あなたのことを知りたいの
イヴァンが言い出した「ウチでボルシチ食べようよ」という我がまま(本人とその姉妹以外の人間にとっては、そうだ)は、本当に翌月実行されることになった。 「たくさん作らなきゃならないから、手伝ってもらえない?」 エリザにそう声をかけてきたのは、ライナ。「エリザとゆっくりお話もしたいし。お願い」と懇願され、仕方なく引き受けることにした。 一度彼女とプライベートで話をしたかったのはエリザも同じだ。かといって喫茶店なんかに入ったら、諜報部員が大量についてきそうで落ち着かない。 さすがにイヴァン本人の家なら、そこまで露骨な事はしないだろう。キッチンなら雑音まみれだから、盗聴器もあまり気にしなくていいだろうし。 利害一致。よし! 受けて立つわ、とエリザは気合を入れる。 そんなエリザの決断をギルが聞いたら、「あいかわらず、無駄に男気あふれてンなお前」と呆れただろう。 (敵を作らないのも、大事ですよ) かつて彼女をそう諭した人の声と表情を思い浮かべつつ、エリザは脳内でさえ憎まれ口をたたくギルに舌を出した。 そんなわけで、軍事交渉に臨むような意気込みのエリザだったが。 「いらっしゃ〜い。来てくれて嬉しいわ」 「お招きありがとう」 上品に腰を折って挨拶できたのは、そこまで。 「楽しみにしてたの。さあ、遠慮なく入って!」 いきなりロシア式ハグの洗礼を浴びせられるわ、背中を押されて奥へ通されるわ、気がつくとお揃いのエプロンを装備させられてるわと、ライナのペースに異議を唱える余地などない。 オーストリアで叩き込まれた礼儀作法もぶっ飛ぶ勢いだった。 気を呑まれて沈黙するエリザに、ライナは無邪気な笑顔を向ける。 「今日は本当にありがとう。エリザが来てくれて、助かる」 そう言いながら指差す先には、山ほどのジャガイモやビーツが積み上げられている。ライナ隊長は、本気で彼女をこき使う気らしい。 (さすがイヴァンの姉。油断できないわ) 自分のペースを見失いそうになったエリザは、とりあえず目先の仕事をこなすべく皮むき器を手に取った。
「イヴァンちゃんの言ってたボルシチはね、私が昔作ってたレシピなの」 赤いビーツの色が指に染みるくらい皮をむき続けるエリザに、ライナはあれこれ話しかけてくる。 作業に熱中して口数が減るエリザと違い、ライナは食材を処理しながら口も頭も動かせるらしい。 いつの間にか玉ねぎも人参も行儀よく切りそろえられ、鍋に投入される順番を待っている。 「昔はね、と〜〜っても貧乏だったから。いい食材を準備できなかったの。だから、煮崩れるくらい煮ないと美味しくいただけなかったのよね」 パン生地を伸ばしたり、ひき肉をこねたりと、ライナの手は止まる事がない。 「今日はお客様の好みに合わせたいから、具が崩れないよう丁寧に作るからね」 それを聞いたエリザは、つい口を挟んでしまう。 「ああ、ギルの言ってたあれのこと? 気にしなくていいわよ。だってアイツ、味音痴だから」 「え?」 ピロシキを天板に並べていたライナが、首をひねる。 手料理をふるまうのはこれが初めてだが、ギルとは何度か会食の席と共にした事がある。その時、儀礼的に会話を交わしたが、こと料理の味の話で違和感を感じたことはない。 「あいつとは昔から、戦場でかち合う事が多かったの。同じ釜の飯を食う仲って奴だったわけ。 たまに私が料理することがあったんだけど、私はその……料理が苦手で。 でも! あいつ具が生煮えだろうがドロドロだろうが、いつもペロッと平らげて『美味かった』って平気で言ってたのよ。 あれは間違いなく味音痴ね」 「う〜ん。それは……」 温度調整済みのオーブンにピロシキを入れながら、ライナは考え込んでいる。 美味しくない料理を「美味しい」と言うシチュエーションその1は、張り合いがないほど味の判らない人。 その2は、作り手の愛情に対する評価。ライナの可愛い弟妹のように。 「子供の頃。イヴァンちゃんもナターシャちゃんも、『お姉ちゃんのボルシチが一番おいしい』って、言ってくれたのよね」 「美味しいからでしょ? 期待してるわ」 エリザはこともなげに答えるが、ライナはまだ物思いに沈んでいる。(変な人)とエリザが見切ろうとした時。 「美味しいって誉めてもらえたら、嬉しいよね」 突然こんなことを言われ、エリザはついむっとする。 「それはアナタの料理が上手だから! 私の下手な料理を『美味しい』なんて言うのは、馬鹿にしているか舌が馬鹿かのどちらかよ!」 声を荒げたエリザの主張は半ば、脳内でケセセと笑う軽薄男に向けられている。「そういう解釈なんだ」とライナが呟く声で我に返り、エリザは大声を出したことを謝罪した。 