太陽は東から昇る
1943年、冬のベルリン。
イギリスによる投下爆撃はとうとうこの街に及び、今年に入ってすべての建物で、灯火管制がしかれている。
その、薄暗い室内。わずかな灯を頼りに書類を見ていた軍服の男が、小さくうめき声を上げた。
しかし、あたりに人の気配はない。先程男自身が人払いをしたところだ。
それでも男は机に伏せ、しばらく気配をうかがっていた。
弱った自分を、人に見せるわけにいかないから。堪えに堪えていたうめき声が、食いしばった歯の隙間からこぼれた。
自分は今度こそ、消えるのかもしれない。そんな恐怖がゆっくりと忍び寄ってくる。
二度にわたって世界を相手に戦ったのは、彼の意思ではない。
確かに、先の戦争で押し付けられた賠償金にはかなりムカついていたが。彼自身は誠実に埋め合わせていくつもりだった。
馬鹿正直クソ真面目と笑われても、他に出来ることはなかった。
他の手段はもう、考えたくなかった。
しかし、国民たちは彼と違う決断をした。新たな上司を選び、新たな戦いを始めるまで、わずか20年ほどしかかからなかった。
開戦当初は良かった。破竹の勢いで領土は拡大し、彼の全身には常に力がみなぎっていた。頭も行動も冴えわたり、睡眠も取らず欧州中を飛び回っても、疲れることもなかった。
国民の熱狂と意欲が、彼の血肉となっていた。他の誰でもない、彼こそが「国家」なのだから。
つまり。戦況の悪化もまた、彼を直撃する。一度は奪った領土を連合に奪還され、そのたびに彼の手足はこわばってゆく。
そんな状況でも戦争を継続する上司たちの活動は、今は恐怖政治化している。おびえる国民の心が、彼の血を凍らせる。
手足が冷え、目がかすみ、貧血気味になったくらいでは、この身体は止まらない。
体が動く限りは最後まで、国として働きたい。誇りなのか意地なのか自分でもわからないが、そのときが来るまであきらめる気は……。
「おーい、寝てるのか」
いるはずのない人の声が、彼の思考を中断させた。
「……兄さん? まさか」
窓際にいつの間にか、細身の男が佇んでいた。
「まさか、じゃねえよ。ったく、人払いなんかしやがって」
おかげで俺まで追い返されたんだぜ? 信じられねーと、いつもの口調で文句を言いながら、ずかずかと彼のそばに近づいてきた。
この俺様っぷりは間違いなく、兄のギルベルトだ。薄暗い部屋でも、ほの白いアッシュブロンドはよく見える。きつい眼差しと皮肉げな口元も、まだ見える。
「おいおいルッツ。本気で寝ぼけてるのか?」
兄に手を掴まれて、我に返る。どうも、手を伸ばして銀の髪に触ろうとしていたらしい。まるで、子供の頃のように。
「いや、本物か確かめたくて」
かろうじてごまかしたが、ギルは彼の手を握ったまま離そうとしない。
「何でこんなに冷たいんだ」
そういう兄の手だって、暖かいとはいえないのだが。彼ほどには戦況に影響されないのだろう。
それほどに、「国家の名における宣戦布告」の意味は重く、逃れようがない。
「暖房は止めてある。燃料は節約しないとな」
凍えた手を無理やり兄からもぎ離し、握った拳を自分の手で包む。机についた両腕を上半身の支えとし、背筋を伸ばして兄と視線を合わせた。
例え兄弟でも、今国の看板背負っているは自分の方だ。
「どうしたんだ、連絡も無くベルリンに戻るなんて。なにか急変でも……」
ごすっ。言い終わるより早く、兄の拳に脳天直撃されてしまった。
「お前の様子を見に来たのに決まってンだろっ!!」
久しぶりに叱られ、彼の虚勢は一瞬で消え去ってしまう。
「俺様に窓から出入りさせるなんて、お前はいつからそんなに偉くなったんだよ、ああ?」などとすごまれ、ようやく彼が突然現れた訳が判った。
締め出されたのが、よほど気に入らなかったらしい。
「いきなりげんこつはやめてくれ。子供じゃないんだから」
机上に散らばった書類に顔を伏せ、呟く自分の声が弱々しい。今更兄に意地を張るのも馬鹿らしくなってきた。
「戦況は逐一知らせているはずだが」
「そっちはな。いい事も悪いこともちゃんと報告に来るぜ、お前の部下」
しかし。ルッツの状況については誰も何も言ってこない。そこを案じて兄が戻ったことに、弟は気付かない。
ふう。と、珍しくギルがため息をついた。
「お兄ちゃんの命令。お前、少し西に行ってこい。ここは俺様が面倒見てやるから」
驚いて顔を上げようとしたが、兄の手がいつの間にか彼の後頭部に被さっていた。
「俺は元々こっち方面の出身だし。ジーク(ザクセン)もいるからなんとかなる。お前、ここの所ベルリンに詰めっぱなしだったろ?
