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王様と私〜バイエルン2



「王!」
 マックスが執務室に駆け込み、名を呼ぶ。
「おや、話を聞いて来たんじゃないのかね?」
 愛用の椅子に腰を沈めた王は、いつもの口調で彼にこたえる。
「私はもう、王じゃない」
「だから、あれほど言ったのに!」
 床に膝をつき、マックスは王の手をとった。

 「大いなる田舎の国」と影口をたたかれていたバイエルンを、今のように育てた王。
 開明的で明るい、国民に愛された王が、在位末期に人が変ってしまった。
 それまでの王は。建築や芸術にはバンバン予算を使うが、日常生活はきわめて質素だった。
 彼の趣味がバイエルンを美しい文化国家に育てるのを誰もが感じていたので、予算折衝で文句を言いつつも、王を嫌う国民は居なかった。
 王もまた、おおざっぱに使いたがるように見せて、けして節度を踏み外すことはなかった。
 それなのに。
 とある女性との出会いが、何もかも変えてしまった……と、マックスは思っている。
 
 それは、ひとことで言えば「老いらくの恋」。ただ、彼女は一国の王が愛するには問題がありすぎた。
 各国の、地位も名声も持ち合わせた男たちの間を次々にわたり歩く、伝説の妖婦。
 その女がつてを頼って王に謁見をした理由は明らかだ。
(あの厄介な性癖、もう少し控えさせておくんだった)
 そう後悔したのは、マックスだけではなかった。明らかに彼女は、王の有名な「美女好き」につけ込む自信があったのだ。
 その罠に、王は見事に落ちる。
 愛人の浪費を許し、政治への口出しを許し、諌める者には背を向ける。
 そんな王への支持が急降下するのを、マックスは黙って見ていたわけではない。
 逃げ回り、彼を避ける王を必死で捕まえて説得した。こんなことはやめて欲しい、昔の貴方に戻って欲しい……と。
 結局。彼の言葉も、王を変えることはできなかった。

「君の名を汚してしまった」
 王位を息子に譲った元王は、久しぶりに穏やかな口調で告げた。
「すまなかったと思っているよ」
 欲しかったのはそんな言葉じゃない。と、マックスは苦々しく思う。
 今回の事は、欧州中に響くスキャンダルとなった。しばらく「バイエルンと言えば〜」と、他国から笑い話にされるだろう。
 いや。そんなこと、彼には大した問題ではない。
「あんな女のせいで……っ」
 賢明な、偉大な王の姿は、彼の国民の中から消えてしまった。今残るのは「色ボケした偏屈老人」という悲惨なイメージ。
 うずくまるマックスの両肩に、痩せた腕が覆いかぶさった。
「君を守りきれない、愚かな王だ。笑って追放してくれたまえ」
 椅子に腰かけたまま、元王はマックスを抱き寄せる。孫を愛おしむ祖父のように。
「マックス・ヨーゼフは良い王になりそうだと思わないかね? 彼を……息子を頼むよ、君」
「貴方も」
 マックスは彼の腕から身を引くと、改めて膝をついて礼をしめす。
「貴方も、結構イイ王様だったよ。だから……」
 こんな形で貴方を送るのは、つらいんだ。と、なるべく平静な声で告げる。
「そうだね。バイエルン王ルートヴィヒ一世の人生は、終わった」
 ぐっ。と、涙をこらえるマックスの耳に、元王は囁きかける。
「だからこれからは、第二の人生だ」
 涙を忘れてぽかんとするマックスを見て、元王は満足そうに微笑む。
「私はフランスに行こうと思う。あの国で、ルートヴィヒという唯のじじいとして暮らすんだ。どうだ、よさそうだと思わないかね」
「……貴方という人は本当にっ!」
 この期に及んで、昔の彼に出会えたマックスはもう、嬉しいやら懐かしいやら。
 どうしていいのか判らない気分だった。
「私はこの国に、居ない方がいいんだ。会わない方が、君のために良いだろうしね」
 口に出すと、寂しいものだな。と、元王は苦笑する。
「王……」
「王、ではないと言うに。久しぶりに名前を呼んでくれないか」
「ルートヴィヒ」
 即位のはるか以前に呼んだ名前を、口にした。
「うん、悪くないな」
 ルートヴィヒ老はマックスを立たせ、改めて抱擁する。
「我がバイエルン。教育係で幼馴染で、悪戯仲間で学友で。兄とも弟とも、息子とも孫とも思ってきたよ。
 そんな君と別れねばならんのが、私自身への罰なんだと。どうかそう思って許してほしい」
 老人の背中をそっとなでるマックス。
「今まで、俺の面倒を見てくださってありがとうございました」
「……年寄りを、泣かせるんじゃないよ君」

 それが、ふたりがゆっくり語り合えた最後の時間となった。

 終



*ルートヴィヒ一世、その後の話です。
 晩年の彼は、愛人にいれあげてそれまでの功績を全部無にしてしまいます。
 国民からそっぽを向かれ、「王じゃなくなった貴方に用はない」とばかりに愛人に逃げられて(別れさせられたのかもしれないけど、詳細不明)
 なにがすごいって。
 この人退位後二十年を元気に生き抜き、しかもバイエルンの没落を目にする前の絶妙のタイミングで、亡くなってます。
 この件で落ち込んでますが、きっと立ち直ってそれなりに人生を全うしたんじゃないかと。
 そうであればいいなという、私の妄想ですが。

 バイエルン王国の歴史は、この後「黄昏」にむかいます。
 ロマンチストで気の優しいマックスは、つらかっただろうと思います。

 勢いよく王を追放したバイエルン国民ですが、その後「大人げなかった」と反省したみたいです。
 王の一番格好いい像を、一番きれいな広場に立てました。
 私もこの王さま、とても好きです。なので、小ネタにしては表現に力が入って長めになってしまいました。



Write:2009/10/07 (Wed)

とっぷてきすとぺーじ上司と私