ゆびきり。
それはまだ、ルートが『日本という国』をよく知らない頃のお話。
日本という、ロシアよりまだ極東にあるという小国が訪ねてきたのは、彼の兄が戦いと交渉でドイツ帝国を立てたばかりの時期だった。
つまり、ルートが世界デビューしたばかりの頃。
彼自身は兄から「いずれドイツになる男」といわれて育ったから、自覚を持ってすべてを受け入れた。彼のような成長パターンはむしろ例外だと後に聞いたが、そんな事を知る術はなかった。
彼の周りは大人ばかり。しかも兄の方針で誰もが彼を一人前として扱った。扱われる以上は「そうあらねばならない」と思いこんだ真面目少年は、日々大人の事情に振り回されながら必死に「ドイツであろう」としていた。
そんなある日、「建国したばかりの国にふさわしい憲法作りを学びたい」と訪ねてきた国があると聞いた。
新しい国なら、自分と歳も変わらないだろう。きっと、判らないことだらけで不安だろう。 その上、特に親しい国もないという。なら、この動乱激しい欧州を見て、心細い思いをしているかもしれない。 そう考えたルートは、こっそりその『国』に会いに行くことにした。
日本、が訪ねてきたのはプロイセンだった。
そのため、彼らへの対応は元普国の官僚や学者があたっていた。後進国への対応などそれで十分だと誰もが思ったらしい。
国家行事の一環として、帝国へ謁見の機会くらいは与えよう。両国の間には、それ位差があった。
うかつなことに、誰も「少年ドイツが同じ年頃の相手に興味を持つ」とは考えなかった。 だって、国だし。
おかげで、ルートは特に邪魔もされず日本が宿泊する建物に潜入できたのだった。
(日本。東洋人、だよな。ほとんど見たことはないが、相手も国なら、間違えることはないだろう)
そもそも、この時期のベルリンに東洋人の子供が何人もいるとは思えない。まず間違えないだろう。そう思ったルートは、相手の性別さえ確認せずにその人を探していた。
ホールにはいない。客間にもいない。食堂も、ダンスホールも探したけれど、それらしい人は見当たらない。そこでようやく、相手にもスケジュールがある事に思いいたった。どこかに招かれて外泊していたら、アウトだ。
ルートは、自分がかなりうろたえていた事に気付いた。「常に冷静であるように」と兄からきつく言われているのに、なんてことだ。
がっかりして、とにかく頭を冷やそうとバルコニーに出た。この季節に外で休憩するモノ好きなどいないから、丁度いいと思ったのだが。
広い庭園を見おろすバルコニーには、先客があった。見たこともない装束の、小柄な人影。一目見て日本だと判った。
たまに会う南欧の人々の濃い色の髪を、「珍しい」とこっそり思っていたが。目の前の人物の髪の毛は、闇で染めたような漆黒。しかも上等の絹糸みたいに真っ直ぐで、肩先でぷっつりそろえられているのがもったいないくらいだった。
ふと気がつくと、相手からじっと見つめられていた。予想していたよりさらに小さく、どう見ても自分より年下だと思う。 「……日本?」
問いかけると、相手は彼に向き直り、ほんの少しだけ微笑んだ。 「はい」
何か言うと思ったのに、それっきり黙っている。仕方なく、ルートが口火を切る。 「ドイツだ」
こちらから握手の手を差し伸べるべきかと悩んでいると、日本は腰を折って、深く頭を下げた。 「お初にお目にかかります。私、日本と申します」
皆さまよりご鞭撻賜りたく、参じました。そう流暢に告げる表情は、よく言えば人形のように穏やかだった。外交といえば、意地と根性のぶつかり合い。弱気をさらした時点で負けという世界に生まれ育ったルートからみると、頼りない迷子を見つけた気分だった。
大丈夫かこいつ。と彼の方が不安になってしまう。
「あ〜。どうだ、こちらの生活は」 「とてもよくしていただいています」
室内に戻り、誰かに邪魔されないようふたりで書斎に隠れることにした。 「うむ。楽しいか? 何か困ったことはないか?」
「見るもの聞くことすべて珍しく、退屈する暇もありません」
問うと日本は微笑み、ゆっくりよどみなく答える。何故笑うのかと聞いてみたいが、どう問えばいいのか判らないルート。
「それなら。俺がお前の国へ行っても、珍しいものだらけなんだな」 その言葉を聞いて、日本が初めて笑った。 (お?)
