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君去りて、後


 ルートが再び日本を訪れたのは、あのにぎやかな夏の日から二カ月ほど過ぎた時期だった。
 季節は変わり、うだるような暑さはすっかり影をひそめている。
「不思議な感覚だ」と、ルートは思う。彼の国では、ビール祭りが終わったらもう冬と言っていい。木々は葉を落とし、ビアガルテンは翌年まで店を閉める。
 それに比べると、この国は季節の進行に余裕がある気がする。
「今はちょうど、収穫の時期。あちこちでお祭りをするんですよ」
 そう答える菊の機嫌は、上々だ。今年は気候に恵まれて、全国豊作だったんです。と、笑う菊をしみじみと見るルート。
「今さらだが。お前、農耕民族なんだな」
「もちろんですよ。私が祈られるわけでも祀られるわけでもないのですが、やはり身体が温かくなる気がします」
 神様からのおすそ分けですね。と、今日の菊はよく笑う。
「しかも今日は満月です。晴天でよかった」
 ふたりは今、菊の家の縁側に並んで座っている。わざわざ取り寄せたという新酒の封を切って、まずは乾杯。
「月見、か」
 不思議な習慣だと思う。彼らの常識では、そもそも月を愛でたりしない。満月はむしろ狂気を呼ぶとされ、特に彼の国では「子供に見せてはいけない」とまで言われている。
 いっそ祈りをささげるのなら、アニミズムとして理解できる。だが、菊はまるで語り合うように静かに、月と向き合っているように見えた。
 ルートがそう言うと、菊は「確かに、祈りとは違いますね」と答える。
「うつくしいと心から思えるものがある。それだけで私は、気持ちが安らぎます」
 でも。と、菊は彼の顔を見て微笑んだ。
「要は何でもいいんです。楽しみ方は人それぞれですし。月を肴に酒を呑んでも、それはそれで……」
「いいのか」
 はい。と答えた菊は、彼の盃に酒を注ぐ。ルートも注ぎ返す。
 酒くらい自分で注げばいいと思うが、菊曰く「これが大事なんです」。
 口下手な日本人のコミュニケーション動作らしいと判断して、つきあううちに慣れてしまった。相手の杯が空になると、酒を勧める。
 庭では鈴を転がすような小さな音。夜気に交じる花の香り。
 ふと、ここに居ないフェリシアーノの事を思う。彼が、猫のようにじゃれついてくつろぐ所が容易に想像できる。
 この穏やかな時間をとても喜ぶだろうと思うと、置いてきた事が少し悔やまれた。
 だが、仕方がない。これが菊との『約束』だったのだから。



 日本酒は、意外とアルコール度数が高い。口当たりにだまされると、大変なことになる。つい飲み過ぎてほろ酔いになったころ、菊がルートに尋ねた。
「貴方は、最初から自分が国だという自覚があったんですか」
「もちろんだ」
 兄がいたからな。とルートは答える。物心つく以前から、兄は彼に国として、人として、男としてどうあるべきかと……文字通り骨身に叩き込んでくれた。
 そんな話をすると、菊は納得したように頷いた。
「私は、ぼんやりした幼少時代だったので。あまり自覚がなかったんですよ。修行さえすれば、末は立派な神様になれると信じていたくらいですから」
「……ああ、お前のところはやたら大勢神様がいるんだったな」
 頑張れば、人はもとより動物や古道具までもが神になれる国だ。『彼ら』の性質を考えるとあり得ない話ではない。
「話が早くて助かります」
 勘で理解する事を好まないルートは、とにかくよく勉強する。時にやりすぎて「マニュアル人間」と揶揄されるが、相手を理解しようと努める姿勢が悪かろうはずがない。
「いつかは神通力を使いこなして、皆様のお役にたてると信じていたのですが」
 初めて出会った耀に「日出ずる国の日本です」などという小生意気な挨拶をした彼だが、その時でさえ自分を『国造神の下っ端』くらいに思っていたのだ。
「ふむ。空でも飛べたら便利かもしれないな」
 ルートの言葉に、菊は軽い笑い声を立てた。
「そうですね。でも、私たちはどれほど長く生きようと、人間に可能なこと以上の事は出来ないんです」
 知力、体力、精神力。あるいは様々な技術や知識。時間の積み重ねで多くの事を取得できても、世に現れる「天才」としか言いようがない人間には到底かなわない。
 そういう意味では、自分たちはむしろ平凡だと。菊はそう思っている。
「唯一違うのは、『その時が来るまで死ねない』ということでしょうか」
 盃を口に運んでいたルートの手が、一瞬止まる。
「私は知らなかった。守護し奉る方と共に、いけるものだと思っていた」
 ルートは盃を置き、友人の話を聞きもらすまいと姿勢を正す。
 月光の下、菊は遠い記憶をたどっている。絶えて思い出す事のなかった昔話を拾い出すために。



