とっぷてきすとぺーじ短編 本文へジャンプ


昔馴染みに心の杯


 ミュンヘン中央駅は、終着点タイプの駅舎だ。この地にたどり着いた列車が、すべて行儀よく鼻面を並べている様は壮観で、彼はこの情景が大好きだ。
 待ち人が来るまであと少し。インビス(=駅の売店)でコーヒーを買ったマックスは、色もデザインも個性豊かな列車をぼんやり眺めていた。
「直通だからねぇ。迷子になる余地はないはずなんだけど……あ、あれかな?」
 滑り込んできた特徴ある赤いディーゼル車は、間違いなくウィーンからの到着便だ。
 Tシャツとカーゴパンツ、というありふれた服装の青年の顔に微笑が浮かぶ。残りのコーヒーを一気飲みしてカップをインビスに返すと、大またで待ち人の迎えに歩き出した。
「お~い。こっちだよ」
 賑やかな構内を圧する大声で、マックスが叫ぶ。右手を振りながら左手で自分を指差してアピールする様が、妙になじんでいる。
 列車を降りた青年は、むっつりした表情のまま長いプラットホームを歩いてくる。白いシャツとチェックのスラックスという、彼にしては珍しいくらいラフなスタイルだが。
 はっきり言って、夏のミュンヘンでは浮いている。駅を行きかう人はおおむね「どこのバカンス帰り?」みたいな格好だが、これで殆どがただのアフター5なのだ。
「お疲れ様。久しぶりだけど、元気だったかい?」
 ひとり旅で訪れた音大生、と言った雰囲気のローデリヒに話しかけたマックスは、迷わず右手を差し出した。
「元気ですとも。特に変わりもありませんよ」
 素っ気ない返事だったが、再会の握手はすんなり受け入れられた。
「さあ、そんな荷物はロッカーに預けよう。ビアガルテンに席を予約しておいたから行こうか」
 手早くトランクを奪うと、マックスはあいた手で友人の背を押す。
「ミュンヘンにようこそ、ローデ。まずは歓迎の乾杯だ」
 ふっ、とローデの口元がゆるむ。
「客にいきなりビールを勧めるのは、あなただけです」
「乾杯しないと、何も始まらないじゃないか」
 マックスは断言して、小さく笑った。ローデの背に回した手を肩に置き、誘導しようとする。
 ローデは落ち着いた外見にそぐわぬ、強度の方向音痴だ。過去何度も友人たちに迷惑をかけているのは自覚しているが、こういう扱いは嬉しくない。
 その思いが顔に出たのか、マックスは腕を退いてにやっと笑う。
「ちゃんとついて来てくれよ? 君を迷子にすると、エリザに叱られるんだ」
「余計なお世話だと思いますが」
「それは彼女に言うべきだよ」
 あはは、と笑われたローデは、今日は意地でも迷子になりません……と心に誓う。
 ヒゲ面の友人よりはるかに年上のはずのローデは、たまに妙に子供のような反応をする。それを知っているのは極小数の友人だけだが。
 ローデのささやかな夏季休暇が、始まった。


 サマータイムの午後6時、太陽はまだ頭上にある。じりじりと照らされながら歩くふたりの目の前に、巨大なビール醸造所が見えてきた。
 赤レンガ造りの建物からは、近づくにつれてさまざまな香りが届く。燻された麦の香り、醸された酵母の香り、干したホップの香り。
「ミュンヘンに来た、という気がしてきます」
「いやいや、その感想はちょっと待って」暑い中を歩いて、ビアガルテンの木陰でジョッキを傾けてからにしようよ、とマックスは嬉しそうに言う。
 歩くのも「美味しくビールを呑む手順」に含まれているらしい彼の足取りは軽い。普段の生活でビールを口にすることが滅多にないローデだが、今日だけは別。
 この国では、ビールは主食に含まれる。
 醸造所の隣に見える緑の森が、ビアガルテンだ。だが、マックスの足はその手前で止まった。
 敷地の一角に飾られた、麦とホップで作られた大きなリース。それに触れると、マックスは祈るように目を閉じ、しばらくじっとしていた。
「……今のは、何ですか?」
 ローデが問うと、男は照れくさそうに笑う。
「ビールにちょっと祝福を、ね」
 だって俺、ビールの精霊なんだ。と、ヒゲ男に真顔で言われ、ローデは返答に困る。
「あなた、そんな能力があったんですか?」
「多分ないんだけど。強いて言うと気分の問題」
 彼らは国が人の姿を取っているという特殊な存在だが、別に魔法が使えるわけではない。だが例外も居るし……と考え込むローデは、どこまでも真面目だ。
「少し前に、日本から来た客人が俺のことをそう呼んだらしいんだ」
 その話を彼に伝えたのはフェリシアーノだった。「お前がバイエルンだって教えたら、びっくりしてたよ~」と言われたのが妙に嬉しかった。
「そんな素敵な勘違いをしてくれたのなら、いっそ黙っていて欲しかったよ」、とマックスは笑う。良いじゃないか、ビールの精霊。
 楽しそうな友人をあきれ顔で見ていたローデが、ぷっと吹きだした。
「全くあなたという人は。相変わらずロマンチストなんですね」
 ヒゲ男は困ったように、肩をすくめる事で返事にかえた。