イヴァンとその身内には、せいぜい従順にふるまって見せようと思っていたことなど、すでに忘れかけている。 ライナは瞬きして、目の前の生命力あふれる女性を見つめてしまう。美味しくない料理を「美味しい」と言うシチュエーションその3。それは。 作り手に対する愛情だと、ライナは考える。だが、エリザがその可能性を無視しているのは何故だろう。 「ん、いいの大丈夫。……ひとつ、判ったことがあるし」 「何の話?」 「ギルの事、あなたに聞くのが一番いいみたい」 にこりと微笑まれ、エリザは心ならずも声がひっくり返る。 「なんで私!」 「だって、幼馴染なんでしょ? 色々思い出とかありそうだし。私、彼のことをもっと知りたいの」 「えぇ〜?! そんな趣味、っ!」 趣味が悪いといいかけてかろうじて止め、エリザはライナの肩に手をかけて叫んでしまう。 「そりゃ、見ようによってはハンサムかもしれないけど、性格悪いよ? 仕事は手早いし粘り強いし頼りになるけど、口の悪さでぶち壊しよ? 卑怯なことはしないけど、信頼できるかっていうと果てしなく疑問だし。 ちょっとライナ。笑わないで、人の忠告を聞きなさい!」 問われたライナは、こらえきれなくなったのか横を向いて吹き出した。 「心配しなくても、私は皆と仲良くなりたいだけだから。これから私たち、家族みたいなものでしょ?」 「悪いけど、私の家族はひとりだから」 あくまで穏やかなライナ相手に、毅然と言い切るエリザ。(アナタなんてどうでもいい)と切り捨てたも同然の台詞は、ライナを傷つけたかもしれない。しかし、エリザにとってはゆずれない一線だった。 怒るか泣くかすると思ったライナが、エリザの腰を逆に引き寄せた。戸惑う彼女に、こう囁く。 「判ったわエリザちゃん」 「アナタねえ! さっきから、判った判ったって一体……」 エリザの手を肩にのせたまま、ライナはさらに囁く。 「いつか必ず、帰ろうね」 心に潜めた望みをひとことで言いあらわされ、エリザは動揺してしまった。 「できも……しないことを」 「そう。今は無理。イヴァンちゃんもアルフレッド君も、他のみんなも勝った自分に夢中だから」 どちらも、「強く、平和な世界を作ろう」と歩み始めた。なぜか正反対の方向に。 「でも、つぶれずに生き残ってさえいればまた会える。必ず会える。その時は応援するから」 だからせめて。今は、仲良くしましょうよ。と笑顔で締めくくるライナ。エリザは苦笑するしかない。 「……丸めこまれた気分だけど、いいわ」 「あ。ちょっとそういう気持ちもあるかも」 しれっとした答えに、今度はエリザが吹き出した。 「さすがイヴァンのお姉ちゃんね」 「ほめてもらえて嬉しいわ。だからそろそろ手を動かしてね。夕食に間に合わなくなっちゃう」 全然ほめてないんだけど。と、心の中で呟きつつ、エリザも料理の仕上げにかかる。 ボルシチを含む料理の味付けは、すべてライナの担当だ。 手が6本あるんじゃないかと疑いたくなるほど多種の料理過程をこなしつつ、ライナは口もまだ動く。 「ギルの昔話、また教えてね」 「ろくな話じゃないわよ。でも、真実を知って最初から幻滅しておくのもいいかもね」 ギルがきいたら顔色変えそうなことを平然と言い放ったエリザの言葉が、ふいに途切れた。 「……ちょっと、待って。まさかアナタ、ギルにも同じこと聞く気じゃないでしょうね?」 「ピロシキ焼けたわ〜。味見する?」 「いただくわ、って! スルー? 今の質問無視?」 イイ性格じゃないのこの女。と心中悪態をつくエリザの中身は、すでに騎馬民族時代まで戻っている。 「……ギルに、余計なこと言わないよう釘刺しとかなきゃね」 「えっとあの〜。エリザちゃん、どうしてフライパン握りしめてるのかしら」 「ちょっと行ってくる」 どかどかと短靴をふみならし、客間へ向かったエリザ。
その後。「俺がいきなり殴られた原因は、お前かよ!」と、ライナがギルに責められるのはまた別の話。 エリザとライナ、少しだけ歩み寄った出来事だった。
終
*「いままでもこれからも」の続きです。
エリザとライナで女の子トーク!を目指しました。
きゃっきゃうふふしてもらう予定だったのに……微妙に対決っぽいのはなぜ(涙
この後、彼女たちはそれなりに団結します。
初めはナターシャもいたんですが、彼女は口を挟む余地がなくて退場です。
兄さんに関すること以外では、とことん無口ですからね。
直球勝負なエリザ姐さん、この姉妹は苦手そう。
ライナさんは天然だと主張します。天然ボケは最強です。
書きながら、「なんという飴と鞭姉弟!」 と思いました。恐ろしい……。
Write:2010/02/20
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