とっぷてきすとぺーじパラレル 本文へジャンプ


銀の竜が背に乗って



 天嶮と呼ばれる、山脈がある。高いというのさえはばかられる、その頂は天に届いているという山々。
 そこに至る道はなく、獣さえ通らない絶壁を超えてようやく最後の峰のふもとへ至る。


 むき出しの岩肌がどこまでも続く崖を、ひとりの男が登っていた。地に垂直という、およそ人間の方向感覚の限度を超えた道なき道を、ゆっくりと確実に、進んでいく。
 もし、足を踏み外せば。ほんの小さなものでも、落石があれば。
 彼の身は地に叩きつけられ、誰の助けもないまま絶命するだろう。だが、そんなことも意に介さない変らぬペースで、ただ上だけを見つめて歩を進めていた。


 やがて、男は少しだけ開けた場所にたどり着いた。わずかながら灌木が茂り、石造りの粗末な庵もある。
「ついに……ここまで来たぞ」
 呟いたとたん、今までの疲れがどっとわき出たようだ。男は膝をつき、両手もついてその場にうずくまった。
「誰?」
 疲労のあまり嘔吐しそうな男の耳に、柔らかな印象の声が届いた。
 人などいないはずの場所で突然声をかけられたのに、男の反応は鈍い。かろうじてのろのろと首を上げただけだ。目的地に着いた安堵感で、さすがに体力精神力ともにつき果ててしまったらしい。
 いつの間にか、彼の目の前には若い男がいる。膝を折って地面に座り、無邪気に彼の顔を見ていた。
「お前こそ……誰なんだ」
 乾いた声で問い返すと、若い男は満面の笑顔で、こう告げた。
「はじめまして。俺、この山に住む銀の龍です」
 ひょろりとした細身の男は、どこの町にでもいる普通の青年に見えた。男は確かに「銀の龍」に会うために苦労を重ねてここに来たのだが……。
「ねーねー、お前ひとりでここまで来たの? 凄いね〜、そんな奴はじめてだよ。ところで名前聞いていい?」
 等々、嬉しそうに喋りはじめた自称龍に対して、男は猛禽のような鋭い視線を向けた。
「ふざけてないで、本物の龍を今すぐここへ呼べっ」
 最後の力を振り絞って、男は自称龍を怒鳴りつけた。



「ヴェ〜」
 初対面でいきなり「ふざけるな」と怒鳴られた龍は、べそべそと泣き続けている。
「俺、この地域でただ一頭の龍なのに〜。敬意が感じられないよっ。
 だいたい、あんな大声聞いたのも初めてだよ俺。雷かと思ったよ〜。お前本当に人間なの?」
「だから悪かったと謝ったじゃないか。俺の国は新興国で、龍に関する伝承など無いに等しいんだ」
 そう。男は、龍が人型をとれることさえ知らなかった。彼が知っていたのはただ一つ、「銀の龍は雨雲を呼ぶ事が出来る」という言い伝えのみ。
 そんなあやふやな伝承を頼りに、彼は国と兄のために、こんな場所までひとりで来たのだった。
 だが。
「お前んちでは、頼み事する相手を罵倒する習慣があるの? ひどいよ〜。俺、なんでこんな目にあうんだよ〜」
 それはこっちの台詞だ、と男は心の中で呟く。まさかこんな、ちょっと大声を出されたくらいでいじいじべそべそ泣きじゃくる軟弱者が……俺が探し求めていた、銀の龍?
 頼みの綱のはずの龍が、まさかこんなヘタレだとは。
「俺の方が泣きたい」
 一縷の望みを託して、ここまで来た。苦労した、などと口に出して言いたくはないが……。
「どうしたの? 何か困ったの? あ、判った疲れたんだね。足とか手とか、痛いんでしょ。
 だいじょうぶ。俺、お前が泣いても笑わないから……」
「いいから少し黙っていてくれ」
 低い声で凄まれ、龍はしょんぼりと肩を落として男の隣に腰を下ろした。
 男に言われたとおり、黙ったままの龍。鳥さえ通わない高い高い空には、雲ひとつない。
 ぼんやりそれを眺めていると、やがて男が口を開いた。
「お前、ここでひとりで暮らしているのか」
「うんそうだよ。生まれたときからずっと。人間が来た事もあるけど、お前たちはここじゃ暮らせないから。
 食べるものが何もないからね」
 問われるままに、龍はぽつぽつ自分の事を話す。龍は卵から生まれ、数百年で寿命が尽きる時また卵を残す。生まれた時は龍型なのだが、物心つくころに人型に転じる事を覚える。
 彼は、少し前に生まれ変わった雛なのだと自分から告げた。
「それでね。普通は竜と人との間を行き来しながらいろいろ覚えるんだけどさ。俺、なぜか龍に戻らなくなっちゃって」
 龍型にならないと空も飛べず、人型は本来のヒトより作りが脆弱なので自力で崖を降りる事も出来ず。
「飛び方を思い出さないと、俺どこにも行けないんだ。ごめんね迷惑かけて」
「……近年降水量が激減したのは、そのせいか」
「俺がいかなくても雨は降るんだけどね。でもちょーっと偏ったりするみたい」
 男の国はこの山のふもとにある。豊富な地下水があるのでまだ飢饉には至らないが、大麦の収穫が減ったり野菜の出来が悪かったりという影響が出ている。
「つまり、俺に『日照り王子』なんていう渾名がついた元凶は、お前かっ!」
「ひでり……おうじ? なにそれ、可愛い〜」
ぷは。と吹き出した龍のおでこに、男のチョップがさく裂した。



