ともだち。
「イタリアさん……お会いするのが楽しみと言いたいのですが。
まさか私から向かって左に見える、どう見ても不審人物のあの方とは別ですよね。
ええ、信じてます。断じてあれではないと!」
「俺も信じたくないが、あれなんだ……」
ルートがフェリを伴って来日したのは、間もなく1940年代を迎える冬のことだった。 久しぶりに会った「ドイツ」は、驚くほど成長して立派な青年になっていた。目の前に立たれると壁がせまってくるようで、菊は彼の顔を見る為に、顎を上げてのけ反らなければならなかった。
それでも。「お前は変わらないな」と笑った表情に少年ドイツの面影をみつけ、ようやく菊は安堵した。 欧州風に握手を交わし、菊は「お連れの方は?」と尋ねる。するとルートは顔をしかめ、離れた場所で女性に声をかけている男をさし示した。 「あの方、が?」 菊がひそかに会えるのを楽しみにしていた「イタリア」は、人懐っこい笑顔でよく喋る青年だった。今までに彼が会った欧州の「国の人たち」が、一目見たら忘れられない存在感をにじませていたことを思うと、彼の雰囲気は異色な気がする。 「フェリシアーノ!」 ルートが慣れた調子で彼を呼ぶ。すると青年は手を振りながら、まっしぐらに駆け寄って来た。 「チャオ! ルッツから聞いてると思うけど、俺がイタリアだよ。あ、兄ちゃんもイタリアなんだけどさ〜」 これが菊本人に向けられた挨拶だった。続いて菊の手をとり、ぶんぶん振りながら「会えて嬉しい〜」と連呼されてなければ、あなどられたと判断したかもしれない。
出会ったばかりの相手にここまで無邪気に振るまえる性格を、信じていいのか菊は戸惑ってしまう。 一緒にいるルートヴィヒが『質実剛健』を擬人化したような存在だから、なおさらだ。 その例でいけば、彼はまさに生きて動く『軽佻浮薄』だと思ってしまったところで、菊は己を律するため気を引き締める。 初対面から予断を持つのは、好ましくない。 そうは思っても。「しっかりすると約束しただろう!」とルートに叱られてるところを見せられると、「頼りない」という印象を抱かざるを得ない。 「あの。はじめまして、日本です」 フェリのとりとめない長話が一段落したところで、ようやく菊が口を挟む。彼の挨拶は、裏を推し量ろうという気も起らないほどの笑顔で報いられた。 「お前、いいやつだね。俺なんかの話を、最後までちゃんと聞いてくれる人でよかった。 仲良くなれそうで、嬉しいよ」 とても成人男子とは思えない振る舞いに戸惑い、菊は隣のルートに視線を向けてしまう。彼の表情から不信感を読み取ったのか、ルートは珍しく困ったような顔をしている。 よろしくぅ! と宣言された菊は、曖昧に頷いて見せるしかなかった。
彼らの来日には重要な意味があったはずなのだが、フェリの様子を見ているとそれが何かの間違いだったような気がしてくる菊。 だが。ルートは突然現実を突きつけきた。 「すまないが急用ができた。しばらく、こいつを案内してやってもらえないか」 この期に及んでウチの奴らが、また色々言いだしたんだ。と、苦悩の表情で告げるルート。彼らの上司は軍事同盟を結ぶべく折衝中だ。独国にとって、こんな極東の小国と結ぶことに意味があるのかと意見が割れるのも無理はないと菊は思っている。 「いつか観光に行きたい」と言ってくれた少年は、むしろあの時菊が危惧したとおり、この国を視察に来たのだろう。遊びで来たわけでは、無いのだ。 慌ただしく去るルートを見送りながら、(仕方ありませんよね)と菊はため息をこらえる。 いつの間にかうつむいて、自分の右手に視線を落としていた菊の視界に、くるんと丸まった特徴あるくせ毛が映った。 「えっと。ルッツが居なくてがっかりだよね。でも、奴はさっさと会議終わらせて帰ってくるよ。だから元気出して」 菊の常識では考えられないほど無遠慮に顔を覗き込んできたフェリ。その言葉を聞いて、菊は自分が落ち込んだ顔を見せてしまったことに気づいた。 (なんてことを。我ながら恥ずかしい) 「申し訳ありません。お客さまに不躾な態度をとってしまいました」 「お前は悪くないのに謝るの? 変ってるなぁ日本人は」 俺、お前がいつ怒るかとドキドキしてたから、びっくりだよ。フェリはそう言って、のんきそうに笑った。相変わらず、緊張感はみじんも感じられない。 「ね? 俺、日本に行ったら見たい所がたくさんあったんだぁ。案内してもらえると嬉しいな」 好奇心ではち切れそうな笑顔のフェリシアーノは、どう見てもありふれた観光客にしか見えない。 なぜ、ルートとこんなに差があるのか不思議に思う菊だったが。(そういえば、お兄さんがいらっしゃるんでしたね)と思いだす。 政治的な話は兄が担当しているのかもしれないと思いつつ、菊は彼を普通に案内することにした。