ルートは、今までの微笑が緊張を隠していただけだとようやく気付いた。 「そうですね。私の国は、気候温暖で風光明美ですよ」
その美しい国が、いつまで無事でいられるか。ルートは再び不安になる。こんな大人しい性格では、他国に不平等条約で縛られて酷い目にあう。
「そうだな。俺はまだ、欧州を離れた事がないんだ。ぜひ一度行ってみたい」 「観光ですか?」
ぴりっ。と、ふたりの間に何かが走ったような気がした。日本の表情はさっきの、人形のような微笑に戻っている。 「もちろんだ。他に何か?」
慎重に答えると、日本はわずかに首をかしげて「すいません」と詫びた。 「貴方はとても力のある方です。受け答えにはつい敏感になってしまいます」
なるほど、兄が受け入れるだけの聡明さは持ち合わせている。思ったより芯も強そうだ。ルートは日本という人物に、興味がわいてきた。
「また、会えるといいな」 そう言うと、日本はまた頭を下げた。これが日本流の挨拶らしい。
「よろしくお願いします。私は学びたい事がまだたくさんありますので」 「あ〜いや。そうじゃない。国同士じゃなくて、えっと……」
なんということだ。ルートは言葉に詰まる。個人として仲良くしたい、などという言葉は今まで使った事がなかった。
「俺は、ルートヴィヒ・バイルシュミットだ。つまり、ドイツとしてだけじゃなくて俺は……」
なんだ? 何て言えばいいんだ? 困惑のあまり、客の前で頭をかきむしってしまうルート。
「本田菊です。貴方の習慣とは逆で、ファミリーネームが先です」 そう言ってまた頭を下げようとしたので、ルートは相手の右手を引き、強引に握手した。
「俺たちの習慣では、こうだ。仲良くしようという意味だ」
こんなことを言って、いいんだろうか? 頭の片隅で兄が渋い顔をするさまが浮かんだが、(これは、俺個人の付き合いだ)と居直ることにした。
きょとんとした顔で自分の手を見ていた菊は、優しい表情で笑った。 「貴方がたの習慣にも、慣れる努力をします」
じわり、と胸の奥が温かくなるのを自覚するルート。 「お前の国では、約束したいときはどうするんだ」
口にしてふと、既視感を感じる。いや、そんなはずはない。気のせいだ。こんな会話の経験があるなら、俺は今冷や汗かいてない。
ささやかな疑問をもみ消し、ルートは菊の返事を待った。
すると、菊が右手の小指を立てて「こうするんです」と言う。同じように小指を出して見せると、菊は自分の指をからめてきた。 (な、んだこれは)
しっかり手を握り合うのに比べると、妙にエロティックな仕草だと思った。 「何の約束に使うんだ? まさか求愛とかじゃ……」
うろたえるルートを見て菊は、ふふふと笑う。 「何をとぼけた事を。そんなはずないでしょう。第一、私は男です」 「なに〜〜〜」
今まで全く意識していなかったぶん、その発言は思ったよりショックだった。
「この声を聞いて、判らなかったんですか? ちなみに私、貴方のお兄さんより年上ですからね」 「……東洋人は化け物だ……」
「その台詞は聞き飽きました」 こいつ、結構イイ性格だぞ。とルートは胸の中で呟いた。 「ところで、何を約束するんですか?」
「え。ああ、また会おう……だったんだが。いいか?」 了解しました。と言った菊が、日本語で呪文を唱えた。
ユビキリゲンマンウソツイタラハリセンボンノマス。 からめた指を離し、菊は「ゆび切った」と呟いた。 「これでいいのか?」
「はい。指を離すところが大事なのです。『指きり』という、わが国の習慣ですよ」 では、約束だ。そう言ってルートはゲストハウスを辞した。
再会には、しばらく時間がかかる。そしてそれは、彼ら個人が望んだ形とは違っていた。
この約束が真の意味で果たされるには、意外なほど長い時間が必要だった。
終
PS.
「じゃ、ルッツの初恋の相手は菊なの?」 「そんなわけないだろう! 男か女かを意識してなかっただけだ」
「ふーん。菊もちょっとひどいよね」 「え? 私ですか」 「そう。指きりの呪文の意味、教えなかったんでしょ?」
「それは……。たわいない約束だったから、わざわざ言わなくてもいいかと思いまして」
「ハリセンボンが『針を千本』という意味だと知った時には、仰天したぞ」 「俺たち、指きりで『鋼鉄条約』結んじゃったんだけど」
「申し訳ありません。でも、軍事条約がそんなことでいいんですか」 「あれは、俺たちの約束だったからいいんだ」
「指きりって、面白いよね。ちょっとしか触れないところが、らしいっていうか。日本の習慣はつつましいね〜」
「エロいの間違いだろ? 日本人はむっつりスケベだと、俺は今でも思ってる」 「……殴ってもイイですか?」
「あ! 俺も! そんなエロい事させた、ルッツが一番スケベじゃないか!」
「え? お前らそんなことで一致団結? ちょっとまて! お前ら本気すぎるぞ、なんだその拳!」 ルッツぼこられて、終わり。
* アニメ38話の「鋼鉄条約」を見て、書きたくなりました。
菊とルートの出会い、ご本家様でははっきり書いてないのをいいことに、ぼんやり妄想していました。 今回それをベースに、指きりをからめてみました。いかがでしょうか?
お気づきのことと思いますが、当サイトではルート≒神ロです。
ただ、ルートは前世をさっぱり覚えていないし、思い出す予定もありません。
また、フェリも気がつきません。ふたりのカップリング阻止にむけてサイト主の意思が働いています(笑
今回のみ、かなり意識してルートに神ロを重ねてます。
性別確認する前に猪突猛進する、彼はそういうイキモノです。
ボコるという表現が、今一つ適切ではなかったかもしれません。 多分、フェリのは「ねこぱんち」で、擬音は「ぽかぽか」です。 でも、菊は本気の「あんぱんち」です。一撃必殺です。だって怒ってるから。
Write:2009/12/01 (Tue)
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