とっぷてきすとぺーじ短編 本文へジャンプ


誰かが道をやってくる


 盛夏、七月。トーニョの畑では、トマトが収穫の最盛期を迎えていた。
「トマト作って〜、トマト採って〜、トマト配って〜」
 何言うても、生で食べられるのが一番や。ロヴィーノにも送って、後は加工。瓶詰めにして缶詰にしてペーストにして、干しトマトも作ったらんとなぁ。
 朝露が消えたばかりの麗しいトマトを収穫しながら、取りとめなく考えているトーニョの目に、道を歩いてくる人影が映った。
「おお! こっちや!」
 トマトの籠を足元に置いて、大きく手を振る。相手も振り返す。彼の農場に至る道を歩む人物は、今ちょうど背後から朝日を受けている。
「……」
 光背のように陽を浴びて近づく小柄な青年を見ていると、なぜかトーニョの心がざわめく。少し不可解だったが、彼は元々あまり深く物事を考えない。
「菊ちゃん待ってたでぇ。朝早よから、無理言うてすまんかったな」
 大声を出すと、すっきりした。生成りのジャケットと同色のハンチングをかぶった軽装が、彼に向かって一気に駆けてくる。
「お気遣いなく。農作業が見たいと無理を言ったのは私ですから」
 そう言う菊の満面の笑顔を見て、トーニョは面食らう。今まで国際会議で何度も顔を合わせてきたが、彼から見るといつもとんでもなく無表情だったから。
「って、菊ちゃんえらいイイ笑顔さんやん。なんか俺、嬉しいわぁ」
 滅茶苦茶な直球発言を受けて、今度は菊が面食らう。そんなに嬉しそうだったのかと自問自答しつつ、「今日はプライベートですから」と無難な返事を返す。
「そぉか。菊ちゃんプライベートで俺のところに遊びに来てくれたんや。感激やなぁ」
 次の瞬間には力いっぱいハグされていた。最近では菊も欧州の習慣を理解し、ハグぐらいでは動揺しなくなっていたつもりだったが。
「で? なんでいきなり俺ん所なん?」
 緩急付きで攻められ、心理的体勢を立て直す暇もない。菊は返答に詰まってしまう。いつものんきに笑っている、陽だまりのような人だと思ってすっかり油断していた。
「あー。説明しますので、まずは離していただけませんか」
 ラテン男の胸板に押し付けられて平然としていられるほど、彼はスキンシップに慣れていない。慣れたいとも思っていない。
「あ、そやったね。ほな仕事しながら話そうか」
 菊を開放し、ジャケットのしわを伸ばしてやったりしながらトーニョは笑う。早よせんと、お陽さん昇りきってしまうよってな。などと彼の口は止まらない。
 こんなに陽気でお喋りなのに、うるさい感じがしないのがすごい。フェリシアーノもよく喋るが、彼に比べるとトーニョは聞き手を意識した独演会状態だ。
 ロヴィーノを一回り大きくしたような人、というイメージはかなり過小評価だったと、菊は心の中で詫びた。ちょっと大きさが計り知れない。