  私は、物心ついてからずっと皇家の元にありました。
  長い時の間には、帝が必ずしも権力をお持ちではありませんでした。
  それでも、時の執政者は概ね皇家に近い所に現れましたから。
  力関係が上下することはあっても、帝は帝でした。
  なまじ長く生きていた私は、それを疑う事もなかったんです。
  皇家は、それを持ったものが権力を振える、玉璽と同じ象徴でしかなくなっていたんですけどね。
  戦に負け、権力の座を追われた男が、幼い帝を連れて一族と共に都を逃げ出した時。
  あの方と一緒に行くのが当然だと思ったんです。
  その時の私は、帝の世話役といいますか……遊び相手でした。
  幼い方だったので、女官に囲まれてお暮らしでした。その中で、私は数少ない男子で。
  本当は、守護が私の勤めでした。
  おかしいですか? そんな顔をしてますよ。
  あの方は、今風に言えば私の上司です。そうでしょ? 
  お守りしたいと思うのは、変じゃないと思いますが。
  まあとにかく、私たちは政敵に追われて海へ逃げました。途中幾度も戦っては負けて。
  西海の果てに追い詰められた時、あの方の一族は、そろって海に身を投げる事を選びました。
  尼君が「海の底にも都がございます」と、あの方を慰めて抱き上げた時。
 「菊も、いっしょだよね?」
  そのお言葉と共に差し出された手を取って、私は…………。




「菊」
 強い声で名を呼ぶと、彼は我に返った。夢から覚めた人のようにぼんやりした視線を、月に向けている。ルートは隣で、厳しい表情でそんな彼を見ていた。
「失礼しました。とにかく、あの方は身罷り、私はこうして生きています。それだけの話だったんです」
 そうか。と答えて、ルートは眼を閉じる。フェリが行方不明になったと聞かされた時の菊の姿が、脳裏に浮かんだ。
 蒼白な顔、震える身体、彼の服に食い込んだ冷たい指。
 あの時点で様子がおかしいと思った。だからこそ、彼の言葉が記憶に残ったのだろう。
「今でも偶に夢を見ます。私は海中で、あの方の手を捕まえているのに。
 目が覚めるといつも、ひとりなんです」
 守るべき人は海へ没し、菊の手は空っぽのまま。
 そうか。と再び呟いて、ルートは酒を口に運ぶ。船から落ちて行方不明。この嫌な符合が彼の胸を刺す。
 フェリシアーノを連れてくるな、と言われた意味を了解する。この、相手の感情を過剰に読んで気を回す男は、フェリがショックを受けると思ったのだろう。
「気にしないでくださいね」
 ルートの盃に酒を注ぎつつ、菊が言う。今度は彼が「聞いた事を後悔している」という風に空気を読んだようだ。
「私くらい長生きすると、なにを見てもどこに行ってもトラウマてんこ盛りなんですよ。こんな話の一つくらい、どうってことありません」
 勝手に決め付けるな。俺は後悔などしていない。という言葉を、ルートは口の中に留めた。
「でも、そうですね。いつか私が消滅する日が来たら」
 まるで月に打ち明け話をするように、天を向いて菊は呟く。
「その時こそ、海にいきたい。それが私の望みです」
 己で出した結論を告げ、菊はいつものように微笑んでいる。(そんな自分勝手な話があるか)、とルートはくやしく思う。
 ひとりで逝けると思うなよ。という気持ちがわきあがり、つい口走ってしまった。
「その時はかならず知らせろ。俺が見送ってやる」
「……見送り、ですか?」
「そうだ」
 菊はようやく視線をルートに向け、不思議そうに首をかしげた。
「でも私のところは火山列島ですから。地震で壊滅するかもです」
「その時は、わが国最新鋭の戦闘機で飛んできてやる」
「津波で日本沈没とかもあり得ますが」
「そうなったらパラシュートで飛び降りる! だからお前もその間くらいは、待つ努力をしろ。少しは頑張れ。
 俺の見送りに、何か不満でもあるのかっ」
 だんだんむきになり、ついでに身を乗り出すルート。菊は真正面に迫るゴツい顔を、子供のように澄んだ目で見つめている。
「貴方という人は。単純な方だとは思っていましたが、まさかここまでとは。
 失礼ながら笑っちゃいますよ本当に」
 自分でも内心(クサい台詞だ)と思っていたルートは、がっくりと肩を落とす。
「笑うんならさっさと笑え、チクショウ。冷静な顔でそこまで言うかこの鉄面皮!」
 ルートがぼやくと、菊は小声で「すいません」と答えた。
「私も笑いたいんです。でも……」
 彼を見つめたまま微動だにしない菊の目から、一筋涙が流れた。
「表情が、思うように動かないんです」
 すいません、すいません。と呟く菊。言葉と涙が同時にこぼれて止まらない。
「……」
 しばらくためらった後、ルートの手が菊の肩に伸びる。意外と素直に体重を預けてきた菊と寄り添い、ふたりはいつまでも月を見上げていた。

