復活の、日
菊がイタリアを訪れたのは、日本中が注目するとある国際会議終了後の事だった。
いつになく積極的に他国と対面し、日本流「腰の低い態度」を貫きながらも自分の主張を曲げずに頑張る菊。そんな彼を見たフェリは、「すごいな〜。菊じゃないみたい」と呟いたほどだ。 「ああいうのを、粘り腰と言うらしいぞ」 菊の国では、意志を込めた行動を形容するときには「腰」という単語を使う。それを知っているルートは、(まあ、重心が低い方が防御に都合が良いか)などとのんびり思った。 「でも、菊きっとすご〜く疲れてるよ。俺んちに招待してもいいかなぁ?」
そうだそうしよう! とひとりで結論付けて頷いているフェリ。
ルートは薄く笑うと、彼の頭を抱えて引き寄せた。 「その案、俺も乗った。お前んちで野菜パーティはどうだ?」 「いいね〜。復活祭前だし! 俺、野菜料理も自信あるんだぁ」 「でも、シーフードは控えろ」 「判ってるって。俺だって、お前と菊が喧嘩するところ、見たくないよ〜」 フェリに明るく釘を刺され、ルートは「公私混同は、しない」とおごそかに誓った。
そんなわけで、3月下旬。フェリの読み通り疲れ切っていた菊は、ミラノのゲストハウスに滞在していた。 フェリのアパートはヴェネツィアにあるが、ひとり暮らし用なので広さがない。 「ベッド一つしかないけど、気にせず泊っていってよ」とフェリに誘われた時には、八つ橋かなぐり捨てて心から辞退した菊だった。 今、明るい陽光の恩恵を受けたホールで向かい合っているのは、ルートと菊のふたり。 フェリは「買い出しに行ってくるね〜。あ、ふたりは休んでてよ」と言い残して出かけてしまった。 つい先日まで、全く妥協の余地がない議題で対立していたふたりは、さすがに言葉が少ない。 ルートは目を細め、彼の国とは全く違う明るい屋外の様子を見ている。一方菊は、イタリア兄弟らしい色彩に彩られた室内を見回している。 ふっ、と。最初に小さく息を吐いたのは菊の方だった。 「あの人は、この場に居なくても癒しを与えてくれますね。なかなか、できることじゃないです」 言いながら指差すテーブルの上には、グリッシーニをみっちり立てたビールジョッキが飾られている。 クラッカーのような軽い食感の、イタリアではおなじみの細パンだが。一本ずつに色とりどりのリボンが結ばれているところは普通じゃない。 それを見たルートの頬も緩む。さっきフェリが自慢げに告げた言葉を思い出したからだ。 「ねえ、これ綺麗でしょ? 俺忙しくて、花を買う暇がなかったんだぁ。だから、何か色どりが欲しくてさ」 花を買うより、ひとつひとつにリボンを巻く方が明らかに手間がかかるとルートなら思うが、あまりにフェリらしいので言う気にもならなかった。 菊も同じことを考えていたのだろう。ふたりは久しぶりに視線を合わせ、共に笑った。
きっかけを得て再開した会話を、携帯電話が遮った。鳴ったのはルートの携帯だったが、相手の名を確認したルートは、菊の目の前で電話に出た。 「何だフェリ。ずいぶん時間がかかってるな。……え? タイヤが、パンク?」 おや。と視線を向ける菊に構わず、ルートは会話を続ける。 「そんなことなら、俺よりADACに電話しろ! ……いや、ここはイタリアだった」 落ち着いてくださいルッツ。と、菊が控えめに声をかける。 「何ぃ?! パンクさせたうえに脱輪? 馬鹿野郎! おかしいと思ったらすぐ止まれ! ……あと少しだから帰れると思った? その油断が命取りだと何度言ったらわかるんだ!」 鬼軍曹復活の勢いで叱り飛ばすルート。携帯ごしにフェリが「ヴェ〜」と泣く声が聞こえてきそうだ。 携帯を切ったルートは、「仕方ない。迎えに行ってくる」と菊に告げた。 「お前が来るまでもないだろう。ここで留守番していてくれ」 「そうですね。じじいはさすがに疲れました。遠慮なくそうさせていただきます」 菊が答えると、ルートは視線をそらして小声で「お疲れ」と呟いた。それから一転して、イイ笑顔で「俺も遠慮なくフェリに説教してこよう」と言い残す。 なぜかばきばきと指を鳴らしながら出ていったルートを見送り、菊は「やっぱり一緒に行くべきだったでしょうか」とポツリ、呟いた。
ひとり残された菊は、気分転換に庭に出てみた。冬枯れていた芝生には新芽が目立ち、配置よく植えられたチューリップはつぼみが背比べをしている。 中央には白いガーデンセット。来月には赤、白、緑のイタリアンカラーが勢ぞろいし、さらに見る者の目を和ませてくれるだろう。 欧州中から愛された国の早春を堪能しつつ、菊はベンチに腰を下ろした。すると、生垣の木戸を開けて入って来た少女と眼が合う。 「……あの」