菊が思った通り、フェリシアーノの希望は美術芸術観光方面に偏っていた。むしろそれがすべてと言うべきで、彼が予想していた軍需工場見学とか閲兵など、話題にも上らなかった。
(こんなことでいいのでしょうか)と時々思いながらも、観光案内役に徹して東京を散策するふたり。美しいものに敏感で、素直な感想を惜しみなく述べてくれるフェリと過ごす時間は、思いのほか楽しかった。 今も、昼食に食べた和蕎麦の感想を楽しそうに述べるフェリの態度に、菊の方が和みを感じるほどだ。青葉が影を落とす土手を散歩しながら、フェリの口は止まる気配がない。 「いいところだよね〜日本。俺、大好きだ」
綺麗なものがいっぱいだし、食べ物もおいしいし、気候もいいし、何より女の子が可愛くて、最高だよ! と、饒舌に誉めあげられて、菊は表情に困ってしまう。
「恐縮です」と呟くと、フェリは首をかしげて菊を見つめた。 「日本人は皆、お前みたいな人なのかなぁ」 どういう意味だろうと思いつつ、「そういう一面もあるでしょう」と曖昧に答えた。 するとフェリは初めて真面目な顔つきになり、「柔らかいなぁ」と呟く。 「こんなに表現や言動が柔らかい人たち、見た事がないよ。皆親切で礼儀正しくてさ。 俺、自分の国以外でこんなに大切にしてもらったの……初めてだよ」 「それは……貴方が遠国の客人である事は誰が見ても明らかですから。はるばる来てくださった方に親切にするのは、当然では?」 菊が答えると、フェリは「そっか。お前にとっては当然なんだ。すごいね」と微笑む。そして、立ち止まり菊に手を差し出した。 「ねえ、覚えていてね。それはとてもすごい事なんだよ」 フェリが心からほめてくれたことは、菊にも判った。だが、自分の何をそんなに評価したのかが実はよく判らない。それを問おうとした、その時。 土手の下から子供の悲鳴が響いた。見ると複数の子供が何か叫びながら、川下に向かって走って行く。
よく見ると、黒い塊が水の中で浮き沈みしながら流れてゆく。浮き上がるたびに、口々に何か叫んでいる子供たちの悲鳴が大きくなる。 「……まさか、誰かが川に落ちた?」
呟いた菊を押しのけるように走り出したフェリシアーノ。土手を滑り降りると、そのまま足から水面にとびこんだ。その一連の動きを、唖然と見守るだけだった菊。彼がこんなに大胆な行動に出るとは、予想もつかなかった。
「あ〜びっくりしたぁ」
「それはこっちの台詞です! まったく、頭から飛び込まなくて幸いでしたよ!
この川は見た目より浅いんですから!」 川面に突撃したフェリは、流れる物体に大股で追いつき、難なくキャッチに成功する。片手にソレをぶら下げて戻ったフェリは、子供たちに取り囲まれ、大歓迎されることになった。 「あはは。でも、この子が無事でよかったよね」 そう言いながら、フェリが差し出したのは黒柴の子犬。受け取った少女が、もう離さないとばかりにぎゅっと抱きしめる。 「ありがとうございました」 菊が頭を下げると、周りにいた子供たちも一斉に礼をする。その様子を嬉しそうに見つめていたフェリの口から、言葉より先にくしゃみが飛び出した。 「……あら〜。結構、寒いよ」 すると、菊より先に子供たちが騒ぎだした。「大変だ」「お風呂に行かなきゃ!」「鶴の湯に行こう」「弁天湯の方が広くていいんじゃない?」等々、我先に喋りながらフェリの身体を押すように動き出す。 「ねえ、この子達なんて言ってるの?」 「……風邪をひく前に風呂で温まるべきだと、申してます」 せめて菊の自宅に案内したいところだが、今から準備していたのでは彼の身体が冷え切ってしまう。銭湯が一番手っ取り早いのだが、欧州人には共同風呂の習慣はないと聞いている菊は悩んでしまった。 そうこうするうちに、一同は弁天湯に到着した。 「うわ! エキゾチックだね。ここが風呂なの?」 「はい。日本の習慣で、誰もが裸で入るんですが……大丈夫ですか?」 問うと、フェリはにっこりと笑った。 「公衆浴場だね! 懐かしいな、久しぶりだぁ。ローマじいちゃんも風呂が大好きでね、俺も連れていってもらったんだよ」
入ろう入ろう、使い方教えてよ! とノリノリなフェリと一緒に、いきなり入浴する羽目になった菊だった。
