ガチンコ。
それは、ギルの元に東洋の島国が訪ねてきた時の話。
彼が大陸の内部で戦に明け暮れている頃、イギリスやフランスはその版図を遥か遠い地にまで伸ばしていた。 出遅れた。などとは死んでも認めたくないので、「ようするに、奴らの本国を〆たら俺たちの総取り」と前向きに考えることにしている。そう、最後に笑うものが一番強いのだ! 日本という小国が訪ねてきたのは、そんな折だった。 200年以上他国との交流を絶ち、全く外に出てこなかったという伝説の国だ。(よく腐らなかったよな)とは、ギルの率直な感想だ。 その国は、自国の近代化のために学びたいと今、欧州訪問中というわけだ。 (つまり、各国の制度をいいとこ取りしようって魂胆なんだろうが。そううまくいくと思ってるのか) などと皮肉気に笑ってみるギル。だが、学びたいことを整然と並べた文書も、建国(ギルの感覚では、明治維新はそうなる)の直後に欧州へ使節を送る行動力も、悪くないと思えた。 だから会ってみる気になった。『彼』を見て、そこがどんな国なのか確かめてやるのも面白そうだと思ったからだ。
日本、はただひとりでプロイセンの迎賓館に招かれた。贅を尽くした建物に孤立無援でおかれ、どんな態度をとるか見てやろう。そう思っていたギルだが。 館に到着すると、いつになく邸内がざわついている。さりげなく耳を澄ますと、彼らはこっそりと「今日の客人」について噂しているらしい。こういう情報は、案外来客の人となりをうまく言い当てていたりすることもある。なのでギルは数人を捕まえて話を聞いてみたが……。 今まで見たこともないような容姿服装の、子供だという。ギルには納得のいく話だが、職員たちにはとても一国の大使には見えなかったのだろう。議論百出するのも無理はない。 しかし、知り人ひとりいない場所でも、澄んだ水のように冷静な態度で、臆するところを見せない。貴人慣れした職員たちから見ても「何かが違う」と感じさせる雰囲気を持っているようだ。 「ふ〜ん」 少しは楽しめそうだ。と呟いたギルが、小ホールの扉を開いた。ついでに口も開く。 「よぉ、うちの奴らが『エンペラーの姫君がお忍びでご訪問』って騒いでるぜ」 にやにや笑いを浮かべたまま、あえて砕けた口調で話しかけてみる。 「……私がそのような者ではないこと、貴方にはお判りのことと存じますが」 そう言いながら立ちあがった黒髪の人こそ、日本だろう。ギルにはもちろん一目でわかる。だが。 「思ったよりちびっこだなお前。で、男女どっちだよ?」 あまりに率直な物言いに驚いたのか、日本はしばらくギルの顔を黙ってみていた。 「あ、気に障ったか? 悪りぃ、俺様性別にちょっとトラウマがあるんだよ。だから先に聞かないと落ち着かねえんだ」 言いながら手で「着席」を勧める。自分の方が上位だと、全く疑っていない仕草だ。 腰を下ろした日本は、小さくため息をついた。 「いえ。使節団の中でなぜか私だけ女性と間違われるのにはもう、慣れました。椅子をひかれたり手を取られたり……それはまだしも、あの習慣は勘弁してもらいたいと心から思います」 「あの習慣?」
(ってことは男かよ)と思いつつギルが問うと、日本はやや赤面して「なんでもありません」と首を振る。
そして気を取り直したように背筋を伸ばすと、「お初にお目通りかないます。私日本と申します」と口上を告げた。 「俺様はギルベルト・バイルシュミットだ。今はドイツ帝国の一部だが、同時にプロイセンでもある」 ギルが名乗ると、日本は座ったまま、深く頭を下げた。そして、自分も名乗ろうとしたが……。 「聞きたいことがあるんだけど、いいか?」 いかにも気まぐれ、といった口調で問いかけられ、日本は小さく頷いた。 「ずっと鎖国してたんだよな、お前のところ」 「はい」 「それも200年とか? よく退屈しなかったなぁ。俺だったら一年で飽きるぜ」 ケセセと笑い飛ばすギルを、日本はぽかんと見つめている。これまで各国歴訪してきたが、こんなことを彼に言った相手はいなかった。 「退屈……ですか?」 「そ。それともナニか? 国内でずっと内乱してたとか? こっそり海賊家業でもやってたとか?」 「いえ、徳川の世はずっと安寧で、戦もありません。出国は厳しく諌められていましたから、海賊などと……」 どこまでも真面目に受け答えする日本に、悪戯心が湧いてくるギル。 「なにそれ? つまりお前、200年他国から相手にされなかったってだけじゃねえ?」 誰にも相手にされないって、つっまんねえ国だねえ。と、ギルは大声で笑った。 「失礼な方ですね」 「そうか? 本当のことだろ。モテない女にイイ女はいねえんだ。それと同じさ」 そろそろキレるかと様子をうかがったが、日本は静かにギルをにらんでいるだけだ。若さに似あわぬ胆力の持ち主なのか、ビビって声も出せない、見かけどおりのガキなのか。