内気そうに口ごもる少女は、古風なエプロンドレスを身にまとって立ちつくしている。頭を白いスカーフで覆い、手には籐の買い物籠。まるで、絵から抜け出してきたような現実味のない姿だった。 「ここ、どこですか? ぼく、買い物してそれで帰ろうと思って歩いてたのに、いつの間にか知らない所にいるんだ」 迷子? それにしては歳が行き過ぎている気がする。少なく見積もっても10歳くらいには見えるのだが、その不安そうな表情は真剣そのものだ。 「すぐ帰るって約束したのに」 ぷくー。と目じりに涙がにじむのを見て、慌てる菊。情けない話だが、とっさに携帯を握りしめて「頼りになる誰か」を呼び出しそうになった。 その時。 「こんな所で何をしている」 いつの間に近づいたのか、菊の背後に黒い服を着た少年が立っていた。彼は菊を無視すると、無言で少女の手を引く。 「ごめん! すぐ帰るつもりだったんだよ。でも、卵を選んでたら時間がかかっちゃって」 見ると、籠の中には大きくて粒のそろった卵が並んでいる。 「しばらく一緒にいてくれるんでしょ? だからイースターの卵を作りたかったんだ」
少年は瞬きして、「そうか」と呟いた。なぜか耳たぶを赤く染めた少年は、今さら気付いたように繋いだ手を振りほどいてしまう。 (似てないけど、兄妹でしょうか?) そう考えると、少年の黒服が神学校の制服のような気もしてくる。子供離れした生真面目な雰囲気も、納得できる。 少女は少年に腕をからめ、菊に笑顔で「ぼく、帰るね。おじゃましました」と挨拶した。 「あ、ちょっとまってください」 菊は懐から小さな袋を取り出す。 「これをどうぞ」 袋の口を開けて逆さにすると、中からウサギの陶人形が転がり出てきた。 「あなたに差し上げます。イースターのうさぎさん」
少女にそう言うと、ぱぁっと輝くような笑顔が返される。本当はフェリへのみやげだったが、これはこの子に贈るべきだという直感は間違ってなかったと思う菊だった。 「ありがとう優しいお姉さん! ね、明日もここにいる?」
久しぶりに女性と間違われたことは不問にし、菊は努めて優しい声を出す。 「その予定ですが」 「じゃ、ぼくイースターエッグ作って持ってくるよ! 好きなお花、教えてくれる?」 思わず少年の方を見ると、彼は軽く頷いて見せる。心なしか表情が和らいでいるのは、少女が本心から喜んでくれたからなのだろう。 「では……マーガレットを」 「わかった! ぼく、絵は得意なんだよ! 楽しみに待っててね」 手を振る子供たちを見送ると、小さな庭に静寂が戻った。 (なんだか、不思議な気分です。まるで夢でも見ているような) どれくらいぼんやりしていたのだろう。菊の夢想は、友人たちの大声に破られた。 「顔見るなりチョップなんて酷いよ〜。ルッツ、横暴!」
「当然だろう。それとも、『大丈夫か怪我はないか』って慰めるとでも思っていたのか」 「菊ならそうしてくれるよっ」
「甘ったれるな! 夢は寝てから語れ!」 ああ、なんて賑やかなんでしょう。さっきのおとなしい兄妹とつい比較して、菊の顔に笑みが浮かぶ。
「だいたいお前、失敗のツケを俺に押しつけたくせに、その言い草は何だ!」 「あ〜。すごかったよルッツ! ジャッキ使わずに車あげちゃったもんね! 後で兄ちゃんにも教えよ……痛い痛いって! 拳骨でごりごりするのやめて〜」 ぷ。と吹き出した気配を察したのか、ふたりは庭にいる菊に気付いた。 「菊、そんなところにいたの? ねえ、聞いてよルッツったらさぁ」
勝手口から飛び出してきたフェリの足が、不自然に止まった。
何故か表情をこわばらせたかと思うと、「あ〜っ」と大声を上げる。何か切羽詰まったような、逆に吹っ切れたような何とも言い難い表情で、フェリは小さく呟いた。
「俺……忘れてたよ。そっか、そういうことだったんだ」 「なんだ? まだなにかあるのか」 フェリの背後からルートが声をかける。だがそれに答えずフェリはいきなり駆けだした。 「え? ちょ、待ってくだ……」 フェリに正面から飛びつかれた菊は、危うくベンチごと後ろにひっくり返りそうになった。
ルートが長い脚でベンチの座部を踏んで押さえてくれたのが功をなし、惨事は免れた。 しかし、どんなになだめすかしてもフェリは菊から離れようとしない。あきらめた菊は、フェリを自分の首に巻きつけたままで話をすることにした。 「……つまり、たった今会った少女が、あなただったと?」
「俺にとっては昔話なのに、菊にとってはついさっきなんだ。どうなってるんだろう?