 終



PS.
 ルートは菊と、海岸を歩いている。笑いながら話し込んでいるのだが、不思議と菊の声も、自分の声も耳に入らない。
 聞こえているのは、潮騒の音だ。
 どれくらい時間が経ったのか、菊が立ち止まる。ルートに深々と頭を下げ、何か言った。
 その言葉も聞き取れず、ルートは彼の名を呼ぶ。
 しかし、菊は微笑んで手を振ると、海に向かって歩き始めた。
 波を分けてサクサク進む菊に向かって、ルートは再び呼びかけた。すると菊が振り返り、彼に笑顔を見せる。
 やはり声は聞こえない。しかし、口が「ありがとう」と動くのを確かに見とめた。
(いや、待て)
 慌ててルートは彼の背中に手を伸ばそうとするが、身体が全く動かない。ようやく彼は、自分が夢を見ている事に気づく。
 すでに菊の小柄な体は、半分海に隠れている。
(待て。待ってくれ)
 まだ何か、言っておきたい事があるはずだ。そう思って彼を呼ぶが、菊は振り返らない。ルートの声が届いていない。
 ルートは腹に渾身の力を込め、友人の名を叫ぶ。
「き……」

「……くっ!」
 目覚めたのは、見慣れた客間だった。「一緒に寝よう」と誘うフェリがいないので、ごく自然にお互いの寝室へ戻ったのを思い出した。
 潮騒と思ったのは、夜風に葉を落とす木々のざわめきだった。
 ひとりでいると、この部屋は広くてさびしすぎる。ルートは胸を押さえ、布団に身を伏せた。
 菊は笑っていた。それが奴の望みなら、俺は必ず叶えよう。
 何があっても見送ってやる。例外は認めない。覚悟しておけ。
 そう毒づきながら、同時に染みのように心に浮かぶ思い。

 ……ますます海が嫌いになりそうだ。 
 



*いつもより、心をこめて書きました。
 普段の作品にこもっているのは、心というより「萌え」です。(滅
 読みたいとリクエストをいただいた、「つきひがたつのもゆめのうち」の続きでした。
 「死ねない」発言の元になる、菊の過去話。最後までシリアスです。
 読んでくださりありがとうございます。

 PS.が「夢は現と知ればこそ」に少しリンクします。
 悪夢に閉じこもる男を叫ばせるという快挙を、菊は成し遂げたわけですが。本人自覚がないし、この状況では誰にも分りようがありません。残念です。
 菊が話すシーンまでは、設定ができているのですぐ書けました。問題はその後。
 ルートの反応に迷い、次は菊のリアクションに迷い。
 思ったより時間がかかりました。どこにも笑いのない話ですいません。
 こんな話、書いてもいいのかなとも悩みました。
 いつもはどこかに「救い」を用意するのですが。今回その余裕がありませんでした。
 いつもののんきな話を期待した方、申し訳ありませんでした。
 「どうかな〜? いいのかな〜」と、ちょっとドキドキしながらアップします。



Write:2009/10/19 (Mon)

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