夏に願いを
1・半夏生
七月。 ルートとフェリが日本に来たのは、珍しく仕事のためだった。 やたら雨が多く湿度の高いこの時期に、「わざわざウチに来るなんて、どんなモノ好きですか」というのが菊の弁だ。確かに訪ねる側からしても、風光明美な春秋に来た方がいい。それでも、普段体験したことのない高湿気は興味深い。 「ミストサウナみたいだね〜」 「じっとしているのに、服がびしょぬれになるほど汗をかくとは。珍しい現象だ」 風通しのいい縁側でスイカにかじりつきながら、遠来の客は楽しそうに暑さを堪能している。ふたりして首には手拭い、足を水バケツに突っ込むという「日本の夏」状態だ。 「どこで仕入れてきたんですか、そんなレトロな情報」と菊が笑うが、楽しんでるなら良いだろうとおっとり構えている。 「あとで、かき氷も食べたいな〜」 「何を言う。かいた汗はビールで補うに決まっているだろう!」 ねえ、どう思う? と、ふたりから同時に問われた菊は笑顔を向ける。実は、そう来るだろうと予想していたので、返事は早かった。 「実はですね。某ホテルのビアガーデンが、呑み放題食べ放題なんですが……」 「よし、それで決まりだ」 「わ〜い! エダマメある? ソーメンもあるといいな〜」 かつてないレベルで意見の一致をみた枢軸は、そろって黄昏の街に出かける事になった。 商店街を歩いていると、フェリが突然「ねえ、あれもキモノ?」と菊に問いかけてきた。 彼が指差したのは、呉服屋の店頭に並べられた半そでの上下。生地は浴衣のそれだが、デザインはパジャマに近い。 「ああ、あれは甚平といいます。夏の普段着ですね」 興味を持った二人が近づくと、笑顔の店員が近づいて来て接客を開始した。英語で交わされる会話を漏れ聞くと、ルートは「サイズがあれば買いたい」という意向だった。 「おまかせください」と、年配の店員は胸をたたいた。 「昨今、外国のお客さんも多いですから。うちは身長190cmまで対応できます」 それなら、と色柄の相談に入ったルートだった。あとは任せて大丈夫そうだと思った菊は、フェリの姿を探す。 もうひとりの友人は、女性浴衣コーナーで若い店員に話しかけていた。店員が明らかに困っているのを見てとった菊は、間に割って入った。 「どうかしましたか?」 「あ。菊、ちょっと彼女に説明してよ。俺、このジンベーが欲しいんだけど、この人が駄目って言うんだよ。どうして?」
若い店員は泣かんばかりの目で菊を見ている。ナンパを断りかねていると思って助けに来たのだが、事態は予想の斜め上だった。 「えっと、それはですね。あなたが欲しがっているのが婦人物だから、だと思います」 フェリが気にいったのは、暗めの朱色に白や黄色やピンクで一面に花火が描かれたとても華やかな……どうみても女物の柄だった。 「え〜。でも菊、『着物は男女同型です』って言ってたよ? 別に気にする必要、無いと思うな」 「それは……そうなんですが」 「このデザインなら肩もゆったりしてるしさ。俺でも十分着れそうだし」 菊はため息をついて、「本人がああ言ってますから。サイズ、あれば出してもらえますか?」と店員に告げる。 店員が在庫確認に走るのを、菊は「わがまま言って申し訳ありません」と、心の中で手を合せて拝んだ。 フェリは「どれも綺麗な柄だよね〜。アロハシャツみたい」と楽しそうだ。 「どうだ、お前も買う事にしたのか?」 その声に振り返ると、買ったばかりに甚平に着替えたルートが立っていた。 「ビアガーデンに行くと言ったら、着て行けるようにしてくれた。タオルとか団扇とかも持たせてくれたぞ」 親切な店だ。とルートはご満悦だが。 金髪に白皙の肌と、深い藍色の甚平の取り合わせは凶悪な程人目を引く。その彼に店名がばっちり入ったアイテムを持たせておけば……。 (歩く広告塔ですよね) ルートの姿を見たフェリは、当然「俺も着る〜」と盛り上がっているし。(やりますねあの店員)と、菊はこっそりため息をついた。 それでも。着替えたふたりの姿はなかなかの見もので、菊もつい見惚れてしまう。するとフェリが「菊もこれに着替えようよ!」と言い出した。 それもいいですね。と、紳士物売り場に足を向けた菊の肩を、フェリがつかんで止めた。 「菊には、これ似あうと思うな〜」
フェリが手にしたホタル柄の甚平を見て、血の気が引く菊。
「ちょっと! 私は女性物を着る気はありませんよ!