彼らが入浴している間に、子供たちの中で気のきく数人がフェリの服を親のところに持ち込んで、洗濯の手配を済ませた。 風呂からあがると、少年たちが着替えを準備して手柄顔で並んでいた。彼の身長に匹敵する日本人はめったにいないから、どうも町内巻き込む勢いで衣類を調達してくれたらしい。 シャツはかろうじて何とかなったが、ズボンはどうしようもなく。フェリはシャツの上に着物と袴着用という「書生スタイル」でごまかすことになった。 ちなみに袴は、銭湯に居合わせたおばちゃんたちがこぞって裾下ろしに協力したという。 銭湯から出ると、子犬の飼い主が親と共に待ち構えていた。お礼のために、ずっと待ってたと聞かされてフェリがまた驚く。 深く頭を下げて動かない両親に、「うわ〜どう返事すればいいの?」とうろたえるフェリ。菊が両親と話してくれたのでお任せして、フェリは少女に声をかける。もちろん言葉は通じないが、心は通じると思っているので気にせず笑顔で語りかけた。 「心配したよね。もう大丈夫かな?」 すると少女の表情がくしゃりと歪んだ。ほろほろ涙がこぼれる。 「ごめん……なさい」 「え? どうして泣いてるの?」 慌てて菊に助けを求める。「俺、何か悪いこと言ったのかな?」と問われ、菊は首を振った。 「彼らは、お客様にお手間をとらせた事をとても申し訳なく思っています」 おそらく少女は、両親にきつく叱られたのだろう。菊には状況がよく判る。 それを聞いて、フェリは驚いたようだった。腰を落として少女と目線を合わせ、真剣な面持ちで口を開く。 「あのね。俺は日本と友達になりに来たんだ。俺は君たちの友達なんだよ。だから、気にしなくていいんだ」 さっくりと告げられ、絶句する菊。 「友達、ですか」 どうしてこんな言葉を口にだせるんだろう、と菊はぼんやり思う。ふと見るとフェリが、「通訳してね」という表情で彼を見ている。あわてて親子に言葉を選び「彼は我らの同盟国の人ですから、気にしないで欲しいと申してます」と伝えた。 それを聞いた両親の表情が、やっと緩んだ。つられて少女も、少し落ち着く。それを見届け、ふたりはその場を後にする。 時刻はそろそろ夕刻で、早ければルートがホテルに戻っているだろう。そう考えたふたりは、ホテルまで歩くことにした。 「あの、さっきの話ですが」 菊が問うと、フェリが右手を挙げて彼の言葉を制した。 「俺、言っとかなきゃならない事があるんだ」 言いながら菊を見るフェリの目は、なぜかとても悲しそうに見える。 「お前が言いたいのは同盟の話だと思うんだけど。実は、俺の国って……すごーく弱いんだぁ」 しょんぼりと肩を落とし、フェリはため息をついた。 「昔から、ほとんど勝った事がなくてさ。欧州では、イタリアと言えばヘタレの代名詞っていうか。軽く馬鹿にされてるし、笑い話のネタにされてるくらいなんだ。 ドイツと同盟した時もさ、フラン兄ちゃんは『本気で友達いないんだなお前』って、ルッツの事笑ったし。 ローデさんも『このお馬鹿さんが! なんでイタリアと同盟を結んだんです?』って怒ったんだって」 とほほ。と、フェリは情けなさそうに笑った。 「え〜っと。そんな感じだから、同盟が駄目って断られても仕方ないかなと思ってる。でもね、俺、お前の事気に入ったんだ。だから……」 いつの間にか、ふたりの足は止まっている。フェリは菊を正面から見つめて、次の言葉を発した。 「俺と友達にならない?」 微笑んで手を差し伸べるフェリ。彼の言葉が菊の胸に染みるまで、少しだけ時間がかかった。 長く生きてきて、彼個人を愛したり親しんでくれる人と出会えたこともあった。それでも彼は「日本」という国そのもので、最終的に彼が求められる存在意義は、つねにその一点。
特に維新後。彼は常に国としてしか求めらず、自分でもそれ以外の「自分」のことなどすっかり忘れていた。今度の独伊訪日も、彼らが求めているのは国としての自分だろうとしか考えられなかったわけで。 (彼らが来る前からずっと悩んでいた私は、何だったのでしょう) しみじみと嬉しかった。言葉下手な自分ではとても口にできないようなことを表現できる彼を、ちょっとすごいと思う。 意を決して握手しようと、菊は手を伸ばす。するとフェリは彼の手を両手で包み、力を込めて握った。 「これからよろしくね、菊」 「こちらこそ」 まるで契約のように、彼らの友人関係はここに成立した。
ルートが自国の会議を振り切ってホテルに戻ったのは、ディナータイムが始まってロビーの人影がまばらになった時間だった。 見まわすと、なぜかフェリが着物姿で菊と談笑している。遠目でも親しげな雰囲気が垣間見え、ルートは少し出遅れた気分になる。 (奴の事だから、ホンダともすぐ仲良くなるだろうとは思っていたが。それにしても速すぎないか?) そう思いながら近づくと、ふたりが顔をあげて彼を迎えた。妙な安心感を感じつつ腰を下ろしたルートに、フェリがさっそく今日の出来事を話そうとする。 それを無造作に押しとどめ(実際に口を押さえ)、ルートは菊に「成立しそうだ。今後もよろしく頼む」と告げた。
菊は軽く瞬きをして、その意を受ける。 「では、近日中に調印ですね」と菊が言うと、ルートの右手が差し出された。 フェリの目の前で、両者が堅く握手した。と同時に、ふたりの口からため息が漏れる。 「ああ、仕事が終わったぞ! 明日からは観光三昧だ!
