フェリは海の子
昨日利き腕に怪我をしたフェリは、「外食? 出かけるのも不便なんだぁ」と言い張り、菊の家でごろごろすごしている。
家の主は、客人の自覚と自由に任せて出かけてしまった。「野暮用です」と言っていたが、おそらく昨日の後始末だろう。そう思うとルートは若干胃痛がする。
もっとも。張本人のはずのフェリが暢気に「菊特製おにぎり」を片手でつまんでいるのを見ると、「何故俺一人悩まにゃならんのだ」と言う気分になってくるルートだった。
「この前さあ。菊が俺にぴったりの歌があるって教えてくれたんだぁ」
畳の感触を楽しむように転がりながら、フェリが言った。ルートがアレコレ考えていることなど、まるでお構いナシの風情だ。
「故郷の海で産湯を使って、波の音が子守唄……っていうの。『俺は海の子』って歌だって」
俺んちにも似た感じの詩があってさ。なんだか嬉しいよね。と、フェリは笑う。どうしてこいつはいつも、嬉しいとか楽しいとかいう言葉しか口にしないんだろうと、ルートの胃が痛みと共に訴える。
能天気にも程がある、と釘を刺そうとした時。
「いっそ俺、本物の海の子だったらよかったのかも」
フェリがぽつんと呟いた。
「波とか風とか潮流とかさ。そーいう仕事するの。俺多分、役に立てると思うんだぁ」
今よりずっとね、という呟きは小さすぎて、誰かに伝える気がないみたいに投げ出された。
彼に背中を向け、ころんと寝転がるフェリの姿はいつになく小さい。どうやら、ルートには理解できない思考回路を経て、一応反省中だったようだ。
「お前、パスタ無しで生きていけるのか?」
わざと茶化す口調で言うと、フェリはひょっこり起き上がってルートを見た。
「う〜ん。どうだろう? ダメかな? ダメかもしれないね」
ダメかぁ。ダメだなぁ俺。もにょもにょ口の中で呟きながら、フェリはがっくり肩を落としてしまった。
それまで「反省しろ」と説教するつもりだったルートだが、(自覚があるなら、わざわざ言う必要はなかろう)と思い返す。
何のことは無い。目の前で落ち込まれると今度は胸が痛み、胃痛よりこっちの方が耐え難いだけなのだが。困ったことに自覚がないし、この場に居れば注意してくれるはずの菊が留守だからどうしようもない。
「俺は海が苦手だ」
そんな返事を受けて、フェリの背中が大きく揺れた。感受性の強い(はっきり言うと泣き虫な)彼は、すでに涙目になっている。
国内を治めるのに常に手一杯だったルートの国は、海路発展競争に大きく乗り遅れた。
当時。アーサーの後など追いたくないし、正直追いつけそうにもない。できることなら海底を歩いてアフリカ大陸に行きたいと、真面目に検討したほどだ。その結果、潜水艦という技術が発展したわけだが。
こんなこと、今更説明しなきゃわからんのか。と苦々しげにルートは呟く。
「だから、お前が海の子になったら……会いにも行けなくなるぞ」
ごほん、と咳払いひとつ。びっくり視線のフェリを見下ろしながら、ただ一言「困る」と告げた。
「落ち込んでいるのは判るが、そんな言い方をするな。悪いと思ったらまず謝れ。そしてできる限りの誠意を尽くせ」
いかにも彼らしい慰めを聞いて、フェリは飛び上がると親友に抱きついた。
「ルッツルッツ、今のもう一度言ってよ」
「おい、怪我した腕で無茶するな!」
「大丈夫だよ、いいからもう一度」
「……海が、苦手……?」
どーしてそこなんだよぉルッツの意地悪!
ごつっと重い音と共に、フェリの頭突きがルートの胸板に決まる。
「俺、居ないと困るんだよね? 居て、いいんだよね?」
返事も待たずに、フェリは子供のように泣き始めた。本人がかばう気のない右肩に注意しながら、ルートはフェリを抱擁する。
「つまりあれか。反省より自己嫌悪なのか」
ああ、どうして俺はこんな理解不能な男と友人関係を結んでいるんだろう。ルートは慨嘆せずにいられなかった。
「砂漠でも海でも、パスタなんぞゆでる余裕などないのは同じだろう」
「判ってないね〜ルッツは。パスタは海水で茹でればいいんだよ」
「……む。言われてみれば確かに」
「茹で汁を捨てたら魚が集まってくるから〜、うまくいけばもう一品おかずができちゃうよ。防湿箱に入れておけばパスタも傷まないし。砂漠は乾燥しすぎてダメだよ。だからばっきばきに折れちゃったんだよ」
「だから何故そこまでしてパスタにこだわる」
「海の上なら問題ないんだってば! ニンニクと唐辛子とチーズがあれば、いつでもペペロンチーノが作れるんだよ」
帰宅した菊は、妙な激論を戦わせているふたりを見つけた。
「……パスタ談義?」
突っ込む声に、フェリが笑顔で答えた。
「あ、菊おかえり〜。ねえねえ。最初に俺謝罪しておきたいんだけど」
いきなり、そう来ますか。困惑した菊がルートに視線を向けると、彼は珍しく視線をそらした。
「昨日は心配かけてゴメンナサイ。俺すっごく反省した。本当だよ。
でもね、どうすれば菊に許してもらえるのか判らなくて」
だから本人に直接聞くことにしました! と宣言され、菊は立ちくらみを起こしそうだった。
(許されるの前提ですか?)
