地の宝玉
その村は、アプフェルドルフという名前だった。「リンゴの産地だからリンゴ村」という平凡なネーミングは、聞いた人にさしたる感銘を与えないだろう。
しかし、実際その地に足を運んだ時。誰もがその名の「相応しさ」を実感する。
緩やかな丘陵地のほとんどを牧草地が占める、この地域に良くある環境の小さな村。だが、ぽつぽつと点在する農家を囲うように植えられたリンゴの木が、異彩を放っている。
一斉に花開いた時の見事さは言うまでもないが、その美しい景色が村にもたらす恵みの方が、むしろ重要だ。
この村は、上等なApfelwein(=リンゴ酒)の生産地として、国内でも有名だった。
周囲を見おろせる小高い丘に向かって、帝国の上級将校の制服を着た青年が足を向けていた。
村人の注目を集めないよう、わざわざ街道を迂回して目的地に近付いた青年は、足を止めて首をかしげた。
「あれ? ここでいいはずだよなぁ」
丘を見上げて呟いた青年は、ちょうどその場を通りかかった壮年の男を呼びとめた。大きな籠を背負った男は、足を止めて訝しげに眼を向ける。
「なあ、あの上にでっかいリンゴの木がなかったか?」
問われた男は近在の農民と思われる、朴訥で地味ななりをしていた。
よく日に焼けた肌をこわばらせ、目を見開いて青年を見つめている。
(あー、警戒させたかな。こんな平和な村に軍人が来たら、変に思うよな普通)
その反応はあらかじめ予想していた。だが青年は、正装でなければならない理由があったのだ。だから苦労して人目を避けて来たのに。
「去年の春、あの木に雷が落ちた。真っ二つに裂けてどうしようもなかったんで、切り倒したんだ」
「……そうか。残念だったな」
青年の呟きには、感慨が含まれていた。
「あれは、この村で一番古い木だった。百年以上生きた、村のシンボルだった」
呟きながら男は丘の上に向かう。青年も並んで歩き始めた。
「昔、この村が戦火に焼かれた時。人も大勢死んで、離村しようという話さえ出ていた。
だが、その時来た聖騎士がこう告げたんだ」
男は息も切らせず丘を登りつつ、昔の話をまるで見て来たように口にする。
「ここが戦場になる事はもう、二度とない。安心して牛を飼え。家を建てて木を植えろ。
俺が保証するとまで請け合ってもらえて、とても心強かったと。そう伝えられている」
青年は「あー」と意味不明な声をもらし、ぽりぽりと頬を掻いている。
(ンなこと、言ったっけなぁ)という呟きは、男には届かなかった。
「この木を植えたのが、おれの先祖だ。だからおれには、新しい木を植える義務がある」
確かに、男が背負った籠の中にはリンゴの若木があった。
青年は、苗に手を伸ばすと、枝先にキスを贈る。
「よし。こいつも大きくなるぜ。俺様の祝福つきだ」
それを聞いた男は、手を止めてじっと青年の顔を見つめている。
青年は気軽な足取りで、かつてこの村を見おろしていた古木の切り株に近づいた。何か囁きかけているが、その内容までは判らない。籠を地面に下ろして、男は「なあ」と青年に呼びかけた。
「帽子、とってくれないか」
軍人は、無意味に制帽を脱いだりしない。無礼な要求だと怒られる覚悟で、男は身を固くしていた。しかし青年は笑顔で庇をつまみ、あっさりと頭髪を露わにした。
青年の、銀に近いブロンドを見て男は小さく息を吐いた。粗末な帽子を脱いで、青年に頭を下げる。
「銀髪に赤眼の将校。間違いない、あんた……騎士様だ」
うつむいた男の頬に、涙がこぼれた。
「そんな容姿の騎士が村を訪れたら、あるものすべて出して歓待する。それがウチに代々伝わるしきたりだ。ずっと……あんたを待っていたよ」
うつむいた男の頭に、大きな手が被さった。
「そうか。お前あの時のガキか。いつのまにか、時間が過ぎてたんだなぁ」
「32年だ」
わしわしと頭を撫でられ、壮年の男が子供のように泣いている。男が最後に彼に会ったのは、おねしょがおさまったばかりの幼い時だった。あれは、昔話が見せた夢だったのかとあきらめかけていたのに。
「栄光のプロイセンがドイツとかいう帝国にとって代わるし、あんたは来てくれないし、あげく大切な木が焼けるし。
おれは、この村が見捨てられたのかと……心配だった」
鼻をすする男を見おろした青年は、「わるかったな」と素直に呟く。(村のどこかに俺を知っている一家がいるはずだが、会えるかなぁ)などと半信半疑のままにここまで来たのだが。
その一家はリンゴと共のこの地に根を張り、あの時の話を風化させることなく守ってくれていた。
苦手な正装で訪ねてきた甲斐があったと、青年は心の奥で安堵した。
「俺も、忙しかったんだよ。子育てとかしてたんだぜ、似あわねぇけど。
いやぁ、子供って目が離せないよな」
意外な事を聞かされ、男は思わず目線を上げる。祖父から聞いた言い伝えによると、この青年は人間ではないはずなのだ。
今日、思い出と全く変わらない若い顔を見た男は、彼の正体に確信を持った。だが……子供?
