好のいいあだ名にしてよ。とアルは抗議したが、菊は笑ってとりあわなかった。 「あなたはよくやってます。私がこの国だったら、とっくに四分五裂させてますね。 この複雑な国をまとめているあなたは、すごいと思いますよ」 これを言われたのがギルなら、「よく判ってるじゃねえか! もっと俺様をほめたたえてもいいんだぜ」くらいのことは言うだろう。 だが、アルはきょとんとしている。力が余り気味で常に先頭切って走ってしまう彼は、どういうわけか褒められることがあまりない。だから。 「おだてたって、何も出ないぞ」 こんな反応になるのだろう、と菊は思う。 「そんなつもりはないのですが」 「口先は丁重なのに、君は俺の言うことをちっとも聞かない」 「これ以上ないほど聞いてるじゃないですか」 聞く耳持たないのは、いつだってアルの方だ。 「可愛くないよね、ジュニアサイズのくせに」 え? と菊が問い返すと、アルが菊の着ているジャケットをつまみあげる。 「ほら。俺の服がぶかぶかだよ。メットとグローブはサイズが合わないと危険だから、バイク屋の息子のを借りてきたんだぞ」 息子とやらの年齢を聞く気はなかった。菊がしかめっ面をしてみせると、アルはにやりと笑う。 「だから、早く大きくなってよ。俺と並ぶくらい」 爽やかに無茶を言う。少しは本気なのかもしれない。と菊は苦笑してしまう。 「でなきゃ、いっそ俺をお兄ちゃんと呼ぶんだ! そうだ、そうしよう!」 「夢見る目つきで何言ってるんですか。断固お断りします」 ちぇー。と呟いたアルは、サイドバッグから今度は大きめの機械を取り出した。 「なぜ、ハンドトーキー?」 菊の言葉に構わず、アルは機械に向かって喋っている。 「ああ、いいよ迎えに来て。座標は……」 迎えって、誰が来るんでしょう。菊は何となく嫌な予感がする。一方的に喋ったアルは、トーキーをオフにするとその場に放りだした。 「すぐ来るってさ」 「……どなたが?」 「陸軍のヘリ」 「は?」 驚く菊を楽しそうに見て、アルは「だって、今からバイクで帰るの大変じゃないか」と答えた。 「まさか、軍のヘリを私用で?」 「いやぁ。俺道に迷ったんだよ。あ、だから君も話を合わせてね」 「迷う? この果てしない一直線道路でどうやって?!」 私は共犯ですか。そう呟いて頭を抱える菊の背を軽くたたいて、アルはやたらご機嫌な口調でこう言った。 「共犯はいいな。よし、また何か考えておこう」 はっはっは。などと陽気に笑うアルから距離をとりつつ、菊はこっそり呟いた。 この人の相手は大変です。なにしろ、常識もこちらの言葉も通用しない。本当に困った『アルフ』ですよ。 困ったと言いながら、笑いがこみあげてくる菊だったが。
冬にアルが来日した時、とんでもない悪戯の共犯にされてしまう未来が待ち構えていることなど、知る由もなかった。
終
*やっと、アルをメインに書けました。彼は本当に難しいです。 書いている間ずっと「こんな人だっけ?」と疑問だったのですが。 もういいです。もう知らない。うちのアルはこんな人なんだ(涙
ずっとキャラがつかめなくて悩んでいたのですが、「菊が彼をアルフと呼ぶ」という設定ができてなんとか動き出しました。 とにかく「大物」のイメージは外せない。フランやイヴァンとはまた違う、大人であり子供である人。 お兄ちゃんと呼んで! と言い出した時には、またしても椅子から落ちるかと思いました。 彼は常に私の斜め上を行きます。
舞台は最初、現代でした。訪米する外務大臣は、岡○氏だったり。 しかし、話が生々しくなったのでその設定は無しになりました。 アルフはNHK教育で放映しているホームコメディです。あれって、初放映いつなんでしょう。 すいません、あまり気にしないで頂けるとありがたいです。
独伊が夏休みに日本に遊びに来る話はすでに書きましたが、アルは冬期休暇(クリスマス明け)に来日します。 本人は意識してない(らしい)けど、梅雨ごろ日本に逃げてくる誰かとぶつからないよう、いつの間にかそうなりました。 菊は中国大陸で『大地への日没』を見ているかもれません。 私には多分書けないんで、そんなものかと流していただけると幸いです。
Write:
2009/11/15 (Sun) 10:08
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