(まあ、今は各国が競って通好修好条約結びたがってる状態だもんな。そういう意味じゃ、モテモテだよこいつ)。そう考えると、ここで追い返すのも早計という気がする。そこでギルは、彼をもう少し値踏みしていることにした。 「確かめたいことがある。ここじゃ何だから、ちょっと庭にでるぞ」
ギルは気軽に立ちあがると、少年を手招いた。ひょいっとテラスから庭に出て、足元の芝生を確かめる。 続いて出てきた日本に向かって、ギルは超イイ笑顔でこう言った。 「俺と勝負しようぜ!」 「それが、確かめたいことなのですか?」 「おう! 知りたいのはお前の実力。 相手を知るにはこれが一番手っ取り早いからな。 身体は嘘をつけねぇし」 日本はしばらくギルを見つめていたが、やがて小さく笑った。 「なるほど。骨の髄まで戦闘民族なのですね」 「そーゆーことかな。俺についてこれないようじゃ、列強とはやりあっていけねえぞ」 さあ、とギルがファイティングポーズをとって見せるが、日本は自然体のままで佇んでいる。 (もしかしてこいつ、殴り合いとかやったことねえ……とか?) ありうる話だ。世界にはイタリアのように、とことん戦争に向いてない国が存在するのだから。 「ああ面倒くせえ。イイか、手はこう握る。親指に注意しろ。構えは胸の前で……」 とりあえず型を教えてみるギル。握らされた拳を疎ましそうに見ている日本は、本当に戦いに向いていないのだろうと思いながら。 (まあ、それなら俺様が保護してやってもいいんだ) イギリスやフランスやアメリカの、悔しがる顔を見るのもいいな。などと思考が妄想に突入しかけたころ。 「わかりました」 日本が毅然とした口調で、答えた。 「本田菊、お相手つかまつります」 ギルが教えた構えを解き、先ほどの自然体で日本……菊は言った。 「そんなので、いいのかよ?」 「いつでもどうぞ」 よしいい度胸だ、一発で沈めてやるぜ! とばかりに右ストレートを繰り出したギル。 次の瞬間、身体が木ねじのように綺麗に半回転した。あっ、と思った時にはもう、ギルは芝生に抑え込まれていた。 「??」 「……拳の握り方を見れば、どのように攻めるつもりか予想がつきます。あらかじめ手の内を教えてくれるのが、貴方がたの騎士道という奴ですか」 ギルの右腕をおさえ、彼の胸倉をつかんだ菊が、冷やかに告げた。 「それはいいのですが。利き手を使ってもらえないとは、私もずいぶん舐められたものですね」 手を離すと、少年は「次は本気でどうぞ」とほほえんだ。癪にさわるくらい綺麗な笑顔だった。 「やるじゃねえか」 ふと見ると、庭の一隅に人が集まり始めている。 (子供をいじめていると騒がれないうちに、決着つけるか)。全く負ける気のないギルはそう思い、呼吸を外してフック気味の一発を菊の顔面狙いで放った。 「……あれ?」 芝生に激しくスライディングしてしまったのは、ギルの方だった。菊は静かにギルを見おろしているが、彼から仕掛けてくる気はなさそうだ。 「そーか、よけるって手があるんだよな」 ギルの拳はまたも、かすりもしなかった。菊の方がずっと背が低いので狙いにくかったのは確かだが、それにしてもここまで鮮やかに身をかわされたのは初めてだった。 「ギル」 その時、抜きんでて背の高い男が、彼の名を呼んだ。 「何だよジーク、これは勝負だからな! 手を出すなよ!」 弟分のザクセンが、様子を見に来た。誰かが彼を呼んだのかもしれない。だが、ジークはちょっと肩をすくめただけで何も言わなかった。 ギルがやりたいことを、理解できたのだろう。なにしろふたりの付き合いは、長い。 「こいつは……ああ、後で紹介する。いいか、ちょろちょろ逃げんじゃねえよ!」 まだやる気のギルは、利き手で菊の服をつかもうとする。押さえてしまえばもうよけられない理屈だが。 彼の手が届くより早く、菊が踏み込んできた。ギルの眼下で、菊が彼の腕を掴んで体を半回転させるのを見たと思ったが……次に回ったのはギルの視界だった。天と地が一瞬でひっくり返り、気がつくと地面にあおむけに転がされ、青空を眺める羽目になっていた。 「???」 一拍遅れて、腰を中心に下半身を強打した痛みが伝わってきた。あろうことか、投げ飛ばされたらしい。 ギルベルト様ともあろう男が、こんな小さな少年に。 「もう、いいですか。これ以上続けると、騒ぎになりそうです」 そう言って菊が、ギルの腕を離した。彼の身体が芝生に投げだされる。 「まて、あと一勝負!」 「我侭もいい加減にしろ。これが客人に対する礼儀だと思われたら、ルートが困るんだぞ」 根性とやせ我慢を集結して立ち上がったギルに目もくれず、ジークは菊の前に膝をついていた。 「貴方を尊敬する。マイスターと呼ばせてくれ」 「ち! ジークお前酷くねえ? お兄様が倒されてるってーのに何だその言い草」 「アレの態度については重々詫びさせて欲しい」 「俺の話を聞けってーの、ジーク」 「貴方は話のできる方のようですね。