不思議なこともあるもんだねえ!」
物事を論理的に解決したいルートは、無言で頭を抱えている。
「俺、次の日に神聖ローマと一緒にお姉さんを探したんだよ! でもどんなに歩いても、この庭も東洋人も見つからなくってさ」
見つからないはずだよね! ウイーンじゃなかったんだから! などと喋り続けるフェリはご機嫌だ。
そんな不可解な、と菊も懐疑的だ。だが、今さら気付いたがここの生垣に木戸は付いていない。 「あの時、ウサギの人形くれたでしょ。アレを証拠に出来たらいいんだけど」 フェリの表情が、かげる。彼は菊の肩に額を押しつけて「ごめんね」と呟いた。
「俺、突然追い出されたり着の身着のままで逃げだしたりってことが多すぎてさ。
……いつのまにか、どこかで失くしちゃったんだ。すごく気に入って、大切にしてたんだけどな」
しょんぼり肩を落とすフェリの背中をなで、菊は「仕方ないですよ」と慰めた。
「あなたにとってはそれくらい、遠い思い出話なんですね」
「う〜ん。菊がそのベンチに座っているのを見るまで、忘れてたくらいだから。よく覚えてたな俺」
すごいぞ俺。と自画自賛するフェリ。菊と目を合わせてくすくす笑っている。
「……仲良しだなお前ら」
ルートがあきれたように呟きながら、菊の隣に腰を下ろした。菊の背中ごしに、フェリの肩を抱く。
勢い、菊はルートにもたれかかる体勢になる。 「つまり、フェリは長年の疑問に回答を得たわけだ。その上、お礼をしたかった人物に再会できたんだから、良かったじゃないか」 超常現象は考慮せず、結論だけを尊重することにしたルートだった。
「あ! 俺、イースターエッグ作らなきゃ。俺の考えたマーガレットの図案、評判いいんだぁ。
あれからいろいろ工夫して、毎年かならず描いてきたからね」と、フェリは胸を張る。
「卵ならたくさんあるから! 一緒に作ろうよ」
「……とある生物の再生と復活を祈るか?」
「そういう生臭い話にしていいんですか?」
「駄目〜。俺んちでは平和が合言葉! 喧嘩したら二人とも、泣くまでまでプレーンオムレツ攻めにするからね!」
「それは……」「勘弁してください」
狭いベンチに押しくらまんじゅう状態で、三人は盛大に笑った。
春の一日にふさわしい、陽気な光景だった。
終
PS. 「なんだかもう、どうでも良いって気分になったぞ」 「春だし〜、嫌なことは忘れて気分を切り替えようよ!」 「…………」 「ん? どうしたのルッツ」 「土壇場で反対票入れたくせに、能天気だなお前」 「だってマグロ美味しい……って。カマかけなんて、ずるいよルッツ! そういうの詮索しないための無記名投票だろ?」 「やっぱりそうなんじゃないか!」 「公私混同しないって言ったのに、ルッツのウソつき〜」
☆ADAC(アー・デー・アー・ツェー、Allgemeiner Deutscher
Automobil-Club
e.V.)は、ドイツのドライバーサポート団体です。日本のJAFに相当します。
*もろに時事ネタですが、気にしないでください。気にしないでください。気にしないで(略
特にPSの「イタリアがどうこうした」は、完全に私の妄想です。信じないでくださいね。
ちなみにロヴィは、「あの会議後に日独が来る」と、聞いただけで逃げだしました。
今回の更新は、「イタリア誕生日記念」のはずでした。
赤の龍と銀の龍で書く予定でした。実は半分以上できてます。
しかし。
オリジナルを書くときの悪い癖が出て、やたらシリアス。書くのがつらくなって何度もストップ。
とうとう間に合わなかったので、繰り上げてイースターネタを先にアップします。
反省しろ自分。
枢軸ならいくらでも書けそうです。何だこのノリの良さは。
ちびちゃんと菊が、なぜか遭遇してしまいました。書きたかったんですすいません。
御本家様に、ちびちゃんとちび日本が遭遇する夢話があったので、いいかなと。
ちび独とちび伊が菊を女性だと思ったのは、実は単純に和服のせいです。
「ズボンじゃない→だから女性」。そんな感じです。子供の常識は、シンプルです。
Write:2010/03/20
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