「ヴェ〜」
 生まれて初めてチョップを喰らった龍は、再びべそべそと泣いている。
「今までも時々自信がなかったんだけど、俺実は龍じゃないとか? 人間に殴られた龍の話なんて、聞いたこと無いよ〜」
「いっそその方が、俺も気が楽だ」
「そうなの?」
「本物を求めて、迷いなく旅立てるからな」
 がっくりと落ち込んで、それでも男のそばから離れようとしない龍を見ながら色々考えてみる。
 彼は先ほど、自分がこのあたりで唯一の龍だと言った。それが正しいなら、別の龍を探すよりは彼の成長を待つ方が確実だと思うのだが。
 彼を見ていると「こいつにそこまで期待してもいいのか?」という、根源的な疑問を抱かずにいられない。
「ねえ、ひで……そのあだ名がついたってことは、お前が生まれたころから天災が始まったんだよね」
「そうだ」
「じゃ、俺たちってもしかして同い年?」
 頬に手を当てて「同い年〜。うわ、なんか運命的?」と喜ぶ龍。(何が同い年だ、馬鹿野郎)と、自分のこれまでの人生を省みた男は、つい声を荒げてしまう。
「20年も生きて、一人前の仕事もできんのかお前はっ!」
「龍の成人は、時間がかかるんだよ……多分」
 思いっきり疑いのまなざしで見おろすと、龍は視線をそらしてしまった。浅薄だが知恵はあるらしい。どこで学んだんだと思った時、男の胸に疑問が湧いた。
「お前、生まれた時からひとりだと言ったな」
「うん。でも俺、前世の事も結構覚えてるんだぁ。だから喋れるし、飛んで見てきた国の事も知ってるよ」
 なるほど。だから自分が何者なのかも知ってるわけだ。
「他には絵も描けるし、歌も唄えます〜」
「威張るな。前世のお前が習い覚えた事なのだろう? そんなもの、親の遺産で食いつないでいるのと同じだ!」
 断言すると、龍はしょぼんと引き下がってしまった。浮いたり沈んだり、忙しい龍だ。
 指で地面をひっかくイジケっぷりが目にあまり、男はつい言葉を探してしまう。
「もしかしたらお前、俺の国を知ってるんじゃないのか?」
 そう言って口にした名前を、龍は吟味するように目を閉じて考える。やがて、「うん。行った事あるみたい」と答えて、こめかみに指をあてた妙なポーズで唸っている。何とか会話をつなごうと一所懸命になっているところは、良く言って「気のいい兄ちゃん」だ。
 龍と言えば何となく神聖な、恐れ多い存在だろうと思っていた男は、あまりのイメージギャップにめまいがしてくる。
「えっと。草原が多くて、馬を育ててたよね。あ、牛や羊もいたっけ。町はゴツい石造りで。そういえば、住んでる人もゴツかったっけ」
 龍の記憶は意外と正確だった。空から見下ろした町並みの美しさを事細かく語られ、男は人間に見る事のかなわない視点を楽しんだ。だからこそ、ついポロリと口をすべらせてしまった。
「その教会は、今は無い。五年前に火災で焼失した」
 すると、それまで嬉しそうに喋っていた龍の顔がくしゃりと歪む。澄んだ両目から、涙があふれてきた。さっきまでの当てつけがましい泣き方とは違う、綺麗な涙。
「お、おいどうして泣く!」
「ごめん。それ、俺のせいかなぁ?」
「……いや、それは」
 男はとっさに返事ができなかった。事故なのだから、龍には何のかかわりもない。だが湖の水位がかつてなく下がったせいで、消火用水を運ぶ手間がかかった事を思い出してしまった。
「俺の記憶にあるのは、30年くらい前の話。ねえ、今はどうなの? お前の国、困ってるんだろ?
 だからお前、こんな所まで来たんだろ?」
 ごめんよ。飛べなくてごめん。役立たずでごめん。
「本当に、泣いてばかりだなお前は。『銀』は涙の意味だったのか」
「知らないよぉそんなこと」
 文句を言いつつも、男にすがる両腕には力がこもっている。彼を慰めるすべもなく、男は黙って肩を貸すしかなかった。 



