とっぷてきすとぺーじ 本文へジャンプ


笑ってよ君のために


 菊の家に寝泊りした三人は、いつも決まった順番で起きてくる。
 最後まで寝ているのは決まってフェリで、一番は家主の菊。ルートは菊が朝の身支度を一通り整えた頃に起きてくる。そのタイミングがいつも測ったように正確なので、実は家主に気を使って寝たふりをしているのではないか、と菊は思っている。
 しかし、今日は珍しい番狂わせが起こっていた。菊が目を覚ますとフェリの姿がなく、逆にルートはまだ穏やかな寝息を立てていた。フェリは例によって裸で寝ていたので(注意するのはとっくに諦めた)、そこに残っているのは寝乱れた夏蒲団と……三角巾。
 医者には「痛くなければはずしていい」と言われたから、問題はないのかもしれないが。あとで「あれぇ、やっぱ痛いよ〜」と泣くフェリの姿が脳裏に浮かんだ菊は、彼を探しに行くことにした。

 菊の家は住宅街からやや離れた高台にある。周囲も昔からの家が多く、淡白な近所づきあいが今も守られている。
 そんな彼の家から少し歩いただけで、町並みが見えたり海が臨めたりという絶景ポイントがいくつもある。散歩にはもってこいの場所だ。
 以前彼らが来たときに案内した『ご近所遊歩道』を、フェリもルートも気に入ったようだった。特にフェリは、買い物に行く菊について来るのが常だった。
 ぼんやりと風景を眺めながら歩くフェリの腕を取って歩く。そうしないと、生垣に突っ込んだり電信柱にぶつかったり何もないところで転んだりするからなのだが。
 ただ歩くだけの時間が、菊にとってもなぜか楽しみだった。

 フェリは、「彼のお気に入りポイントその3」に居た。今までにもよくそこで絵を描いていたのだが、今日もスケッチブックを広げている。
 手にしているのは水彩色鉛筆。画材は常に持参しているところがさすがだと思う。遠目にも迷う風情もなく、ぐんぐんと線が重ね塗られているのが判る。
(あれなら、問題はなさそうですね)
 そう判断した菊が背を向けるのと、その気配を感じたフェリが振り返るのが同時だった。
「あれ〜? 菊早いね。いつもこんな時間に散歩なの?」
「ええ、まあ。フェリこそ早いですね。驚きましたよ」
 あんなに集中していた様子だったのに、既に気持ちが切り替わっているところが彼らしい。
「夕べ俺、早く寝たからね〜。だから、いつもは見られない早朝の海をどうしても描きたくってさ」
 スケッチブックには、まだ殆ど影に沈む山林と、朝日で淡く輝きはじめた海が描かれている。
「それはいいんですけどね。せめて一言メモでも残してくださいよ」
 フェリの携帯は壊れたままなのだから。
「それくらいの気配りはしなさい。昨日の今日でなんですかこれは」と、菊の口調は厳しくなる。
ところが。
「……菊は、優しいなぁ」こくこく頷いていたフェリが、そう呟いた。
「あなた、人の話聞いてますか?」
「だってさ。俺また心配させちゃったんでしょ? ごめん。『今なら描ける、描きたい』って思ったら、他の事考えられなくて」
 あまりにもありそうな行動だったので、菊は言うべき言葉が思いつかない。フェリは再び「菊の優しいところ、俺大好きだ」と呟く。
 説教のまっ最中に、そんなことを言われて話を続けられるものではない。何しろフェリの場合、言い逃れやごまかし等の邪心無しだから始末に悪い。本音丸出しもここまで来ると卑怯だ、と菊は心から思った。
「ルッツもそうなんだけどね。大魔神みたいに怒っても、そのときは怖くても、後でよく考えたら、かならずふたりの言うことが正しいんだ。
 怖い、んじゃなくて厳しいんだよね。それって、俺のために言ってくれてるんだって、わかるもん」
 なんですか、この褒め殺し。と、居心地の悪くなる菊。フェリはいつになくしんみりした態度で、ぽつぽつと語る。
「俺、いろんな奴の思惑で引っ張りまわされたり閉じ込められたりすることが多かったんだ。泣いても謝っても誰も聞いてくれなくて……」
 立ち上がったフェリは、目前の光景をに視線を向ける。明け染めた淡い蒼色の空と、深い紺碧の海と、両方を照らす朝日を。
「本気で『俺』のことを心配してくれたのってさ、ルッツと菊と…あとひとりだけだったんだ」
 欧州年上組が聞いたら、揃って冷や汗かきそうな話だった。戦争中の事とはいえ、さすがに耳が痛いだろう。
「あと…ひとり」
「うん。俺の初恋の人。いつもすっごい目で俺を睨んだり、俺が泣いてたら『なぜ泣く!』って怒るような子だったよ」
 待ち伏せされたり追いかけられたりしたけど、今思うと俺を心配してくれてたんだよね。と、フェリは懐かしそうに笑う。幼い初恋のほほ笑ましさに、菊の表情もゆるむ。
「それでね。あの子は、俺が笑ったらとても喜んでくれたんだぁ」
 喜ぶ顔が見たいから。好きな人にはいつも笑って欲しいから。だから俺、笑うことにしたんだ。と、フェリは言う。
 彼の性格を決定した、大切な人ということですね、と菊は思う。その心を忘れず保ち続けているところが、彼の目だなない長所なのだろう。
「……伝えましたか?」
「ん?」
「あなたのための笑顔です、って。その人に伝えたんですか?」
 問われたフェリは、顔を伏せて首を振る。
「俺、昔は自分の気持ち判ってなかったから。それに、その子とはすぐ会えなくなっちゃったし」
 表情が曇った菊を見て、あわててフェリが手を振る。
「だって! 初恋ってそんなものでしょ。それに俺、いつでも気持ちを素直に言えるようになったから、もう大丈夫だよ」
 ちょっと背をかがめ、菊の顔を覗き込んでフェリが語る。
「俺、菊にもルッツにも一生懸命伝えてるんだよ。判ってくれてる?」
 え? と問い返すと、フェリはいつになくまじめな顔で彼を見ていた。
「でも、ふたりともなかなか笑ってくれないんだよ。……俺の努力が足りないのかなぁ」
 ヴェ〜と鳴く声が、いつになくか細い。
「泣かないで、笑って欲しい」と彼に望んだ人の気持ちは、ちゃんと彼の中で息づいているのだ。そう思うと、菊は何か伝えずにはいられない気分になった。
「え? 菊?」
 うつむいたフェリの身体を、突然誰かの腕が締め付けた。この場にいるのはふたりだけ。なら、彼を抱きしめているのは菊しか居ないのだが。
「どうしたの? 菊、ハグ苦手でしょ?」
「言わないでくださいっ! 私、慣れてないしいっぱいいっぱいですから!」
 確かに不器用なハグだった。普通腕の下から手を回すべきところを、フェリの両椀の上から抱きしめている。
 これではフェリの腕は、肘から下しか動かせない。抱き返すこともままならない。
 しかも。回した手の置き場に困ったらしい菊の掌が、フェリの背中を移動する感触がくすぐったい。彼の肩先に位置する黒髪が、触れそうで触れない。
 口をぎゅっと結んだ菊が彼を見上げるに至って、ハグが大好きなフェリはなんとか抱きしめ返したいと身もだえするしかなかった。
「うわぁ、なんか新鮮〜。ルッツから見た俺って、こんな風なんだ」
 どうにかしたいと気が急いて、菊の背中に回した指に力が入る。危うく爪を立てそうになった。
「あなたが笑わなくても、笑いを忘れるようなことがあっても。私はあなたが好きですよ」
 だからへんな心配しないで、でも私たちに心配かけるのはなるべくやめてくださいね、と。早口で告げて視線をそらす菊。
「菊こそ、俺やルッツに心配かけちゃ……ダメなんだからね」
 そう答えたフェリは、既に涙声になっている。喜怒哀楽表現が素直な彼は、別に無理して泣いたり笑ってるわけではないと思うが。
「泣くのはともかく、笑うのは自分が笑いたいときで良いんです」
(我ながら、こんな大胆なことができるとは。驚いたのはこっちですよ全く)
 フェリにはこれくらいしないと通じないだろうと、思い余っての行動だった。通じてよかった。もう一度やれといわれても無理だと、こっそりため息をついた。
 べそべそと泣くフェリをなだめつつ、手を引いて足早に帰宅する菊。
 近所の人に見つからなかったのは、奇跡と言っていいだろう。