 1938年。大ドイツ主義という悲願に基き、オーストリアという国は消滅した。ローデはルートの家で預かりの身となることが決まり、彼の上司から「荷物まとめてドイツに出頭しなさい。来なきゃ強制連行するよ」という高圧的な令状が届いていた。
 上司から同居命令を受けたルートは苦悩し、「やめてよそんなのひどいよ~」と親友のフェリに泣きつかれて消耗していたらしい。
 彼のところにはエリザが来て、「私が時間を稼ぎますから、どうぞ逃げてください」とまで言ってくれた。嬉しかったが、そんな無駄な戦いはさせたくなかった。
 守るべきものがなくなった今、せめて自分を案じてくれる人の負担になりたくない。その一心で、彼はベルリン行きを決意する。
 そして。ひっそりと荷造りなどしていたローデのところに来たのが、マックスだった。
「迎えに来たよ」
 そう言って敬礼した、青い軍服の彼。軍帽のひさしで隠れた両眼が、心なしか赤い。
「なぜ来たんです」
 ローデに冷たくあしらわれ、マックスは「ギルとルートには、俺から『行く』って言った。だから、命令されてここに来たわけじゃないよ」と、気弱げに微笑む。
「迎えだなんて! そんなことに何の意味があるんです。このご時勢にうろうろ出てくるなんて、気が知れませんよお馬鹿さん」
 両国の融合は、ローデの国民にはおおむね好意的に受け止められていたが、どんなことにも例外はある。あまりに急進的だったルートの国の行いに反発する勢力も存在する。
 マックスを害しようとしたり、人質にして何か要求しようと考える輩が居ても不思議じゃないのだ。
「あなたに何かあったら、バイエルンの人たちはどうなるんですか」
「どうなるのかな。俺も知りたい」
 敬礼を解き、マックスは真剣な口調で告げた。
「国がなくなったら、俺達もいなくなるんだ。それは多分……間違いない」
「……」
 ここ数十年の間だけでも、何度も息が止まったローデにはよく判る話だ。
「じゃ、たとえば俺が大砲で吹き飛ばされたら、バイエルンは消滅するのか?」
 それはないと思う。そんなことで国は滅びない。と、マックスは呟いた。
「俺は国だけど、国は俺じゃないんだ。」
 ローデが首をかしげると、マックスは考えながら言葉を繋ぐ。
「考えてみてよ。国に何かあると俺にも影響があるよね。でも、逆はどうだい? 
 俺が身体を鍛えても国は強くならないし、逆に俺が怪我しても、幸い国には影響がないんだ」
 俺たちにできることって、実は少ないんじゃないか? と、マックスは呟いた。ローデにも確かに、思い当たる点がある。
「それでも私たちは、それ以外のどんな存在にもなり得ません」
 ローデの、ある意味優等生過ぎる答えを受けて、マックスは「困ったなぁ」という顔をした。うまく説明できずに弱っている。
 各々強烈過ぎるアイデンティティを持つ故、過去限りないいさかいを続け、それが今に至る国家群。やや気弱で、他国の思惑に流されっぱなしだった彼は、自分のふがいなさが身にしみている。