あの石頭どもめ。よくも、俺の大事な時間を無駄にしてくれたな」 愚痴るルートを見て驚く菊と、笑うフェリ。 「ルッツ、ずっと日本に来たがってたもんね。大変だったんだぁ」 「当り前だ! 黄金より貴重な時間を、馬鹿げた妄言でつぶすんじゃないとどなりつけてやったさ」 一通りぼやいてから、ルートは視線を菊に向ける。 「そういうわけだ。明日から世話になる」 真剣な声で頼まれ、菊は「もちろんです」と答えた。 「よろしかったら、明日はうちに泊りませんか?」 「え? いいの?!」 やったぁ! とはしゃぐフェリ。ルートも「それは楽しみだ」と身を乗り出す。 では、そういうことで。と告げ、菊はホテルを去った。
残った二人は、穏やかな雰囲気の残滓を楽しむように、しばらく無言だった。 「お前の言ったとおりだったよ」 先に口を開いたのは、やはりフェリ。ルートの隣に座って、満足そうな笑みを見せる。 「菊って、いい奴だよね。あ〜。俺、ここまで会いに来てよかったよ」 頷きながら呟くフェリに、苦笑を向けるルート。 「そうか。では、性格も以前と変わってないんだな」 「うん、すっごく優しくて真面目だった! 俺にも親切にしてくれて、嬉しかったよ。 でもさ、ルッツが菊の事を『頑固で秘密主義』って言ったでしょ? あれは違うと思うな」 早くも名前で呼ぶようになっている事に呆れつつ、ルートは「そうか?」と問い返す。 「彼はね。すっごくシャイなんだと思うよ」 「まさか。シャイで照れ屋な奴というのは、むしろ感情的だぞ? 彼は理性的だ。当てはまらんだろう」 「そうかなぁ」 フェリの読みが正しい事をルートが認識するのに、さほど時間はかからなかった。
次の日から、ふたりは菊の案内で、日本観光を心から楽しんだ。 その後の紆余曲折を知る由もない、激動の中の陽だまりのような数日間だった。
終
PS. 「ずいぶん仲良くなったんだな。驚いたぞ」 ルートに問われ、菊はこう答えた。 「彼は、友達になりに来たそうです。発言がストレート過ぎてびっくりしましたよ」 「ああ、そういうことか」 ルートは額をおさえ、苦悩している。 「おふたりとも、軍事同盟締結の視察に来られたのだと思っていましたから。 思いがけないお話で嬉しかったです」 そう言うと、ルートはむっとした表情を見せた。 「……俺だって、約束をはたしたいと思っていたぞ」
硬い表情で、少しだけ右手の小指を立ててみせるルート。 「覚えていて、くださったんですか」 もちろんだ。と答えたルートはそっぽを向いたままだ。 「ただ、目の前の問題に片をつけるのが先だろうと思っていただけだ。それなのに……」 あのお調子者に先を越された。と真剣に呟く声を聞いて、吹き出してしまった菊だった。
*菊とフェリの「はじめまして物語」でした。
タイトルは初めから、「コレしかない」と思っていましたがいかがでしょうか。
御本家での「友達になりに来たんだ」発言は、私的にインパクト大でした。
冒頭の会話など、いくつかご本家様より引用です。
ここから三国同盟締結までの、コマとコマの間を妄想して書いてます。
思ったより長い話になりました。なんでやろ?
花粉症でかすむ頭で考えたせいでしょうか。集中力が低下しているので、大変でした。
この話は、「おててつないで」の後日になります。
アーサーは、結局友達以前の関係で一旦交流が途切れるわけです。
国交は彼らのせいではありませんが、個人レベルではアーサーの押しが足りないと私は思います。
PSは、「ゆびきり。」の続きというべき挿話です。
この後、彼らはどんな会話をしたのか。それは……。
Write:2010/03/05
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