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  とっぷてきすとぺーじ 本文へジャンプ


笑いながら話せる日が来るなら


 菊の夏季休暇は残り少ない。次の仕事のためのデスクワークなどのため、彼はしばらく書斎に篭ると宣言した。出かけないらしいルートたちには家事のいくつかを頼む。
 既に客というより同居人のような扱いだ。
 普段一人きりの家に、ふたりもの人がいる。その状態が、(ほとんど気にならないのはなぜなんでしょう)と、菊は思う。
 ダウンロードした書類を訳したりチェック入れたりしているところに、呼び鈴が聞こえた。
 菊が玄関に向かうと、引き戸をノックする人影。ガラス越しに見えるそのシルエットは……。
「アーサー。どうしたんですか珍しい」
 彼の来訪が、ではない。アポイント無しというのが珍しい。というか初めてのことだった。戸を開けても、アーサーはその場に佇んで言葉を捜している。
「仕事で来日したんだが、お前が今休暇中だと聞いてな」
 だから暇とは限らないし、いきなり訪ねても迷惑かと思ったんだが。と、呟いたアーサー。
「迷惑なはずないでしょう」
 菊が言うと、アーサーはようやく緊張を解く。いや俺も少し時間が余ったから顔を見に来てやっただけだがなっ、と答える声に力が戻った。
「まだ少し仕事が残っていますので、居間で待ってもらえますか」
 うん、と頷いたアーサー。脱いだ靴を揃える手つきも慣れたものだ。勝手知ったる様子で廊下を進む彼の後について歩きながら、菊は「あ」と思う。
 居間にふたりが居る事を言いそびれましたよ、と気付いたのと、アーサーの罵声が廊下に響いたのがほとんど同時だった。
「貴様ら何をしている! ここをどこだと思っているんだ!」
「なんだ、アーサーか」
「どこって、もちろん菊んちだよ」
 ふすまを開けたアーサーの目の前には、座卓でパソコン作業中のルートと、その隣で寝そべって浮世絵図録を眺めているフェリが居た。
 しかもあろうことか、ルートは短パンランニング姿。フェリに至っては上半身裸だ。自宅同様に、全力でくつろいている。
「……菊」
 家主に向き直ったアーサーは、既に普段の紳士の顔をかなぐり捨てていた。
「ゴミ袋を用意してくれ。なるべくデカいのをな」
 何を言われているか判らない菊に、アーサーはにやりと笑って言った。
「そこの生ゴミを片付けるんだ! 今すぐ持って来いっ」
 いきなり指差されて生ゴミ認定されたフェリは、びっくりしてその場で固まっている。
「突然何だ?」
 同じく状況が理解できないがとにかく立ち上がったルートに、アーサーが言葉を投げつける。
「黙れ粗大ゴミ」
「な!」
 たった今なされた宣戦布告は、即座に受理された。
 ごきり、と指を鳴らすルートに対して、「生ゴミは堆肥になるが、粗大ゴミは邪魔以外の何者でもねぇよな」と舌戦を開始するアーサー。
「え、え~?! ねえ菊、いったいどーしたの彼?」
彼の口が悪いのも喧嘩っ早いのも、今に始まったことじゃないけど。とフェリ。
「あれはさすがに意味がわからないよ」
「それが、私にもさっぱり……」
 などとふたりが囁きあっている間に。ルートが顎で「おもてに出ろ」とやらかし、アーサーがネクタイを緩めながら「てめぇなら、いい埋め立て地の土台になりそうだな」と笑う、という事態に発展していた。
「ちょっと! ちょっと待ってください!」
 あわててふたりの間に割りこんだ菊は、アーサーに向かって両手を広げて立ちはだかった。
「ここは私の家で、彼らは私の客です。何かあるなら、まず私に言ってください」
 真剣な表情で訴える菊を見て、アーサーの怒気がしぼむ。
「お前……こいつらに居座られて迷惑してるんじゃ……」
「なんだよぉ。それじゃ俺達が居直り強盗みたいじゃん」
 ひどいよねえルッツ。と訴えたフェリは、友人が妙に納得した表情なのを見つけた。ルートは自分のパソコンを閉じると、「売られた喧嘩は倍返し、が家訓なんだが」と呟いた。
 興奮が醒めて、むしろ青ざめてきたアーサーを見てルートは少し笑う。
「菊のために怒ったなら、まあ仕方ない。許してやるよ」
 そう言うと、縁側を通って客間へ戻ってしまった。
 どうしていいかわからずうろたえていたフェリは、突然何かに気付いたようだ。
「あれ? 菊俺達のこと迷惑だったの? そんなの、言ってくれなきゃ判らないよ~」
 ごめんごめんよ~と泣きながら謝るフェリの頭をなで、「そんなはずないでしょ」と菊がなだめる。
「あなたたちは、そんなに私が気弱だと思っているんですか?」
 意思表示しないのと、意思が無いのでは全く違う。特に意思軟弱なフェリはそれを最近思い知ったばかりだった。
「そ、そうだ! 俺は菊にちゃんと招待されたんだぞ! アーサーが間違ってるんだ、うん」
 間違っていると言われて、アーサーがうなだれる。その頃には菊にも、彼が激怒した理由が推察できていた。
「あなたの性格を、少し見誤っていました」
 プライベート空間で他人が居座るのが許せない。それはアーサーの性癖そのものだ。他人に許さないのと同時に、自分にも許さない。
「だから貴方はいつまでも客のままで」
 今まで、酔ったときにしか緩めなかったネクタイの結び目をちょん、と突いて、菊は彼に告げる。
「そういうのをわが国では、『水臭い』と言うんですよ」
「水、がどうしたって?」
 日本語で言われた箇所を聞き取れなかったのか、首をかしげるアーサー。それに取り合わず、菊はフェリを呼んだ。
「私、着替えをとってきますから。彼を裸に剥いちゃってください」
「「え”?!」」
「それがイヤなら自分で脱いでくださいね」
 微笑む菊の表情が怖い。彼の本気をいち早く感じ取ったフェリが、がくがくと頷いた。
「おい、ちょっと待て」
 乙女のように胸元を押さえて叫ぶアーサーに、菊がとどめの一言を放った。
「文句があるなら、ルッツも呼びますよ?」
「げ」
 俺はジャーマンシェパードをけしかけられるようなことをしたのか? ……したかもしれない。などとアーサーが思い悩んだ隙に、フェリの手が彼のズボンにかかっていた。
「ごめんね~。家主の命令だから♪」
「うわあ、触るんじゃねえフェリシアーノ!」
「さっき生ゴミ扱いされて、俺傷ついちゃったな~」
「謝る! 心から謝罪する!」
 居間を駆け回る、半裸男とこれから全裸(?)になる男。
「あ、一応最後の牙城は残してあげてくださいね。男の沽券にかかわりますから」
 無常に言い捨て、菊は自室へ戻ってしまった。