……ルッツまで何ですか、私は普通に男物で十分ですっ」 ルートは金魚柄の甚平を手に、物問いたげな目で菊を見つめている。そういえば彼は、見た目に寄らず可愛いモノ好きだった。 「いえいえ御謙遜。お客様なら大丈夫ですよ」 先ほどのやり手店員まで笑顔で登場し、三人に取り囲まれた菊は逃げ場をなくしてそして。
その後、「今夏の注目ファッションは、甚平」なるブームが起こったが、「そうなんですか、私は最近の流行には疎くて……ええ、何も知りません」と菊は主張しているという。
終
甚平。涼しそうでいいですよね。でも、女性向けの柄って、子供っぽかったり変にとろぴかる〜だったりとにかく派手で。
もう少し落ち着いた柄はないのかな、と思ったところから派生した小話でした。
アロハみたいに上衣だけ着るの、いいと思うんだけどどうでしょう。
いっそ、自分で縫うか?!
男性が女物を着るとトイレで困るというのは、後で気づきました。
2・七夕
菊の家に巨大な笹が届いたのは、七日午後の事だった。華奢な幹に豊かな葉を揺らす笹を出入りの庭師が立てるのを、ルートとフェリは興味深げに見守っていた。 エメラルドグリーンの葉が日光を透かして、どことなく涼しげに見える。さやさやという葉擦れの音も心地良い。 「これが、願い事の木なんだ〜」 「正確には木ではないんだが……まあ、そういうことだな」
ふたりの手には色とりどりの短冊と筆記道具が握られている。
願い事を書いて、吊るすだけどいうこの祭り……七夕。 「別に、神様が願いを聞いてくれるというモノではないんです。昔は、努力目標を誓うと言った方が近かったのですが」 いつの間にか、もっと広い意味での夢を書くようになりました。と、菊は笑いながら説明した。 さっそく短冊に色々書き始めたフェリを見ながら、ルートが呟く。 「ずいぶん大きな笹だな。俺たちが来たからか?」 「いえ、毎年こんなモノですよ。毎年、願い事がどこからともなく聞こえてくるものですから、つい書きすぎて」 菊もまた『国の人』なので、折にふれて耳にする願い事を拾い上げて書きつづっているのだろう。ルートはそう理解した。 「それに、今は世界中から短冊が届くんです。だから、飾るのも楽しくなりましたよ」 そう告げる菊の手には、相当数の短冊が握られている。 「世界中?」 「はい。ありがたい事に、私も付き合いが広くなりまして。七夕の話を面白がってくださった方が、こうして毎年送ってくださるんです。最近は、メール送信の方もいらっしゃいますよ」 説明しながら、菊が一枚ずつ短冊を笹に吊るしてゆく。古来縦書きだったという日本の習慣のため、縦長な形状の紙に書かれた横文字は読みずらい。それでもフェリは頑張って目を通してゆく。 「あ。これはフェリクスだ! 『ずっと俺のターン』って、何?」 「『くたばれアーサー。シー君にG8の座を譲るですよ』……これは、あの少年だな」 ルートも並んで短冊を読んでいたが、ふたり同時に手にとったとある短冊に、目が止まった。
『世界が一家で、人類皆僕の兄弟。になるといいな』
気まずい沈黙の後、ルートが叫んだ。 「まだこんな世迷いごとを抜かしてるのかあいつは! 破り捨てろこんな短冊っ!!」 「わ〜ルッツ落ち着いて!」 トラウマスイッチを押されて頭に血が上るルートを、フェリが必死で押さえてる。 「まあ、落ち着いてください。これを見てもまだ同じ事が言えますか?」 菊が示した短冊には、太軸のペンでしっかりした字が刻まれていた。
『今年こそ、結・婚』
さっきとは別の雰囲気で沈黙した後、フェリが「ヴェ〜」と泣いた。 「結婚ってさぁ、幸せな言葉のはずだよね! どうしてこの短冊はこんなに怖いんだよ〜。変な怨念が滲んでるよ〜」 「どんな呪いの札より強烈だな」 ルートも、暴発しかけていた血が引いたらしい。某妹の執念を読み取って、あろうことか同情の念さえ湧いてしまう。 「他に何かないのか。もっと心温まるような……」 短冊を調べていたルートの手が、また止まった。 「ふむ。気の毒だが、この願いは叶わないな」 「え? ルッツどういうこと?」 ルートが指差す短冊には、流れるような筆致でメッセージが書かれている。
