オカエリ。
その日菊は、七年もの長い旅路を終えた友を迎えるため、オーストラリア大陸に赴いていた。
数えきれない「不可能」を乗り越え、歴史上初の帰還を果たす「Falcon」。
その名は世界の耳目を集めている。 菊はこっそりオーストラリアに向かう予定だった。だが、情報というモノはどこからともなく漏れる。
「君、Falconを見に行くんだって? 当然、俺も行くぞっ!
栄光の帰還者は、人類代表の俺が見届けなけりゃね」 アルフレッドが日本に押し掛けてきて、同行をねだったのが最初だった。「アルが行くなら自分も」と、次々同行希望者が現れ、音を上げた菊は全員を連れていく事になってしまった。 断るのが面倒だったのかもしれないが、それは言わぬが花。
6月のオーストラリアは、冬だ。しかも深夜の砂漠とくれば、とんでもなく寒い。 「あの〜。はやぶさの大気圏到達までまだ時間があります。遠慮なく、テントで休んでください」 空を見上げて佇む菊に声をかけたのは、観測スタッフの一人だった。 菊は防寒具にくるまれて着ぶくれた姿で、「お気遣いなく」と声をかけた。すると、菊と一緒にいた男たちが「ヤバそうだったら俺たちが寝袋にでもテントにでも放り込むから!」と笑う。 この人たちは『何』だ? と、スタッフは怪訝に思う。あの少年は「ここにいなければならない存在」という、妙に思わせぶりな説明を受けているが。 一緒にいる男たち。おそらく国籍ばらばら、にもかかわらず不思議な雰囲気が似通っている。この奇妙な集団の説明は、どこからも受けていなかった。 彼の疑問を感じ取ったのか、年長に見える金髪ひげ男がちっちっと指を振った。(どう見てもこいつはフランス人だ)と、彼は決めつける。 「俺たちは、『祝福を与えに来た三賢者』なのよ。あの子にね」
笑って夜空を指差す男は冗談口調だが、スタッフはなぜか笑う気になれなかった。
静かに空を見上げる男たちは、報道関係者にも学者にも見えない。かといって野次馬にありがちな浮かれた雰囲気も全く無い。
何だか気になったが、彼には彼の仕事がある。
後ろ髪をひかれる思いで、青年は自分の持ち場に戻った。
「ねー。菊、体調悪いんでしょ? 大丈夫?」 菊の家はここ数年政権が落ち着かず、毎年のように首相が入れ替わっている。 株価暴落ショックからも抜け切ったとは言えず、菊の健康状態をフェリが案じるのは当然だ。 「大丈夫ですよ。じじいとはいえ、この程度乗り切る体力はまだあります」
そーかな? と不安そうなフェリに「ところでルッツはどうしたんですか」と問い返す。
フェリは、質問を封じる技にたやすくに乗り、「内緒だよ」と菊の耳に口を近づけた。 「さっき菊から借りた『はやぶさの話』って動画を見て……ちょっと感激しすぎてさ。今はみんなの前に顔を出したくないみたい」 赤らんだフェリの目を見て(ふたりして泣きましたね)と菊は察したが、口には出さなかった。 「だから俺、ルッツについてるから。時間までには一緒に出てくるよ」 菊が手を振ると、フェリはテントの一つに戻っていった。 「カプセルが無事だといいね」 アルが明るい口調で問うと、菊より先にアーサーが口を開いた。 「成層圏で燃え尽きなきゃ、いいんだけどな」 「おそらく大丈夫です。計算上、一万度の高熱に耐える設計ですから」 菊が答えると、「へー」という声が上がった。 「すごいと思うけど、君一体何に使うつもりでそんなものを開発したの?」 フランに畳みかけられ、菊は苦笑する。 「もちろん、はやぶさの任務遂行のためですよ。そのために開発され、実装されたんですから」 「そこまで自信があるなら、日本で待ってればよかったじゃないか」 アーサーが言うと、菊は「カプセルの回収は、任せておけば大丈夫です。私はただ……」 うつむいた菊の口から「はやぶさを送り出した者として、この地で出迎えたかったんです」という言葉がこぼれた。 「え? Falconのこと? だってあの機体は、燃え尽きちゃうんだぞ。それを『迎え』って、君本気?」 妙なところがロマンチストだよね。と、アルは快活に笑った。 「そういうものなんです」 いつも曖昧に言葉を濁す菊が、珍しくそう言い切った。 「我々の課した任務を遂行して、帰還するんです。せめて私が出迎えないと」 「自己満足じゃないかそんなの。小惑星から届くかもしれない未知のサンプルにワクワクしてるのかと思ったら、なんてウエットなんだ。 君の得意なキャラクター化ってやつかい?」 アルは「失望した」と肩をすくめるが、菊は特に反論しない。 「……」 菊の国では、万物に魂が宿るという思想が今も生きている。それを知っているアーサーとフランは、菊の言いたい事が多少なりとも理解できる。 その時、菊のレシーバーに無線が届いた。 《いよいよ突入です! 空から目を離さないでください!》 フランが、フェリとルートを呼び出す間にも、菊は瞬きさえ忘れたように天頂を凝視し続けている。 《目標確認! あ! あああああぅわ〜〜〜》 レシーバーから、全く意味をなさない音声が漏れる。 菊は、夜空に突然見えた輝きが尾を引き、分裂して火花と散る一部始終を確かに目撃した。 「すごい! ワンダフルだ!」 何だかんだ言っても、一番興奮しているのはアルだった。両手を天に指し伸ばして「ウェ〜ルカ〜ム!」と絶叫する始末だ。 「違うよアル! ここは、菊んちのあの言葉で迎えなきゃ」 フェリが言うと、瞼を押さえていたルートも「そうだな」と同意する。 「ああ、家に帰った時に言われるアレか」 アーサーが呟くと、フランとアルも納得したように頷く。 五人に見つめられた菊は、呼吸を整えてから、静かにその言葉を口にした。
「おかえりなさい、はやぶさ。長旅お疲れさまでした」 伸ばしていた手を胸元に引き寄せる様は、見えない何かを抱きしめるようで。 どこか厳粛な雰囲気を壊さないよう、一同はその場をそっと離れた。 「お前、余計な事を言うなよ! 菊には菊のやりかたがあるんだからな」 アーサーが説教すると、アルはむっとしたように口をとがらせる。
「判ってるよ。俺もちょっと、出迎えも良いなと思ったんだから」 何を感じたのか、アルは再び空を見上げている。 「Falconのゴースト、菊のところに帰れたのかなぁ」 フェリも同じように空を見上げて、呟いた。
「ゴーストとは違うはずだが。気が遠くなるほどの彼方から戻ってこれたんだ。ここまで来て帰る場所を間違えはしないさ」 ルートは首を真上に向け、表情を誰にも見せまいと頑張っている。 「大丈夫だと思うよ? この砂漠は、アボリジニの聖地なんだってさ。迷える魂を、導いてくれるんじゃないの?」 フランが最後に呟く。 そして彼らは異口同音に、同じ言葉を天に贈った。
――オカエリ。
終
*すいません。あのニュースを見て黙っていられなくて。 どうしても菊に迎えに行って欲しくて、無理やりな話を作ってしまいました。
あまり検証してないので、おかしなところもあると思います。
拍手たくさん頂けて、ほっとしています。
Write:2010/06/17
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