 浴衣を手に居間に戻った菊が見たのは、『アーサーのぱんつを後から引っ張るフェリ』の図だった。脱いだのか脱がされたのかは不明だが、英国紳士は必死で抵抗中だ。
 アーサーはまだ靴下を履いているので、ぱんつを毟っても素っ裸にはならない? のだろう。
(フェリの「最後の牙城」は靴下だったんですか……)
 友人の思わぬフェティシズムに感心しながら、選んだ浴衣をフェリに手渡す。
「あなた方は自分で着てください。できなければあとで手伝います」
 え~つまんない。とぶーたれるフェリに背を向け、菊は真新しい浴衣を手に取る。
「これは……もしかして、俺に?」
 松葉色に青海波模様の浴衣は、パリッとして肌に心地よかった。菊は何も答えず、帯を結ぶと彼の背中を軽く叩いた。
「私も着替えてきます。貴方の荷物は書斎の隣に運んでください」
 え? と聞き返すアーサーに、「泊まりますよね」と菊が言う。
「……いいのか」
「貴方がよろしければ」
 完敗だ、とアーサーは諸手を挙げるしかない。黙って鞄を手に取った彼を見て、菊はやんわり微笑んだ。
 とりあえず荷物を移動させたアーサーは、居間に戻ってみた。そこには同じく浴衣に着替えたルートたちが座している。
「早とちりして……す、すまなかった」
 珍しく率直に謝罪するアーサーを見て、ルートが苦笑した。
「いや。お前の気持ちもなんとなくわかる」
 俺も、プライベートに踏み込まれるのは苦手だからな。と言われて、今度はアーサーが苦笑する番だった。
「でもお前、ずいぶんなじんでいたぞ」
「俺一人では無理だな。ほら」
 と言って指差す先にはフェリが居る。縁側に座る彼の周囲には、見えない蝶が舞っているような「陽だまり的雰囲気」がある。
 身ごろの右が白、左が海老茶色という大胆な染め分けの浴衣は、裾模様が波と千鳥。洋服の概念からはありえないくらい派手な意匠だが、彼にはよく似合っている。
 確かに、フェリがいればいい緩衝材になってくれそうだ。便利だなと呟くアーサー。
 そこに菊が戻ってきた。藍の市松模様という粋な柄が、彼の黒髪を引き立てている。
「せっかく着替えたんですから、皆で出かけましょうか」
 さっきまでの雰囲気は微塵も感じさせず、菊は楽しそうに「お出かけ計画」を語った。
 客一同は妙な安堵感の中、なんとなく笑いがこみ上げる。
「? ああ、仲直りなさったんですね。よかったです」
 菊が言うと、「どこまでもお供するであります、隊長」とフェリが返した。続いてルートとアーサーが敬礼する。
「……いつの間にそんなことに」
「いいんだよっ! ここは菊のホームなんだから、俺達は黙ってついて行くだけだって。ねえ、ふたりとも」
 フェリの言葉に押されるように、仲良く出かける一同だった。