『トロフィー持って帰ってや! 勝利は俺らのモノやで!』
「残念だ。実に残念だ。奴のチームは準決勝止まりだからな」 不敵に笑うルートの背後に、暗赤色のオーラが見える気がする。いつも冷静な彼も、サッカーが絡むと人が変るらしい。
「占いタコさんは違うご意見みたいですよ」 菊に笑われて、ルートはそっぽをむいた。その視線の先にあったのは……。
『恒久的世界平和だぞ!』
サインペンで黒々と書かれた署名を見るまでもない。自称世界のヒーローだ。ルートは「こいつに言われると、ちょっとムカつくな」と呟く。 「私も初めてこれを見せられた時は、むっとしました」 「へ〜。菊でも怒る事があるんだね」 フェリが声をかけると、菊は少し微笑んで見せた。 「それでも。50年間ずっと同じ言葉を送り続けられたら、その心意気くらいは認めてもいいって気分になってきましたね」 「半世紀前というと……冷戦の頃か?! もしかしてずっと、空気読めない奴だと思っていたのか」 「菊って、結構執念深いんだね〜」 若い二人の感想を聞いて、菊は首をかしげた。 「50年なんて、ちょっと前じゃないですか」 ……さすが齢二千を超える男は、言う事が違う。ふたりは改めてそう思った。
「昔から、私はたくさんの短冊を飾ってきました。ひとりでも多くの人に、幸せになって欲しかったので。 でも、この笹を見ると思います。 ……あれは所詮、私個人の願いにすぎなかった。こうしてたくさんの願いを飾ってみると良く判ります」 しんみりした口調で呟く菊の背に、フェリが抱きついた。 「菊んちに、世界の願い事が集まっちゃうんだ。なんだかいいよね」 べたべたと甘えていたフェリは、菊の手に短冊が残っている事に気付いた。 「あれ? それは吊るさないの? ……あ! 判ったそれ、菊のでしょ!」 見たい見たい見せてよ〜と、菊の手から短冊を抜くフェリ。だがしかし、それは日本語で書かれていた。 「……がっかりすると思った? ルッツ〜最近日本語勉強してるんでしょ? これ読んで!」 ああ、と呻く菊に構わず、フェリは短冊をルートに差し出す。 手渡された短冊を見て、ルートが眉をひそめて考え込む。 「ん? カンジがいっぱいで読めなかったとか?」 「いや、そうじゃないんだ。むしろ……」 難しい言葉の無い、彼にも意味が推し量れる内容だった。
『すべての幸せの中に、いつでもお前のための幸せがあるように』 誰がどう見ても、大切な人のための祈りだと判る。短文の意味を聞いたフェリは、「無理に見てごめん」と菊に謝った。だが、ルートはまだ首をひねっている。 日本語の一人称二人称の多様性を知ってるルートは、やがて静かに菊に問いかけた。 「これは、誰の願い事なんだ?」
菊は小さくため息をつく。 「気がつきましたか。確かにそれは私のモノじゃありません。匿名希望の方ですから、聞かないでください」 ルートはまだ何か聞きたそうだったが、菊は笑顔で流してしまった。 「みんなの願いがかなうといいよね」 「明らかに相反するものもあるから、全部は無理だろう」 「でも俺、みんなの願いがかないますようにって書くよ!」 いいですね。と菊が笑ったところで、一同は部屋に戻る。
その願いはかなうかもしれない。かなわないかもしれない。 あるのはただ、「かなえたい」という思いだけ。 数多の願いを抱いた笹は、静かに佇んでいた。
終
*七夕ネタです。
そして、サッカーネタもちょっと。
これを書いたのは準決勝の半日前でした。結果が出る前に書きたかったんです。