一度フェリシアーノの様子、見てきてやれ。向こうにのマックス(バイエルン)と組んで、皆でフランシスの尻でも蹴飛せば、ちょっとは景気づけになるだろうさ」
景気づけで蹴飛ばされるフランシスもいい迷惑だが、向こうの戦線が不安だったのも事実だ。
「うん。判った言う通りにする」
いつの間にか口調が、子供の頃に戻っている。くすぐったい気分になるが、幸いなことに部屋は暗い。しかも兄に頭を抑えられた状態では、顔を見られる心配も無い。
「まかせたよ兄さん」
「よ〜し素直だ」
ぽふぽふと頭をなでられると、本当に子供に戻ったような気になる。
この兄に任せれば、何もかも大丈夫。そんな安心感が心を満たす。
「俺が東、お前が西。背中合わせに両方の戦線を支えるんだ。俺たち兄弟、最強じゃねえ?」
見えなくても。いつもの不敵な笑みを浮かべた兄の顔が脳裏に浮かぶ。
大丈夫。兄は大丈夫。俺も大丈夫。
そう、この国だってきっと大丈夫。
兄が振り下ろした拳がかすかに震えていたことに、彼は最後まで気付けなかった。
翌日、彼は久しぶりに西へ向かう。別れの挨拶もそこそこに。
この後急速に悪化した戦局を立て直せず、彼はベルリンに戻ることなく終戦を迎えた。イヴァン軍の攻勢は熾烈を極め、それでも粘った彼の東方軍は完膚無く叩き潰された。
終戦後、ギルはそのときの戦いの責任を取るといって、イヴァンの占領下に入ってしまう。
そうなることが、初めからわかっていたように。
連合軍にとことん追い詰められ、衰弱しきっていた彼にはなすすべも無かった。
それから、彼の戦いがまた始まった。
国家経済を建て直し、周辺諸国の信頼を取りもどす。どんなに睨まれても蔑まれても、今度こそは間違えない。
いつの日か、兄が帰る場所を作っておくために。
兄弟で、最後に話し合ったあの日。ギルの顔を見ておかなかったことを残念に思うが、悔いはない。
今でも脳裏には、「俺達最強」と彼が言った時に浮かんだ力強い笑顔があるから。
太陽は、東から昇る。兄がいる地から日ごと生まれる太陽は、今日も彼を見ている。
いつか必ず、兄と兄のいる場所を取り戻してみせる。戦いではなく、努力と交渉で。
終
※ 無駄に長い話でスイマセン。でも、どうしても書いておきたかったんです。
最初はもう少し軽い話でした。ギルが弟に「金貸して」とねだったり。
ところがルートの体調を書き込んでいるうちに暗くなってしまいました。
最後まで読んでくださったあなたに、深く感謝の意を表します。
どうも、私の中でルートは若輩者のようです。枢軸といるときは兄貴分なのですが。
他の国との兼ね合いを考えると、どうしてもそうなります。
そして。ギルベルトってこんなキャラでしたっけ?
書いていて何度も「あれ?」と思ったのですが、止まりませんでした。
余談ですが、一月のベルリンで暖房切ったら、普通に死にます。
彼らはどうなんだろう? 結構暑がったり寒がったりしてるけど。
Write:2009/07/01 (Wed) 14:46
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