 男の体力が回復するまで数日かかった。
 手持ちの食料が尽きる前に下山しなければならない、と告げられた龍は、男の予想通りめそめそと泣いた。
「でも、仕方ないよね。お前人間だもの。人間の国に帰らなきゃ」
 身支度を整えた男に抱きつくと、龍は彼に笑顔を向けた。
「俺の事、忘れないでね。いつか龍になれたら、一番にお前の所に行くから。だから……」
 言いながらまた泣く。実に忙しい。この短い時間で、こいつの喜怒哀楽すべて見せられたなぁと男は思う。
「お前は頑丈そうだけど。でも、崖から落ちないでね。さすがに死んじゃうから。
 ……どうしよう、俺心配だよ〜」
「俺の事より、自分の心配をしろ」
 そっけなく返された龍は真面目な表情になると、「俺、頑張るから! 目標ができたから、きっと飛べるようになるよ」と薄い胸を張って答えた。 
「いや、それはどうかな」
「へ?」
「俺が思うに、お前には緊張感が足りない。寿命が長いせいか、時間の大切さも判ってない」
「そ、そうかな?」
「そうだ! そんなお前の自主性に任せていたら、俺はあっという間に爺だ。だから……」
 男は軽く息を吐き、覚悟を決めてこう告げた。
「おまえも来い。一緒に行こう」
「えぇ〜。どうやって? 俺、飛べないのに! まさか、崖から突き落とす気じゃ」
「するかそんなこと。俺が担いで降りる」
 龍はぽかんと目と口を開いて、あっけにとられている。
「俺の記憶をたどっても、人間に担がれた龍なんていないんだけど」
「人間に怒鳴られた龍も、人間に殴られた龍もいないんだろう? 今さらヘタレ伝説が一つ増えても、どうってことあるまい」
「ヘタレ伝説……」
 ひどい〜。と、龍は笑った。ぽろぽろ涙をこぼしながら、それでも今までで一番イイ顔で、笑った。
 男は戸惑ったように龍を見つめていたが、残り少ない荷物を腰に巻いて立ち上がる。
「そういえば、お前の名を聞いて無かった」
「え〜。そんなもの、ないよ。だって銀の龍で通じるしさ。他の呼び方をされた事もないよ」
 当り前のように龍が言う。だが、男は首を振った。
「銀の龍は、お前たちの一族名のようなものだ。お前のための名は、必要だと思うぞ」
 しばらく考えて、男は一つの名を口にする。『幸福』の意味を持つ、古い名を。
「これで、どうだ?」
 龍はしばらく、男の顔を見つめていた。
「名前……それが俺の、名前」
「気に入らなかったか?」
 今度は竜が、首を振る。「俺、嬉しいよ」と呟く声が震えている。
「そうか」と笑い、男は手を差し伸べた。彼は気づいて無いが、それが龍に向けた、初めての笑顔だった。
「フェリシアーノ。さあ、行こう」
 男の手を引っ張りながら、龍は元気に叫ぶ。
「ねえ聞いて! 俺、はじめてわかったことがあるんだけど!」
「今さら何を理解したのか知らんが、一応聞いてやろう。……何だ?」
 答える前に龍は男に抱きついて、彼の耳に顔を近づける。
「この気持ちが、『大好き』ってことなんだね! 俺、こんなのはじめてだよ。感動だぁ」
「……」
 男にとって完全に斜め上、想定外の告白だった。あまりの事に気力がくじけ、ついでに腰も砕け、彼らの旅立ちは翌日に延期するしかなかった。