ドイツは残念でしたが、むしろ「タコすげえー」というのが正直な感想。
本国では「ゆでる」とか「サメの水槽に引っ越させる」とか言われたそうですが。
……あれはジョークだと思う。思いたい。
あの人たち、真顔で冗談言うんだもん。
3・ふたつの星
七夕の夜が更け、菊はひとり自室にこもっていた。 いつも通り一緒に寝ようと言われたのを、「仕事が残っている」と断ったのには訳がある。 「どうして気がつくんでしょう。不思議ですね」 菊の文机の上には、黒革の手帳がある。使い込んだ形跡のない綺麗な装丁の手帳は、なぜか中身が薄くぺったんこになっていた。
頬杖をついて、菊はそっと表紙を撫でる。
それが彼の元に送られてきたのは、WW2も末期の初夏だった。 真新しい手帳には短い手紙が添えられていた。送り主はギルベルト・バイルシュミット。
そっちの様子はどうだ。乏しい物資でまだ粘ってると聞いた。 俺はまだやる気だが、戦局悪化の影響を被るルッツが心配だ。 不思議だが、こんな時なのに昔お前の家で聞いた話を思い出している。 ほれ、願い事を書いて木に吊るすとかいう行事。 ウチにはそんな習慣がないから、代わりにお前が飾ってくれ。同封した手帳に、願い事を書いておいた。 毎年1ページずつ飾っても、100年はもつぜ。どうだ、いいアイディアだろう? 中身を見るなとは言わねえが、あんまり笑うな。 心残りは、奴の事だけ。もう、なりふり構っていられない。 今さら、俺に出来る事は何もないかもしれないと思った時。 最後に思いついたのはただ、祈る事だけだった。 だから、たのむ。お前にしか、たのめない。 言うまでもないと思うが、ルッツには内緒だ。この事を知ったら、奴は無理に幸せになろうとするだろう。 馬鹿がつくほど真面目な奴に、そんなプレッシャー、与えたくない。 ま、そういうことだ。 約束だ。守れよ? 生き残って必ず実行しろ。 もしまた会う事が出来ても、この話を蒸し返してくれるな。 生き残ったらこんなの、ただの笑い話だ。 七夕の恋人は年に一度しか会えない。それを聞いた時俺は笑ったよな。 だが、年に一度会えるなら幸せなんじゃないかと、今になって思い知った。
馬鹿は、俺も同じか。
手帳は200ページ。100枚に及ぶ願い事は、すべて弟の無事と幸せを祈る内容だった。「幸も不幸も己の行動の結果」とうそぶく男が、自分の手が届かない状況を思い悩んだのは初めてだったのかもしれない。 「頑固で真面目でイイ格好しいで。貴方こそ、すべての形容に馬鹿がつく男ですよ」 この手紙を書いた時、ギルはわが身の消滅まで意識していたのではないかと思う。その後分裂時代を迎え、この手帳が空っぽになる前に再会できるのかと気が遠くなったのは、菊だけではなかったはずだ。 不器用な男の願いを無下にできず、菊はずっと手帳のページを切り取って飾り続けてきた。 もちろん、誰にも告げずに……だ。 その習慣は今も続いている。手帳にはまだページがあるし、ギルは何も言わないのだから。 今年は、ルートが七夕に遊びに来た。 本人の目に留まるかも知れないと考えたら、手帳をそのまま短冊にはできない。 筆跡で即座にばれる。だからわざわざ日本語に訳して菊の手で書き写したのに。
「……もしかしたら、ばれてもいいという気持ちがあったのかもしれませんね」 50年はそれなりに長い時間だと、彼らは言う。だったら、そろそろいいんじゃないかと。 揺れる思いを抱えて、ひとり悩む菊だった。
終
*上の続きです。
匿名希望の願い主は誰? という話で、ブログにアップした時点でこれもできてました。
ギルと言えば不憫というのが常識(?)ですが、私が書くと格好良くなるのはどうしようもないです。
Write:2010/07/09
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