「ええと。どう説明すればいいのか。貴方をもっと知りたかったというのが理由なのですが」
 二人並んで作業しながら、菊はぽつぽつと話す。
 御近所づきあいに悩んでいること。なにしろ「一生引きこもってやるぜ!」くらいの勢いで自宅にこもっていた時期が長かった。
 アルフレッドに引っ張り出されてからこっち、他国とうまく付き合えた気がしない。情勢についていくだけで精一杯だった時期。自分と周辺諸国を守ろうと奮い立った時期。そして今は、自国を復興するだけで精一杯な時期。
 ふと気付くと、彼の立場は昔と殆ど変わってない気がする。
「それで……やはり皆様のことをよく知るところから、お付き合いをはじめさせてもらうべきかと考えたんです」
 訪ねられた方にとっては唐突でも、菊にしたら十分気持ちの中でタメがあっての行動だった。
「実は今回、フランシスさんちのイベントに招待されまして。できればその前に貴方に会ってみたかったんです」
 うまく説明できただろうか、と思いながらトーニョを見ると、彼は作業の手を止めて菊を見ていた。
「なるほどなぁ。君そんなこと、考えてたんや」
 俺は、菊ちゃんけなげに頑張ってるなぁと思ってたんやけど。そう言いながら、トーニョは手早く道具を片付け始めた。
「よっしゃ、俺に任しとき。フランのところ行くんやったら、俺が付き添っちゃる」
 爽やかに言い切られ、菊の表情から血の気が引いた。
「違う! 違います! そんな下心はありません!」
 意外な申し出に、菊は混乱する。現状から言えば誤解されても仕方ないとはいえ、そんな風に思われるなんて。
 後見人が欲しくて来たわけではないのに。
「私は本当に……貴方のことが知りたかった……ロヴィーノから聞いた『トマト畑の親分』に会いたい。それだけだったんです」
 そのために、わざわざ場所と時間まで設定したのだから。
 誤解されたと思うと、自分の言葉足らずが悔しくて泣けてきそうだった。
「そうか、ロヴィーノがなぁ」
 初めてトーニョの表情が少し、陰った。さっき菊を見て既視感にとらわれた理由が、わかった。早朝作業に寝坊して遅れ、必死で駆けて来たくせに「来てやったぞ」と威張る。そんな少年の面影が重なったらしい。
 ふと気付くと、菊が居心地悪そうに彼の様子を伺っている。
「君、ホンマ可愛いなぁ。『俺を見て』が最優先にならんのが、信じられへんわ。普通はソコからはじめるんやで、俺ら」
 菊視線を合わせると、トーニョがにやりと笑った。
「あー。菊ちゃん下心ナシかいな。頼られて俺嬉しぃ思ったのに。親分ちょっと残念」
 目の前でがっくりと肩を落とされ、菊はまたしてもうろたえる。
 彼の好意を素気無く切り捨てた自分は、礼儀知らず? などと悩むあたりがどこまでも真面目で、トーニョはそんな菊をとっくに見抜いている。
「あの……貴方がフランシスさんに会うのでしたら、私も同行してもいいですが」
 ややあって、菊の出した結論がそれだった。
「よっしゃ、喜んで行くで。俺が菊ちゃんエスコートしたら、アイツめっちゃ悔しがるやろな。ああ楽しみや!」
 フランも菊と、菊の文化をこよなく愛でている。親しくなりたいと思っているはずだ。どんな顔をするか今から楽しみだとほくそ笑むトーニョ。
「そうそう。もしフランになにかされたら、まず俺に言うんやで。間違ってもルートやアーサーには言わんように」
「? それはどういう……」
「WW3はイヤやねん」
「なんですかそれはっ」
 なぜ? なぜWW3? ルッツやアーサーがフランに宣戦布告するような「なに」が起こると言うのかこの人は。
「まあ、君さえ毅然とした態度を貫けば問題ないんや。あいつ、無理強いだけはせえへんから」
 真顔で結構とんでもないことを言うと、トーニョは首をかしげて菊を見つめた。
「君、割と情に流されそうで心配やし」
「私も日本男児ですっ! 泣き言は申しません!
 例えどんなことが起ころうと、自分の行動には自分で責任を取りますからご心配なく!」
 ちなみに彼の覚悟には、『腹かっ捌きコース』まで含まれる(いわゆる切腹)。
 ご忠告ありがとうございます、と言いきってから。菊はトーニョが寂しそうな表情を浮かべていることに気付く。
「そうやなぁ。一人前の男やったら、当然や。すまん、言い過ぎたわ」
 体格のいい男がしょんぼりと肩を落とす様は、なんともいえない寂寥を感じさせる。
「俺はただ、力になりたいだけやねん。助けたいだけやねん。
 でも、いつの間にかそんなもんイランようになってるんやな……」
 トーニョが見ているのが自分ではないことを、菊は察した。
 彼が見つめる、東へ続く農道。かつてそこを歩いて、畑を手伝いに来た誰かを思いだしている。そんな気がした。
 ただ、空気を読むことで世界一の彼でも、トーニョが自分の気持ちに気付いているのかまでは汲み取れなかった。

 そして。フランシスの家に菊を伴って訪れたトーニョは、悪友から期待通りの反応を引き出すことに成功した。「アントーニョの癖になまいきだぁ」とか、叫んでいたが。
 ただ、フラン以外の野郎からも同等かそれ以上の反応を引き出してしまったのが計算違いで。
 とくにイヴァンが凍えた笑顔でコルコル唱えていたのがその最たるものだった。彼の場合、菊に対して「間違えたふりして僕のものにしておけば良かったな」くらいの気持ちはありそうだ。
 このあとしばらく、トーニョはわけのわからない殺気を身辺で感じるはめになってしまった。






※ 陽は東から昇る、の親分編です。最初考えていたのとどんどんずれてきてあせりましたが、格好良く書いたつもりです。
  私のイメージする親分はまさに太陽。度外れた包容力。そんな感じです。
  菊じいちゃんとは社交性レベルがまったく違う、というところを書いてみたかったのですが…さてさて。どのあたりが天然で、どのあたりが狙った発言かは読者の方の想像にお任せします。
  この話に関しては、東の太陽=ロヴィーノです。

  WW3は親分の冗談です。菊にはまったく通じていませんが。
  国である彼らが取っ組み合いの喧嘩をしたら、それもまた「戦争」なのではないかと思います。
  この場合は多分、パイ投げ合戦でもするんじゃないかと。東西からパイ投げつけられるフラン兄ちゃん。
  あ、ちょっといいかも。メモしておこう♪

  この話特に舞台背景はありませんが、時期は1960年代辺りをなんとなく想定しています。
  親分一番の男前ポイントは、この時期にためらわず菊への付き添いを宣言するあたりなのですが……。
  別になくても困らない設定です。



  Write:2009/07/03 (Fri) 19:50

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