 終



PS. 
「そういえば、あの時。お前が脱がすという選択肢は無かったのか」
 アーサーに言われた菊は、迷わず即答する。
「イヤですよそんな、恥ずかしいこと」
「ほぉ」
 その言葉への反応は、菊の背後から迫ってきた。ルートにがしっと両肩をつかまれ、ようやく自分の失言に気付く菊。
「お前、自分が恥ずかしいことを俺にさせようとしたのか。由々しい事態だな」
「うん、由々しいね」
 言葉の意味もわからず同意するフェリ。ルートの浴衣の、浅葱色の袖が菊の首に絡んできた。
「でも結局貴方に手を借りたわけではないので…」
 菊らしくない稚拙な言い訳を聞きつつ、ルートがくつくつ忍び笑いをもらす。
「ふむ。俺も菊の真似をしてみようかな。……フェリ、いいからこいつを毟ってしまえ」
「アイサー了解であります!」
「え~~~~?!」
 叫ぶ菊だが既に首をホールドされて逃げようが無い。
「おい! ちょっと待ててめぇら」
 アーサーが待ったをかけてくれた、とほっとしたのもつかの間。
「最優先権は俺にあるはずだ!」
「~~~っ。勘弁して下さいっ」
 かくして。『ガイコクジンの男三人に襲われる日本人男性』という、人に見つかったら間違いなくパトカーがすっ飛んでくる事態になったわけだが。 
 その結果がどうなったか、関係者は一様に口を閉ざしたままであった。
 いつの日かこの事を、笑いながら話せる日が来るのだろうか。
 ……来ないんじゃないかと、作者はこっそり思う。
 


* すいませんごめんなさい、でも反省はしてませんっ!
  「笑ってよ俺のために」のシリアスな話に疲れてちょっと寄り道したら、急ピッチで斜め上走行してしまいました。
  暴走早いよ自分。
  今、ざっと読み返しましたが、ほとんど手直しが要らないくらいのノリのよさです。我ながらあきれます。
  とりあえずこのままさらします。ああ、書いていて楽しかった。
  書きそびれましたが、ルートの浴衣の柄は桧垣。とことん渋いです。

  浴衣の色は各人の目に合わせました。
  アーサーはもっと明るい緑だと思うし、菊は黒でしょうが……、私の好みを優先しました。


 後日談→君去りて、後
 小ネタ→よく考えたら、アーサー不幸じゃね?

  Write:2009/07/31 (Fri) 11:56

 とっぷてきすとぺーじ