 それでも。国である、それ以外の存在であることは求められていないから。
 マックスは目を閉じ、気持ちをこぼした。
「他のものになれないのは仕方ないって言うか、諦めてもいいんだ。俺にも、うちの人たちを守りたい気持ちはあるんだし」
 でもね、とマックスは再び敬礼してローデを見つめた。
「そんな俺にだって、傷心の友人につきあうくらいのわがままは許されると思うんだ」
 友人の心からの言葉を受けたローデは、ぴしりと返答する。
「勝手に傷心扱いしないでください。私がこんなことでへこたれるとでも思っていたんですか。
 あの筋肉男と乱暴者に、オーストリア魂見せつけてやりますよ。私を引き取ったことを後悔するくらいにね!」
 堂々と胸を張って宣言するローデを見て、マックスは泣き笑いの表情を作った。
「それでこそ、君だよ。いやぁ、安心した。正直追い返される覚悟だったんだけど、流石だね」
 この状況で、あろうことかこれから虜囚になる相手に愚痴をこぼしてしまった自分を認識して、マックスはうなだれた。
「私を嘆くしか能のない、薄幸の貴公子とでも思っていたんですか。あなたのロマンチストぶりも底なしですね」
 自分でそこまで言っちゃうかな、とマックスは笑う。
「これが私の在り方です」
 平然と言い切ったローデも、ようやく少し表情をゆるめる。そして、私が拒否したらどうするつもりだったんですかと尋ねた。
「君が逃げるはずがない。だから、俺一人で尻尾巻いてベルリンに帰還だね。向こうで、ギルに笑われて終わり。それだけのことだよ」
 ギルは鼻で笑うだろうな。ああこういう時、フランなら目で、アーサーなら腹で笑うんだ。なぜか懐かしげにさえ見える表情で、マックスは言う。
「そんなことはかまわないんだ。でも、ルーが気にするかもしれないね」
 ムキムキ男を幼名で呼び、マックスは「君の事を心配していたから、気に病むかも。あの子は優しいから」と呟いた。
 ねえ、俺は兄弟どちらを気にするべきだろう? そう言うマックスの笑顔からは、先程の気弱さは消えていた。
「仕方ありませんね。貴方の顔、立てて差し上げましょう」
 そう言うと、マックスの表情がぱっと明るくなった。
「よかった。実はフェリシアーノに『なんとかして』って頼まれてたんだ」
 あの子を泣かせたくないからね。と、でれでれとした表情で告げるマックス。
「やっぱり一人で行きましょうか」
 冷たく言い捨てられても、マックスは笑顔のままだ。やっと気を取り直せたらしい。
「無理無理。普段なら『ただの方向音痴』ですむけど、今それをやったら逃亡犯扱い間違い無しだよ。俺と一緒に行こう」
「……とても素直に聞けないんですが」
「ここは聞いておこうよ親友」
「この時代に『親友』ですか。貴方ときたらどこまで……」
「ロマンチスト?」
 視線を合わせて笑う二人。ローデが笑ったのは、久しぶりのことだった。