 その後、男は自国周辺の小国家を統合した王として、歴史に名を残す。
 彼の伝記には、「王の威を讃えるための誇大表現?」と但し書きがつく逸話が数多く残されている。
 中でも、若い時に「銀の龍の背に乗って帰国した話」が最も有名だ。
 
 歴史学者の誰もが「嘘・大げさ・いかがわしい」の例としてあげるこの話は、真実であり同時に真実ではない。  
 そして、真実を知るただひとりの存在は、なにも語ろうとない。
 その「ひとり」は。
 今も思い出と、友のくれた名を抱いて、鳥も通わぬ深山で暮らしているといわれている。


 終



 PS.
 「あ。出かける前に俺、手紙書いとかなきゃ!」
  翌日。男が今度こそ最後になる予定の朝食を食べていると、龍が突然こんなことを言い出した。
 「手紙?」
 「そう。俺がいなかったら心配するだろうからね」
  言いながら龍は、岩壁に直接字を書き始めた。白い石がゴリゴリ削れる音が、部屋に響く。
 「待て。お前一人暮らしだろう? なぜ置手紙が必要なんだ」
  男が問うと、龍は手を止めずに「たま〜に、兄ちゃんが遊びに来るんだよ」と答える。
 「兄? お前、兄がいるのか?!」
  龍は振り返らず、小さな声で事情を説明した。
 「兄ちゃんは赤の龍だから、俺とは違うんだけどね。すぐ怒るし、気まぐれだし」
 「赤の龍……」
  男は、自分の記憶をひっくり返してみる。
  たしか、大山脈を大きく迂回しないとたどり着けない遥か西の国に、そんな伝説があったように思う。
 「火山と地震を治める龍、か?」
 「そうだよ〜。お前、兄ちゃんのことも知ってるんだ!」
  手紙を書き終えた龍は、振り返って笑顔を見せる。
 「飛べるようになったら〜、兄ちゃんにも会いに行きたいな〜」
  歌うように言う龍の頭を押さえ、男が低い声で囁いた。
 「まともに飛べる成人の龍がいるなら、先に教えろ馬鹿野郎」
 「え? だって用があるのは銀の龍でしょ? ……兄ちゃんがいたら、俺用無し?」
 「そうかもな」
 「ヴェ〜。ひどい〜、俺頑張るから見捨てないで〜」
  やる気をアピールしたいのか、その場で妙な体操を始める龍。
  もちろん、男が会いに来たのは銀の龍。赤の龍に用はない。だが。
 (これくらい危機感を煽っとかないと、こいついつまでも飛ばないかもしれないからな)
  龍が聞いたら「お前、結構意地が悪い!」と嘆きそうなことを考えている男だった。

 
 
 * 一度も出てませんが、男の名はもちろんルートヴィヒです。

   多分、ご存知の方が多いと思うあの曲からイメージを頂きました。
   最初は「爪も翼も未熟な天孫族の子孫=フェリ」が「世捨て龍=ルート」に会いに行く話でした。
   ところが。どこでどうなったのか、いつの間にか立場が逆転してこのような話に。
   だから、銀の龍「が」背に乗ってます。
   曲の内容からすると、最初の案の方がイメージ近いとは思います。
   
   しかも。
   「今回はパラレルだから、いつもより甘い雰囲気になってもいいよね。というか書け」
   と、自分に念じながら話を考えたはずなのに。これはあれですよね、刷り込み
   雛が、生まれて初めて見た動くものについて行く生存本能のアレ。
   すいません。運命の出会いのはずだったのに力及ばなくて(涙

   パラレルは初めてです。どの程度まで許されるのかな、と思いながら書きました。
   気に入っていただけたら、幸いです。

   
   没にした小ネタはこちら

Write:2010/02/05

 とっぷてきすとぺーじパラレル