そのための場所
その日。午前様状態で自宅に帰りついたルートは、軽い食事だけを済ませて早々に寝室に引き上げていた。
とはいえ、疲れていてもなかなか寝付けないのが常のルート。本でも読むか、音楽を聞こうかとぼんやり考えていた時に……遠慮がちなノックの音を耳にする。
「?」
ここは寝室だ。そして、叩かれたのは正しく寝室のドアだ。ノックするからには誰かが訪ねて来たのだろうが、ギルは今夜家にいないはずだ。
もう一人、頻繁に彼の寝室に侵入する奴に心当たりがあるが、そいつはノックなどせずいつも勝手に入ってくる。
しかし、どう考えてもそれ以外の心当たりが思いつかない。ルートは思いきって、そっと名を呼んでみることにした。
「フェリシアーノ?」
すると、呼ばれるのを待っていたかのように扉が開き、心当たりの人物が顔を見せた。
「遊びに来ちゃった」
へらへら〜と笑ったフェリは、ルートのベッドにダイビングを敢行。すぱーんと思い切りよく飛び込んだフェリは、ベッドの上でじたばた平泳ぎしてルートの隣りに到着する。
「こら、寝具が汚れる! とりあえず靴は脱げ!」
「ふぁい」
近寄られて気付いたが、顔がほんのり赤い。普段ワインの一本や二本平気で空けるフェリが、こんな状態でドイツに来るのは珍しい。
酔いが回ると眠くなる性質のフェリは、たいてい飲んだその場でつぶれるからだ。
気になりだすと、他の部分も目に付く。たった今脱ぎ捨てた皮靴もいつもよりフォーマルだし、身に付けたジャケットも、仕立ての良い本麻だ。ということは……。
「誰かと、会ってきたのか?」
そう問うと、フェリは目を大きく見開いてルートを見た。
「そうなんだけど、どうしてわかるのさ」
言いながらジャケットを投げ、ズボンも脱ぎすててどんどん身軽になるフェリ。
上等のジャケットがしわになるのが耐えられず、ルートはやむなく起き上がってフェリの服を拾い集めた。
「今日はね、エリザ姉さんとデートだったんだよ。ローデさんが戻るまでの代役だけど。
久しぶりだったからさ、色々懐かしい話をしてきたんだ。楽しかった〜」
いつもの睡眠態勢(つまり全裸)になったフェリは、ベッド中央を占領。寝具に潜り込んで機嫌よく笑っている。
「あ、エリザ姉さんたちがミラノに来たんだよ。それでね……」
やはり酒が回っているのか、やや呂律の怪しい口調で「今日の出来事」を語るフェリ。
「ゆっくり話ができて、嬉しかったよ。エリザ姉さん、幸せそうでよかった」
そうか。と呟いたルートは、集めたフェリの服をコートかけにまとめて吊るした。
「判らんな」
「え? なんのこと?」
隣に座ったルートに正面から覗きこまれ、フェリは悪戯を見つかった子供のように寝具で顔を隠そうとする。
「今の話だと、今日は楽しかったんだろう?」
「……うん」
フェリの応えに、首を縦に振るルート。顔の赤さでごまかされていたが、よく見るとフェリの目までが赤い。
「泣きながら呑んで、その上に俺のところに来る。普通にお幸せ状態のお前なら、そんなことはしない。矛盾しすぎだ」
なにがあった。と、無言で問う。するとそれだけでフェリの涙腺がじわじわ緩んできた。
「上手く……言えないんだけど……」
「いつものことだ」
そっけなく切り返され、フェリは寝具に潜ったまま小さく笑った。
「姉さんもローデさんも幸せそうでさ。『フェリのおかげ』って、すごくいい笑顔で笑ってくれたんだ」
ルートが笑う気配がする。たったそれだけで心が落ち着いたフェリは、少し表情がゆるむ。
「あーゆーときの姉さん、一番きれいだよね。俺もすごく嬉しかったんだ。本当だよ。
でも……なんでかどんどん寂しくなって。お酒呑んで寝ちゃおうって思ったんだけど、胸が重くなるばかりで眠くならないんだよ〜」
「それでここに?」
問うと、フェリはがばっと身を起して「だって一人だと寂しいじゃないか! 色々考えちゃうし! どうしてルッツは平気なんだよ、不公平だ!」と叫んだ。
八つ当たりの極みだ、とルートはため息をつく。