あちらの方と違って」 叫ぶギルを無視して、ジークと菊は淡々と会話を続けている。場の決着がついたとみて、職員たちが恐る恐るといった様子で近づいてきた。(潮時か)と、さすがのギルも見極めるしかない。 すると、ジークと話していた菊がギルの方に向き直った。 「今日はお世話になりました。いずれまた、ご教授願います」 「イイ根性してるな、このガキ!」 ギルの捨て台詞を聞いた菊が、ほほ笑んでこう告げた。 「その言葉、そっくりお返しします。 私が引きこもり生活を始めたころにはあなたの国もあったと聞いていますが。200年なんて、私の人生ではほんの一部にしか過ぎないんです。どちらが年上かなんて、言うまでもない事だと思っていましたが?」 え? と問いかえすギルとジーク。菊の存在自体に東洋の神秘でも感じたのか、ジークは感動の面持ちで彼を見ている。 「としうえ……年上ぇ?! よくも騙したなこの野郎!」 「己の洞察力の無さを、人のせいにしないでください」 「大人しげなのは仮面かよホンダキク!」 一皮むいてみたら、中身は得体のしれない化けものだった。と、ギルは本気で思っている。 「貴方は本当に面白い方ですね。久しぶりに楽しかったですよ」 あっはっは。と声に出して笑う菊。彼がそんな風に笑うのは非常に珍しいと、兄弟はあとで知ることになる。
その後、長く付き合うことになる国同士の、これが出会いの場面だった。
終
PS. 菊を含む日本使節団は、しばらくドイツに滞在していた。迎賓館での噂はあちこちに流れ、菊は異国の格闘術を一目見たいという客への対応に追われることになった。 いずれ日本から、専門家を訪独させることを約束して、やっと彼らは帰国の途につくことができたのだが。 「ジーク、大変だ!」 彼らが去った日の午後、ルートが彼のところへ大慌てで駆けつけてきた。 「これを見てくれ」 差し出されたのは、ごく普通の封筒。嫌な予感を感じたジークが、苦悩の表情で中を見ると。 『俺ちょっと東洋を偵察してくる。日本もなかなか面白そうだから、この目で見てから今後のことを決めたいからな。じゃ、後のことはお前に任せた』 便せんに走り書きされた、そっけない文章。末尾の署名は間違いなく、彼らの兄の名前。 「朝から姿を見ないと思ったら、執務室にこの手紙が……」 覚悟の家出、ということになるが。誰も見たことがないような東洋の国へ、あっさりと行ってしまう行動力はさすがというべきだろう……か? 「俺だって、行ってみたかったのに」 ルートがポツンと呟く。いつの間にか彼も、菊と知り合いになっていたらしい。ふざけた手紙を握りつぶしたい衝動と戦いながら、ジークも深いため息をついた。 東洋、とりわけ日本に興味があったのは彼も同じで、状況を見て自分が訪日を切りだすつもりだったのに。 まさか、こんなに手まわしよくギルに先を越されるとは思わなかった。 帰ったら懲らしめてやろうと思いつつ、今は不器用にルートを慰めるしかない兄貴分だった。
* 設定だけはずいぶん前から決まっていた、ギルと菊(とジーク)の出会いの話でした。 鎖国を「退屈」と表現しそうなのは、まずギルで次はアーサーかなと思っていました。 ゆびきり。と読み比べてみると、明らかに兄ちゃん大人げないです。 でも、ギルがこんな性格だから、菊は肩ひじ張らずにリラックスできるみたいです。 ちなみにこの後しばらく、ギルは菊のことを「ホンダキク」と呼びます。
ちゃっかり菊についていく彼は、したたかです。
日本を気にいるのですが、占領は無理と見定めたようです。 歴史的にこの後、彼らは敵同士になったりするのですがね。
菊が嫌がる「あの習慣」については、察してあげてください。 各国の偉いおじさんにお姫様扱いされたら、当然起こる事態が発生しただけです。
ギルが菊にほんろうされてますが、これは格闘の形式が全く違うせいです。 彼の一発を菊が喰らったら、ちょっと怖い事になります。 でも、ギルは菊を見定めたかっただけで、倒すつもりはありませんでした。 だから手加減するつもりはあったはずです。少なくとも最初は。 三打目辺りはちょっと怪しいです(笑
本編に関係ない、呟きです。
ギルはイタちゃんをフェリシアーノと呼びます。それは、彼の周りにフェリがもう一人いるからです。
どちらも公平に、愛称で呼ばないようになりました。彼なりのけじめのようです。
そのはずだったのに、いつの間にかギルは素で「クソガキ」と呼んでいる設定になってしまいました。
面と向かって本人に「おいクソガキ」と言ってます。
バルトトリオは、フェリクスの方をフェリと呼んでいます。
Write:2009/12/02 (Wed)
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