 国としての使命は、最後まで全うしよう。俺にできることは、何でもしよう。
 でもね、ローデ。
 こんな時代だから、友人を大切にしたいんだよ。ルートの負担を減らしてあげたいし、フェリの気を軽くしたい。エリザなんて、叶うならわが身を二つに割って君の傍にいたいって嘆いていた。俺じゃ君を守れないけど、何かしたかったんだ。
 皆が誰かを大切に思っている。敵味方関係なく。
 でも、こんなこと考える俺だから、時代についていけなくなったんだろうね。
 ごめん、俺みたいなのが『国』で。



 ビアガルテンの木陰で、ローデは物思いにふけっていた。1ℓサイズのビールジョッキには、凝った模様の蓋がかぶせてある。ちなみにマックスの私物だ。
「どうした? さすがに暑かったとか?」
 マックスに問われ、なんでもありませんよと答える。
「少し、昔のことを。私とあなたがこうして在るのは、不思議だなと思いまして」
 そうだねぇ。と呟いたマックスが、ジョッキを一気にあおる。ビールに関しての呑みっぷりだけは、誰にも真似できない。
「消えなかったよね、お互い」
 俺なんて、どうしてここにいるのかな。と、マックスは笑う。笑いごとかな、とローデは首をかしげるが、たぶん笑っていいことなのだろうと流すことにした。
 バイエルンという国はなくなった。だが連邦国家の強みなのか、元々独立の気風が強いお国柄のせいなのか、彼らは今も元気にドイツを支えている。
 必ずしも仲がいいとはいえない小国家群だったが、血のつながり以外にもひとつ共通点がある。
 彼らはなぜか、「一致団結」という言葉が好きなのだ。
「血の誇りを忘れず、自らの力で国を再建しよう!」というルートの激は受け入れられ、彼らは各地で陰から国を支えている。
 ただ。マックスはそんなことにかかわりたくなさそうに見えたのだが……。
「ルートがね、俺にはなぜか『兄貴を取り戻したい、手を貸してくれ』って頼みに来たんだよ。困るよね。そんな言い方されちゃ、俺に断れるわけがないでしょ」
 国のため、なら動かなかった。ルートが彼本人への協力を求めてきたのであっても、素直に「ja」とは言えなかった。。
 心が動いたのは、その願いが彼の個人的念願だったからだ。マックスはギルが苦手だし、正直会えなくても困らないのだけど。ルートが欲するなら仕方がない。
「そうでしょうね」
 ローデが笑顔で答えると、ジョッキのふたを外して持ち上げた。
「愉快なドイツ一族に、乾杯」
「それを言うなら、ゲルマン一族だろ? 乾杯!」
 ごつん、とジョッキをぶつけて、二人は同時にビールをあおる。息も継がず、ジョッキを傾ける。ぐいぐいと、中身が消えてゆく。
 マックスはともかく、ローデのジョッキも同ペースで空いてゆく。彼はアルコールには強いが、どちらかというと『同族中でも一番の思い切り良さ』を絶賛発揮中という感じだ。
「……ルーに変な知恵付けたの、君じゃないよね?」
「さて、何の話でしょう」
 上品にジョッキを置くと、ローデはお代わりを注文する。まだ呑むと知って、マックスは嬉しそうに笑った。
「やるね。次は君の国へ乾杯だ!」
「いいですよ。おつきあいしましょう」
 空はまだ夕焼けにさえなっていない。夏のビール時間はこれからが始まりだった。

 終



PS.
「そういえば、ルートヴィヒはあなたを『兄』と呼ばないんですね」
 ローデが言うと、マックスは苦いものを飲み込んだようなしかめっ面を見せた。
「昔ルーが『あなたをお兄さんと呼んだ方がいいのか』って聞いてきたことがあるんだ。あの時俺は、国家の消滅を覚悟したね」
「話に脈絡がありませんが、どういうことですか」
「ギルに脅された」
 ルートの目に入らない場所から、ギルが物凄い眼光飛ばしてきた恐怖は、今でも忘れられない。
「『名前呼びでいい、アーサーもそうだろう?』って答えたけどね。俺はいつでも兄と呼んで欲しかったよ! あんなへそ曲がりの意地っ張りと一緒なんて不本意だ~」
「叫ばないでください」
 ロマンチストっぷりでは同族一の男は、まったく気にせずさらに叫ぶ。
「なぜ俺はギルなんかを助ける手伝いしてるんだ? ってそれは、ルーとフェリが望んだからだよ! ああ、俺はあの子たちのためならどんな苦労も厭わないっ」
「酔ってますね」
 自分の言動に、とは言わず。ローデは自分のジョッキを口に運ぶ。
 もし自分より先に彼がつぶれたら、ルートヴィヒに責任とって迎えに来てもらいましょう。などと考える、微妙に酔いがまわったローデだった。



*オクトーバーフェスト! の後です。1970年代くらいの設定です。

 メインは後半です。前半は「夏のミュンヘン観光案内」かな?
 昔、夏休みに遊びに来た友人が、中央駅の人々を見て「わ~。みんなこれからバカンスなんだ!」と言ったのがこのシーンを書くきっかけです。ローデは絶対浮くだろうなと。

 タイトルはドイツ民謡「乾杯の歌」の歌詞から拝借しています。
 国である事に懐疑的な存在を書いてみたくて、挑戦しました。
 本家キャラにそんな設定押し付けるわけにいかないので、捏造キャラであるマックスが「悩める青年」になりました。
 結果、ロマンチスト突き抜けて変な人になりました。ごめんなさい。


 後日談小ネタ→ひとふきで、ぷう


Write:2009/08/10 (Mon) 10:31

  とっぷてきすとぺーじ短編