子供ならともかく、れっきとした大人からこんなぶっ飛んだ謝罪を受けるとは。できることなら体験したくなかった…と、心がどこかに逃避行しそうだった。
「すいません……考える時間をください」
前代未聞の「謝られる側からの譲歩」を引き出したフェリは、「お茶いれてくるね〜」と唄うように告げて台所に消えた。
力尽きたように膝を突いた菊は、頭だけをあげてルートを睨んだ。
「貴方また、見境なく彼を慰めましたね!」
見境なく慰めるって、どんな表現なんだと思いつつも。まったく反論できないルートだった。
その夜。
『フェリの手作りディナー&魂こもったマッサージ』というフルコースを堪能した菊は、久しぶりに心からくつろいで、居間で手足を投げ出していた。
その隣では、フェリが倒れている。料理はともかく、慢性肩こり症の菊へのマッサージはなかなかの苦行だったらしい。
ちなみにその間、ルートはずっと縁側に正座させられていた。菊がひそかに与えた罰なのは言うまでもなく、死ぬ気で耐え切ったルートも一緒に倒れている。
「ヴェ〜。指が、俺の指じゃないみたいだよ」
菊の身体、実は超合金でできてるんでしょ?! 生身でそんなに硬いわけないじゃないか。という泣き言を聞きながら、菊は涼しげに笑った。
「生身だからマッサージが必要なんです。でも、思ったより頑張りましたねフェリ」
「もう、怒ってない?」
おどおどと問うフェリに、菊は「元々、怒ってなんかいませんよ」と答える。
「え〜それじゃ俺謝り損……い、いや違うよ何も言ってませんっ!」
菊は穏やかに微笑んでいるだけだ。だが何か剣呑なものを感じたのか、フェリは全身で服従を訴えている。
「少しは身に沁みましたか?」
その問いに、フェリだけではなくルートまで頷いている。
「もう、菊を怒らせたりしないよぉ」
フェリが言うと、「違いますよ」と菊が首を横に振った。
「あまり、心配させないでください。私が言いたいのは、それだけ」
「はいっ! 誓うでありますっ!」
軍隊調に答え、左手で敬礼までしてしまうフェリを見ながらため息をつくルート。
わざわざ彼の前でフェリに説教したのは、同時にルートへ「甘やかすのも程々にしておきなさい」という意味がこめられているのだと気がついたからだ。
切れ味世界一の日本刀を、真綿でくるんでぐいぐい押しつけてこられた気分だ。
まあ、なんというか。
(菊が友達で、良かったよ〜)
(全く。奴は敵に回したくない)
(そ、そんな怖いこと考えるのもイヤだよ)
後日しっかり確認しあったふたりだった。
終
PS.
「菊が言ってた『俺は海の子」って歌、聴きたかったな」
「一応訳してみましたので、伊語で」
「俺にも聴かせてくれ」
そんな会話の流れで、菊が童謡を口ずさむ。
平易な旋律は穏やかな渚に寄せる波のようで。
カリブの海賊のテーマのような勇壮な歌を想像していたフェリは肩すかしだったようだが。
ルートは、そのからりとした明るさがフェリに似合いだと思った。
俺は海の子 波の上〜 カモメの騒ぐ港こそ
俺の生まれた 場所なんだ〜 いつかは帰ろうあの場所へ
※ あれ? また最初の予定とは大幅に違った話に。
最初はルートとフェリがだらだら過ごす。それだけの話だったのです。
それが、またしても菊が影の主役。なんでやねん。
後半は書いているうちにどんどんわいてきた話です。
ふたりが仲良く喋っているところに菊が帰ってきて、三人でのんびり歌の話をする予定だったのに。
最後の歌は「童謡を伊語に訳す過程で内容が変化したものを、もう一度日本語に戻した」設定です。
ただの趣味なのでお気になさらず。
翌日の話→笑ってよ君のために
Write:2009/07/23 (Thu) 17:02
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