「別に平気じゃない。俺にも寂しい時はある」
「そうなの?」
「当たり前だ。俺を何だと思ってるんだ」
真顔で問い返すと、フェリはちょっとうつむいて言葉をこぼす。
「だって、ルートが俺んちに突然来ることも、電話で愚痴ることもなかった……よ……」
あ、そうか。と呟いて、フェリは肩を落とした。
「そっか。ギル兄ちゃんとかフラン兄ちゃんとかローデさんとか、話を聞いてくれる人はたくさんいるよね」
一人で納得して、フェリは再び寝具に潜り込む。それを押さえて、ルートは無理やり彼をベッドから引きずり出した。
「勝手に結論付けるな! 誰がいつあいつらに泣きついたって?」
そんなことは絶対無い。 と断言すると、フェリはやっとルートの顔を見上げた。
「じゃ、寂しい時お前はどうしてるの?」
「我慢する」
即答で言い切られ、フェリはくわっと目を見開いた。
「何それ! どうして溜めこんじゃうんだよルッツの馬鹿! 俺、じゃなくてもギルでも菊でもいいけど……。とにかく何か言ってよ。俺、お前が一人で耐えてるのって、何か嫌だ!」
多分こいつと俺では、「寂しい」の閾値が違うんだろうと思いつつ。なんとかなだめようとルートは言葉を探した。
「そうか。では、こうしよう」
「ん?」
「その時は、お前の胸で泣いてやる」
あっけにとられてルートを見つめていたフェリの顔が、見る見る赤く染まる。
「え。ちょっとルッツ。それってものすごい殺し文句だけど、自覚ある?」
「そうなのか?」
平然としているルートを見て、フェリは気がついてしまった。
「あ! お前、『そんな事態は起こらない』って思ってるだろ! だから平気なんだ!」
酷いずるい嘘つき〜、本当にドキドキしたのにっ! あんまりだ、俺の純情を返せ〜。と、ぽかぽか殴られるルート。
嘘をついたつもりのないルートは、困り果ててしまった。
「確かに、俺がお前に泣きつくシチュエーションが想像できないのは事実だ。だが、嘘とまで言われるのは心外だ」
「じゃ、今試そうよ」
ベッドに座りなおしたフェリは、両手を広げてルートに笑顔を向ける。
「さあ! 俺の胸に飛び込んでおいで!」
裸で胸を張られても、威厳のかけらもない。せめて真面目な顔をすればいいのに、この状況が気に入ったのか表情は緩みっぱなしだ。
腹が立つような、情けないような、笑いたいような世にも複雑な感情を持て余すルート。
自分が言いだしたことなので引くに引けず、仕方なくルートはフェリの胸に飛び込む……というより、頭突きをかました。
「ヴェ?」
本当に実行するとは思ってなかったのか、フェリが驚いたように声を上げる。だが、そっとルートの頭を抱いて、嬉しそうに笑った。
「大丈夫だよ。俺がここにいるよ」
ルートの金髪に、フェリの顔が埋まる。
「ずっと、『君』と一緒だよ」
微妙な言い回しが心に引っかかるルート。だが、彼の頭にしがみついたフェリがすすり泣く気配がしたので、何も言わずに好きにさせることにした。
「慰める方が泣いて、それでいいのか」
「いいんだよリハーサルなんだから!」
何でこんなことになったんだろうと途方に暮れながら、結局フェリが泣き寝入りするまでこの体勢で耐えた。
(まあ、こいつも気が晴れたみたいだからいいだろう)などと納得してしまうところが、すでにオカシイということには気がつかないルートだった。
終
* 日だまりは何処に、の続きです。
aji様にいただいたコメント「ルッツ慰めてあげて〜!」を、実行してもらいました。
抱きしめて慰めてもらうつもりだったんですが……あれ?
どうして、当初の予定と反対の状況になるのか、わけがわかりません。
ルートのあのセリフ、浮かんだ時には私自身が恥ずかしさで「ギャー」な状態に。
自分の妄想で叫べるとは。私も新しいステージに進化しましたな(汗
Write:2010/05/26
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