 ちょうどその頃。ようやく目を覚ましたルートは、ふたりが居ないことに気づいて慌てふためいていた。菊は、さっきフェリにした説教を今度は自分が受ける羽目になってしまった。


 終



PS. 「ねえ、菊。ルッツにもハグしてあげてよ」
  「それはちょっと……」
  「大丈夫だよぉ。俺思うんだけど、ハグされるより、するほうがきっと気が楽なんだよ菊は」
  「確かに、自分から行動する方がましのような気がしますが」
  「でしょ? TDLで耳つけたあの勢いでルッツにも……」
  「とりあえず、その件は忘れてもらえませんか」
   フェリに散々説得され、「一度だけなら」と了解した菊だったが。
   菊の妙な緊張を感じ取ったルートが本能的に距離をとり、二人して相手の隙を狙ってぐるぐる回るというまぬけな事態が発生してしまった。
   
   ふたりとも、不器用にも程がある。
    



* この話、「菊こそ俺やルッツに心配かけちゃダメなんだからね」からが本題でした
  やっと半分。しかもひとつ話削ったのに。
  上にも書きましたが、フェリは私の予想を超えて喋りました。
  言いたいことが太平洋よりだだっ広くあるみたいです。なんて子。
  最初「これで最後」のつもりだったのに(笑
  しかたないのでまた続きます。こんな長い話、今まで書いたことがありません。
  私、短編しか書けない人間だと思っていたのですが。

  次は「笑ってよ俺のために」。
  最初はタイトルに「道化師」が入っていたのですが、その話を削ってしまったので変更しました。
  でも雰囲気は残ったので、古いフォークソング「道化師のソネット」の歌詞からタイトルお借りしてます。
  削ったところを改稿して追加しました。フェリが初恋について語るシーンです。
  「悲しい道化師」というイメージにこだわりすぎてぐだぐだになったので、削ってよかったと思います。
  ところで。「初恋の人=神羅」なのですが、公式に明言された設定じゃないので、ご注意ください。
  菊は、初恋の人が男の子だとは気付いていないと思います。


 翌日の話→笑ってよ俺のために


  Write:2009/07/27 (Mon) 17:50

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