「で、どうだ? ドイツって国は。おまえら、平和に暮らせてるか?」
にんまりと笑う青年を見て、男の脳裏に何かが閃いた。
「じゃあ……子供って……」
青年は指を振って、男の発言を封じる。彼には、他人に命令する事に慣れた風格が備わっている。
「あんたが育てたのなら、その子供はまっすぐ成長するんだろうな。
ありがとう、おれたちが敬愛するプロイセン」
その名は口にしてはいけないと、祖父から厳しく言われていたが。この気持ちをどうにか伝えたくて男は、両膝を地について祈るように胸の前で手を組んだ。
青年は男の肩を軽くたたくと、「その木が育ったころに、また来る」と声をかける。
「この村のApfelweinは、毎年ベルリンに届いてるぜ。だから、首尾よく平和に暮らしてるんだろうと安心しすぎたな」
あっさり男から離れ、青年は丘を下って行く。男は慌てて立ち上がると、彼の背中に向かって叫んだ。
「おれはリンゴを植えるぞ! おれの子や孫が食っていけると信じられるから!
すべて、あんたのおかげだ! Apfelwein贈るくらいじゃとても足りないくらい感謝してる!」
青年は一度だけ振り返り、制帽を持ち上げて銀髪をさらした。
「達者に暮らせ。それで十分だ」
その後ろ姿が涙でにじむ。男は慌てて顔をぬぐい、青年を追いかけた。
「ちょっと待ってくれ。今夜はぜひうちに来て欲しい。今の時期は何もないが、歓待する」
帰らなきゃならねえんだ。と青年は帽をふる。男は負けじと叫ぶ。
「後継ぎの、息子を連れてくる。あんたの顔を見せておかないと」
「……そのくらいなら、いいぜ。早くしてくれよ? 俺様結構忙しいんだ」
村に向かってダッシュする男を見送って、青年はケセ、と喉で笑った。
「次の機会がありゃ、いいんだけどな」
村の名はアプフェルドルフ。リンゴが名物だからリンゴ村という、平凡な名の平凡な村。
歴史の波に埋もれてしまっても、質の良いApfelweinの伝統は今でも残っているという。
終
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* 拍手御礼第14弾でした。
一周年をひとり上手でお送りしてしまいます。
史実ネタを扱うサイトとして、一番やりたかったのはこの「一般市民とのふれあい」でした。
でも、他サイトを見ると「一般人注意」などという警告がついているのが気になりまして。
(あまり、よろしくないのかな?)と心配になり、しばらく見送ろうと思いました。
一年サイト運営してみて、「ウチの常連になるような人は、大丈夫だろう」と見極めました。
そんな意志をこめて書いた話です。
「こういうの好きじゃないわ」と言う方ごめんなさい。
突然で驚かれたかもしれませんが、私の心づもりはこんな感じでした。
実は「上司ネタ」も書きたい話の一つなのですが。
最初に取り上げたのが「バイエルン王」というマイナーネタだったからかな。
あの話、あまり人気ないんです。なので、上司ネタも見送り状態でした。
でもやはり取り扱いたいネタなので、たまにこっそりまぜてアップするくらいなら、いいよね?
……駄目と言われても書きます。申し訳ありません。
アプフェルドルフは、実在する地名です。ドイツ中にある、平凡な名前の代表として使いました。
なので、特定の土地を指したモノではありません。
Apfelweinは、フランスのシードルに近いです。ドイツ語では原材料+ワインという命名法みたい。
ちなみに日本酒はreisweinです。
Write:2010/08/16
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