おててつないで
「お前、あいつらと組むのか」 自国の政治スポークスマンたちと来日したアーサーが、菊に問うた。 「おそらく、そうなるでしょう」 元々痩せぎすな肢体はさらにやつれ、現在の経済状況がいかに悪化しているかが知れた。 その国に、さらにむちゃな経済圧力をかけに来たのはアーサーの国。 力あるはずの彼が、どこか弱弱しい声で呟いた。 「なあ、考え直せ。あいつらを選んだら、俺とはもう……」 黄昏の風に髪を散らして、菊はアーサーと対峙する。 「貴方と一緒に居たら、私はどうなるのでしょう」 「そりゃ、WW1前のように共に助け合うんだよ」 力を込めて言うと、菊はほほ笑んだ。たとえようもなく悲しげに。 「貴方を助けて、東南アジア諸国を支配するのですか?」 それは違う。私が成したいのはそれではない。と、菊は呟く。 「わが身ひとつの安全ではなく、私はアジア全体を守りたい」 数百年もの間、ほとんど伝説でしかなかった国、日本。いざ蓋を開けてみると、勤勉で剛直な侍思想が腰を据えた、とんでもない国だった。 小兵(こひょう)の兵隊たちと、明らかに他国に劣る軍事技術。 列国の仲間にしてやるのだから、おとなしく教えを請えばいいと思われていた島国は、小さな身体にみっちりと「戦士の魂」を持っていた。 半世紀もかけずに大国二つと戦って勝ち、さらに大陸へ進出するこの国に、欧州諸国は眉をひそめる。 ――――生意気な。 元々大した資源を持たない、吹けば飛ぶような辺境の小国。ちょっと経済圧力をかければたちまち屈服するだろう。 そう信じた列国の思惑が嫌な方向に外れつつある事を、アーサーは身を持って感じる。 「俺では不満か? 頼りにならないのか?」 気がつくとアーサーは、菊の肩を掴んで揺さぶっていた。 「貴方の事は、尊敬しています。今も変わらす、私のあこがれです」 いっそ激してくれればいいと、アーサーは思った。でも、菊の目は相変わらず静かなまま。 「でもそれは、私個人の思いにすぎません」 アーサーの手を、振り払わないよう丁寧に外して、菊は少しだけ微笑んだ。
「わが国では今、貴方やアルフレッドさんの国にあこがれる若人が……兵役についています。
彼らは私と同じです。 敬愛する心は変わらなくても、彼らは祖国のために銃を持つのですよ」 今、貴方に頼るわけにはいかないんです。と、菊は答えた。 「俺と戦うと、言うんだな」 「それとこれとは、話が別だと申し上げました」 言いたい事はこれだけだと、菊は丁寧に会釈する。そのまま去ろうとした彼に、アーサーが待ったをかけた。 「これを、受け取れ」 アーサーは自分の皮手袋の人差し指にかみつくと、もどかしげに引き抜く。そのまま投げつけられた黒い手袋は、菊の肩にぶつかって軽い音を立てた。 「……これは」 手に取った菊の顔が青ざめる。手袋を投げると言うのは確か……。 「決闘の、作法」 「そうだ。知っていたか」 それが戦いの合図だと、知らないはずがない。教えたのは、アーサー自身なのだから。 「受けるか」 「え?」 「俺の申し出を受けるなら、返礼を」 菊は顔を上げ、アーサーと眼を合わせた。その瞳には、憎悪のかけらも見られない。 それにもかかわらず、菊は自分の手袋から右手を抜く。アーサーに投げつけた綿手袋は、ほとんど音を立てなかった。 「了承した」 白手袋を胸ポケットにしまったアーサーは、凄惨な笑みを浮かべる。 「今日からお前は、俺の敵だ」 相手に背を向け、夕日の中を歩み去るふたり。 どちらも決して振り返らなかった。
終
PS. おてて つないで のみちを ゆけば みんな かわいい ことりに なって
幼い声が歌いながら家路についている。 彼と手を取り、同盟を結んでから、さほど時間は過ぎていないはずなのに。 あの時の嬉しさと誇らしさは、まだ少しも色あせていないのに。 (なぜ、こんなことになるのでしょう) 問うても栓のない事を、菊は自問してしまう。 維新後の時の流れは激しすぎ、立ち止まって考えることさえできなかった。 (私どもはただ、広い世界に負けたくなかっただけなのに) 皮手袋と丁寧に畳んで、懐にしまう。 この気持ちを正直に訴えようと、何度も思った。 (でも、できません) 戦いはおそらく、避けられない。菊は菊の、アーサーはアーサーの理由で戦場に立つだろう。 それなら、気持ちなんてないほうがいい。忘れられた方がずっといい。
うたを うたえば くつがなる はれた おそらに くつがなる
それでも。 それでもどこかに、ふたり手を取り、靴を鳴らして共に歩く道があったのではないかと。 そんな思いに苛まれる菊だった。
*白いリボンと対になる話です。
本当は前後にもう少し書きたすはずでした。
私が書きたかったのは「手袋を投げあう二人」だったので、もういいかと。 実際、楽しい話じゃないしなぁ。 味方じゃなければ敵確定、という時代なので仕方ないとはいえ、切ないです。 菊視点で書いたので菊→朝っぽいですが、私は朝→菊だろうと思っています。 私にとって、一番のツンデレキャラはアーサーなのです。
Write:2009/10/06 (Tue)
|
|